第10話
今日、ぼくは鈴木涼美『娼婦の本棚』という本を読んだ。鈴木涼美という人については何の知識もなかったのだけれど、経歴によればアダルトビデオに出演したりキャバクラで働いたりしたことがある人らしい。でも、そんなセンセーショナルな話題とは裏腹にこの本は非常にスマートに書かれていて読みやすく、いろいろ考えさせられるものがあった。思えばぼく自身、女性が女性に向けて書いたものをきちんと読んで自分の中にメッセージを位置づけるという訓練をしていなかったことを思い出した。彼女たちがどんなことを考えているのかわかっていなかったんだ。
この本の中で鈴木涼美は、彼女もまたその一員である「女性」という性のあり方について興味深いことを言っている。彼女たち「女性」は、ぼくのような男たちによって品定めされて性的に眼差される宿命を背負っている。それはつまり、「男社会」からそのように見られる宿命にあるということを意味する。この「社会」からのそうした眼差しを彼女たちは受け取り、それに対して時に聖女、そして時に娼婦のように振る舞うことが必要となる。そんなアイデンティティの分裂した状況を生きなければならないのが女性である、と。
この視点はなかなか面白い。ぼくもまた、鈴木涼美のような女性を性的な存在として眼差していることに気付かされる。そして彼女はこれまでの人生で絶えず、そうした品定めの視点に耐えてきたことも確かだろうなと思った。彼女はその品定めする「男社会」に応えるべく化粧をし、おしゃれをして生きなければならない。そんな女性の現実がこの本であからさまにされていて、ぼくにもわかりやすく書かれていると受け取った。でも、ならぼくはどうしたらいいんだろう。彼女を見ないようにすればいいのだろうか。そんなことはもちろん解決策にはならないだろう。
この話を膨らませていくと、性愛や非モテと呼ばれる問題にぶつかることがわかる。女性の側から発されたこの声に真摯に耳を傾け、そしてその声を位置づけること。単なる愚痴やボヤキとして扱うのではなく、その声の中から普遍的なメッセージを読み取ること。ぼくがさしあたってできることと言えばそんな消極的な情けない行動くらいでしかない。鈴木涼美自身、彼女の人生を叩き台にそうした男女の不平等な現実にメスを入れて一緒に考えたいと思っているからこうした問題を提示したのかもしれない。今日は難しい話で終わってしまった……。
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