第8話

「三つ子の魂百まで」ということわざがある。3歳の頃までに形成された人格や性格は100歳になっても変わらない、という意味らしい。このことわざはあながち間違いではないのかもしれないと、最近リアルに思うようになってきた。ぼくの中に幼い頃に形成されたある種の好みというか嗜好が、今年47歳になるぼくの中でも変わっていないこと、それどころかもっとはっきりした形としてせり上がってきているような気にさえなるのをぼくは自覚する。それは前に書いたアダルトビデオの話にも通じるけれど、もっと広い分野でぼくの中で起こっていることでもある。


ぼくは十代の頃から音楽が好きでずっと聞き続けているけど、最近好みがその十代の頃の音楽に戻っているようなんだ。古い音楽を好んで聞くようになり、といってもカッコいいクラシックというか伝説級のロックじゃなくてもっと評価がしっかりしていない、種ともこや佐野元春や遊佐未森といったアーティストの作品を聞いている。洋楽だとブラーやオアシス、そしてスウェードといった音楽だ。もう新しいものには耳が反応しない。他に聞くといってもソニー・ロリンズやビル・エヴァンス、パット・メセニーといったミュージシャンたちくらいだ。


ぼくの女性の好みも、この歳になってみればロリコンというか十代の女の子と仲良くなりたいと思うものかと思っていたけれど、そんなことはなくて大人びた魅力を備えた女性たちに相変わらず惹かれている。甘えたいとすら思う。いや、47歳にしてそれはまずいでしょ、と思われるかもしれないけれどぼくの中の「姉萌」な部分は変わらないでいる。子どもの頃、ぼくはほとんどひとりっ子として育ったから誰に甘えていいのかわからず、それが尾を引いているのかもしれない。やれやれ、ぼくの中のインナーチャイルドは相変わらず手ごわい。


これでいいのかな、と思わなくもない。大人になるということはある種幼い自分自身をぶっ壊して新たな自分自身を築くことだと思っていたのだけれど、ぼくはそんな風には成長できていない。むしろ幼い自分自身のままで生き延び、その自分の欲望を満たしたいと思い暴君のように生きている。ぼくはアニメや漫画に詳しくないけれど、もしかしたらぼくもまた薄くて高価い同人誌を買い込んだりアニメをサブスクで浴びるように観たりする40代を過ごしえたのかもしれない。でも、それは果たして大人になったということなんだろうか? ぼくにはわからない……。

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