第7話

別にどうってことのないものなのに、使いたくない言葉というのは誰にでもあるのではないかと思う。ぼくの場合は「オタク」という言葉はあまり使いたくない。この言葉がアニメファンや漫画読みの人たちを侮蔑的に使っているのを見ると、一種「差別語」ではないかと思ってしまうのだ(もちろん気にし過ぎというものかもしれないけれど)。あるいは、ぼくは「巨乳」という言葉も好きではない。ぼくに対して「巨根ですね」と言われたらどんな意味であれげんなりするのと同じことを女性は感じるのではないかと思ってしまうのだ。


だけどぼくの好みの傾向として、十代の頃『週刊少年マガジン』で「彼女はデリケート!」という漫画を読んでいた頃からぼくは、その「巨乳」ないし「グラマー」な女性に憧れてしまうところはあったらしい。ぼくは兵庫県に住んでいるので、十代の時はローカル局のサンテレビで「おとなのえほん」というエッチな深夜番組が流れてくる環境にあった。そこで当時目を疑うほどグラマーだった松坂季実子のおっぱいに胸をときめかせて、あとは海外のポルノ女優のクリスティ・キャニオンに興味を持っていたこともあった。容易には見られない裸身をありったけの想像力で思い描く。ぼくが今でも思考を粘り強く展開できるのはこの頃の鍛錬(?)からかもしれない。


そんな風に女性たちに対してムクムクと芽生えてくる性欲について、今ではそれが決してヘンタイである証拠ではないこと、それをうまく位置づけることができれば真の意味で「ひと皮剥けた」大人になれる、ということを理解できる。でも、当時のぼくにはそんなことを教えてくれる大人たちはまったくと言っていいほどいなかった。学校の性教育も今ほど進んでいなかった。ああ、ぼくはどうしてエッチなことを考えてしまうんだろうと、ひとりぼっちでついつい勃ってしまうあそこのことを考えて頭がおかしくなりそうになった……。


ここまで書いて、ぼくは酒鬼薔薇聖斗のことをふと考えた。彼の殺人は猫殺しから始まったこと、そしてそれに関して快楽を感じて(あるいは良心の欠如を感じて)いたということを知ったからだ。彼には芸術のセンスがあると認める人もいる。彼がもし猫も人も殺さないで、そのありったけの衝動をアートにぶつけることができていたら、自分の中の高ぶる衝動や情動を何らかの形で発散できていたら、と思ってしまう。もちろん性欲と殺人は違うものだ。それはわかっているのだけれど、ぼくは彼をまったくの他人事として考えることができない。ぼくだってもしかしたら……いや、あまり考え込むのはよくないな。

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