第2話 こいつは誰だ
俺は一地方の豪族の次男に転生して天文16年(1547年)13歳にして元服、そして初陣を経験することになった。
俺の住む地方とは『美濃国』今の岐阜県で、当時の領主は斎藤道三。
その斎藤道三と元領主の
うちの親父殿、判断を誤って土岐頼芸の方についた。
史実のとおりで土岐頼芸が敗れてしまった。
その上俺はこの戦いで血を分けた実の兄に殺されかかった。
戦場の混乱のなか主を失った馬を手に入れて、馬上の人になって戦場から離脱をはかった。
初陣と言えど負け戦で、世継ぎ問題があるかもしれないが兄に殺されかけたのだ!とてものこと美濃国の親父の領地に戻るわけにはいかない。
それに総大将は俺だ、俺の首を斎藤道三に差し出して和睦する可能性もある。
史実やゲームから考えても将来を考えると織田家かな?
この戦いでは負けたとはいえ土岐頼芸を織田信長の父親信秀が支援していたこともある。
せっかく戦国乱世に産まれたのだ。
腕一本で国を取ることもできる、織田家の様子を見て仕官するかどうか決めるか?
織田家が駄目なら、この地方では今川が一番勢力が強い、今川が駄目なら北条でも頼るか。
戦場で手に入れた馬に乗って織田家に向かう。
しかし誰か
那古屋城下にいれば誰か伝手になる人に出会えるかもしれない。
那古屋城下、現在の大都会の名古屋と比ぶべくも無く人口は少なかった。
当時とすれば人口約1万人の住民が暮らしていた。・・・と思われる。
その理由は当時特に人口が多いと思われる京都でも10万人前後だ・・・戦国乱世で1500年初頭では人口が極端に減って7万人程だ。
城下町であるから当然住んでいるのは武家集団とその家族が構成する武家屋敷、生活を支える商業地域や武器等を製造する工業地域とに分かれる。・・・小高い山の上に立つ小さな山城を中心に武家屋敷等が配置され、その周りには
田園地帯と言ってもそれは那古屋城下直近だけで、一歩外れると森林や荒れ地ばかりだった。
その森林に入れば兎や鹿を狩り放題で、狩った獣は那古屋城下の店でそれらを売ればよい。・・・獣の肉は大抵は俺の腹に入った。・・・う~ん!天武4年(675年)4月天武天皇の「肉食禁止の
肉は駄目でも皮ぐらいは売れたので小銭が稼げた。
時には盗賊が肉の焼ける匂いに釣られて集まり、その肉を焼いているのが子供の俺だから簡単に俺の命と肉を奪えると思って襲って来るがほとんど返り討ちで、彼等の懐の金銭と皮を売った小銭でかなり豊かに生活していける。
獣の肉や皮を那古屋の城下町で売り歩いている時に織田信長の噂を聞いた。
誕生日が俺と同じ天文3年(1534年)5月12日生まれで親近感を感じていたのだ。
織田信長、幼少期は文武両道に秀でた美少年だったが、先年天文15年(1546年)12歳の年に元服を果たしているが、その前から衣装が崩れ誰かに寄りかかるようにして歩く「うつけ」になったと聞く。
その織田信長が今年、天文16年(1547年)13歳で初陣をするという。
斎藤道三と土岐頼芸の戦いに土岐頼芸を支援した織田信秀は敗れてしまった。
実力至上主義の戦国乱世で織田信秀は敗戦で織田家の名を落とした。
このことは部下の離反や反乱が起きる原因で、その可能性を高めることになる。
起死回生のために織田信長の初陣を吉良大浜(現在の愛知県知碧南市の大浜漁港近く、地図上では知多半島の根元付近)城付近における嫌がらせのような単なる火付けをする事にした。
織田信秀は敗戦で兵を失ったが那古屋城で留守を守っていた織田信長に預けられた城兵およそ800名が無傷で残っていた。
ただ吉良大浜城には徳川家康の父松平弘忠の配下で長田重元と言う城主が2000名の配下とともに城を守っていた。
俺は織田信長にとっては不利な状況下での初陣だが、彼がどんな風に戦うかを見たくて那古屋城に行ったが一日違いでもう出陣したという。
俺は追いかけるように吉良大浜城に向かって農耕馬を歩ませた。
織田信長の出陣の理由が内通者から
「長田重元がほとんどの兵を率いて出かけて留守。」
という事が発端だ。
長田重元の留守の隙を狙っての焼き打ちであり勝ち戦を信じて出陣した。
ところが信長の初陣は知られていたのか出かけたはずの長田重元が立ち戻り城の防備を固めて散々に打ち破られ伏兵まで置かれて陣がズタズタになってしまった。
織田信長は家臣からも引き離されて命からがら駿馬に乗って逃げ戻った。
俺は、その織田信長と細い道路でバッタリ出くわしたのだ。
初陣の様子は太田牛一が著した信長公記にあったとおり
『紅の横筋を織入れた頭巾に陣羽織』
で逃げるためか乗っていた馬の鎧は外されていた。
流石に織田信長の乗馬、確かに俺の乗っている農耕馬を軍馬用に引きづり出したような駄馬とは違い如何にも駿馬と言われるほど立派な馬格をしていた。
馬の力で逃げてきたのか、負け戦で家臣とも離れ離れになったのか織田信長の周りには誰もいない。
織田信長も俺に気付き
「長田め!ここにも伏兵を置いていたのか!」
等と叫んで槍を小脇に抱えて、俺に向かってきた。
なになに!?
