第5話
人生とは不思議なものだ。ぼくは子どもの頃、女の子に嫌というほど嫌われていた。理由はわからない。女の子のことはいつだって謎だ。いったい何を考えているのか。考えてみれば女の子たちはぼくたち男の子たちとは違う漫画を読む。多分小説だって違うものを読むのだろう。もちろん、決めつけてはいけないとは思う。女の子だって谷崎潤一郎の小説を読むだろうし、多分ブルース・スプリングスティーンみたいな汗臭いロックだって聞くかもしれない。でも、彼女たちは多分ぼくとは違う理由でそういったアーティストを好む、と言うはずだ。女の子たちは違う回路で動いている。
ニーチェだっただろうか、「真理というものは女性である」と言ったのは。もちろんどうとでも読める言葉だけれど、ぼくも同じことを思う。女性の中にはぼくがどう追いかけても掴めないものがある。この理解はぼくの中のミソジニー(女性嫌悪)というより、ぼくの中のマゾヒズムが出てしまっていると思う。ぼくはずっと女の子たちに惹かれて、彼女たちと仲良くなりたいと思って、でも(太っているからなのか、ブ男だからなのか)嫌われ続けてきた。だから、彼女たちに気に入られたいという幇間(あるいは道化師)めいた心が芽生えたのだと思う。
それで、ぼくはずっとそんな情けないマゾヒズムを抱えて生きてきた。自分なんて所詮はクズで、バカで、ヘンタイだ。そう思い続けて生きてきて、そうするとクラスメイトが「よくわかってるじゃないか」と扱ってくれるようになったから、時にぼくは剽軽かつ露悪的に自分がどんなにバカなのか見せびらかすようになった。もちろん、ぼくの中のプライドはズタズタになってしまっていたけれど、それでも相手が喜んでくれて友だちになってくれるならと、ある種チャーリー・ゴードンめいた気持ちで生きてきたように思う。
ああ、だからぼくが3度目に出会った運命の女性から「自分のことをそこまでボロクソに言うのは止めたらどうですか」と言われた時、泣きたくなった。そんなことを言ってくれた、ということはぼくは学校を卒業してもまだ幇間めいた態度で生きていたということだから。今、ぼくの周りには女性がたくさん居る。その女性たちはみんなぼくに優しい。いったい何なんだろう、あんなに女の子たちに嫌われたあの時代は。まったく、「ジョンとヨーコのバラード」みたいに「ジーザス!」と呟きたくなってくるよ。性の話ではないけれど、今日はこんなことを残しておきたくなった。
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