織田信長と出会った途端、一騎討かい!?
距離はあるポクリポクリと歩く農耕馬の上で背中に背負った大太刀を抜く。
軍馬を駆って近づいてくる織田信長の顔付きがはっきり見えてきた。
織田信長の顔!俺!?俺かい・・・!?
世の中にはよく似た人が3人はいると聞くが顔付、体付きは俺とそっくりだ。
だいぶ近づいたところで信長も気が付いたようだが、軍馬の勢いの方が速い、俺と指呼の間まで来てしまっていた。
信長は近くで気付き驚いて持っている槍を緩め、俺は目が良いので遠くで気付いて構えがしっかりできていた。
その差は大きい!
槍先を大太刀の
信長の首に当てられた大太刀は駿馬の勢いで・・・結果は明らかで信長の首と胴の泣き別れである。
切られた信長の首がコロコロと転がり道脇の小川に落ち、胴体の方も軍馬に乗ってしばらく進んだが、ドサリと落ちて小川の土手を滑り落ちていく。
首は小川に浸かって恨めし気に俺を見ている。
胴体の方は切られた首が小川に浸かり小川を赤く染めていた。
しかし歴史が変わってしまった!
俺、織田信長の首を切っちまった!!
俺を睨む織田信長の首を小川から引き揚げて目を閉じらせる。
胴体の方も良い鎧に陣羽織だ死体にはもったいない。・・・俺も負け戦からいまだに着ているのは木の鎧だ。気の毒だが身ぐるみ剥いで俺の物にでもするか。
信長の乗っていた馬は賢い馬か、信長のもとに戻ってきている。
織田信長の身ぐるみ剥いで、着ていた鎧に身を包み陣羽織を着て、濡れてはいるが頭巾をかぶった。
身ぐるみ剥いでいる時に
前世でも運動部にいて隠れて喫煙している者もいたが、運動して喫煙すればせっかく拡張している血管が煙草で収縮して酷いことになる。
それで俺は吸わなかったが煙草には興味がある。
煙草入れの煙草の臭いを嗅ぐ・・・!うっそ!!煙草じゃない!!!何だこれは?乾燥大麻だ!!!!
信長が「うつけ」になった原因はこれだ!
精神疾患を起こす原因にもなる大麻をどうやら吸い続けたことから奇行にはしっていたのだろう。
身ぐるみ剥いだ生白い信長の体を見て気の毒になり、俺の木の鎧を彼に着せて手を合わせていると、遠くで何頭もの馬や人が走ってくるのが見えた。
そちらに目をやると織田家の家紋の織田木瓜の旗や織田信長の旗印である黄色の絹に永楽通銭の文、吹き流しには「南無妙法蓮華経」の跳ね文字を掲げている。
信長の乗っていた馬で逃げだそうと乗ったは良いが言う事を聞かない。
これでは逃げるわけにもいかない。・・・今まで乗っていた駄馬は草を食ってのんびりしている。・・・う~んこの忙しい時に道草を食うなんて。
遠くで見えた人馬の集団が近づき、その中でも立派な鎧を着た初老の人物が走り出て
「若ようもご無事で。」
と言って俺の手を取って泣き出した。
どうやらこの人物は信長の傅役の一人で、この戦いの後見役である平手政秀だろう。
彼は6年後62歳で自死していることから、この時は56歳だ。
この時代は栄養状態が悪く、信長のよく歌う
「人間五十年
化天の内をくらぶれば
夢幻のごとくなり
一度生をうけ
滅せぬものあるべきか~」
と50歳が平均寿命のように言われている。・・・実は食糧事情等によって平均寿命はもっと短くて35歳前後だったと思われる。これでは元服今で言う成人式が12、13歳頃もうなづける話だ。とすれば政秀さんこの時代では長生きな方だ。
俺は政秀さんに泣きつかれて
『どうしようかな?ここで声をかければ声が違うのに気付かれるか?・・・しかし何も言わないのも変に思われる!』
と思ったが意を決して
「大儀であった。」
と声をかけると政秀さん、さらに泣き崩れて俺の足にしがみついて
「初陣で負け戦にもかかわらず、爺には過ぎたるありがたきお言葉でござる。
爺はこの負け戦の責任を取って老い腹掻ききる所存です。」
本当に政秀さん腹を切るのが好きと見える。
「無用!」
と俺が一声でこの茶番は終了した。
問題は信長?俺の首チョンパ問題だ!
茶番劇の間放置された信長の遺体を見て政秀さん驚いた。
俺と信長の顔を交互に見る。・・・俺の背中にはジワリと汗が染みだした。
ばれたら腹切り好きだが好々爺のこの爺さんの首も切るか?
その間も続々と信長配下の兵が集まってきた。
政秀さん、ひりつく喉で
「この者は・・・?」
まさか、『信長さんで~す。』等とは死んでも言えない状況になってきた。
「落ち武者狩りの者、返り討ちにした。」
と短く答えた。
政秀さんそれを聞いて配下の者に首塚を造らせた。・・・後日政秀さんその首を掘り出して自分の家の庭に改めて首塚を造ったそうだ。
死にたがりの政秀さんも信長が亡くなれば、この初陣の後見役だっただけに一族郎党無事にはすまない。
それで俺を信長と認めたのだ。
ただ偽物の信長になった俺は日課の大岩を木刀で叩き続けさらに
「尾張の大うつけ」
の名声?を高めた。
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