第3話

最近妙なクセがついてしまった。というのは、スーパーのレジで精算する時に並ばなければならなくなった時、特に前の客が女の人だったらその人のおしりをぼんやり眺めるというものだ。前に『万引き家族』を観ていたら風俗店に務める女の子が客に向かって「おっぱい派ですか、おしり派ですか」と訊く場面があったと記憶しているのだけれど、その分類で行けばぼくはどうやらおしり派の人らしい。ぼく自身がそんなに立派なおしりを持っているわけでもないのに、女性に対してはおしりの形がいいとそれだけで何だかすごいなと思ってしまう。


こんなことを書くとヘンタイだと言われてしまうのだけれど、だとしたらヘンタイで何が悪いんだろうと居直るしかない。今日、ぼくは図書館に行ってマルキ・ド・サドの本を借りてきた。サドという人はそのヘンタイな作風で、ぼくたちがよく使う「サディスティック」という言葉の元祖となった人だという。でもヘンタイな作家と言えばサドだけではない。ぼくからすると日本には谷崎潤一郎や川端康成、永井荷風、大江健三郎や高橋源一郎や松浦理英子といったヘンタイな作家がいるし、ゾラやフローベールやプルーストの書く女性たちだって充分にエロティックだ。


あまり書くと知ったかぶりが露呈してしまうのでこのくらいにしておくけれど、言いたいことはつまり作家や漫画家、映画監督や芸術家といった人たちは多分(みんながみんな、というわけではないだろうにしろ)ムッシュムラムラな性欲を持っていて、それをぶつけるために芸術といった手段を必要としたのではないかということだ。性欲じゃなくて世界に対する愛や憎悪もあるかもしれない。ジョン・レノンがありったけの愛をメロディに乗せて歌ったように。あるいは若き日の中上健次のような憎悪の天才だって存在する。


ぼくはこの「ドラウナーズ」で、そうしたぼくの中の欲望を書いてみたいと思っている。女の人たちは(というか人間はみんな)ひとりひとり愛らしいおしりを持っている、というようなそんなことだ。レジで待っている間、セクシーなおしりに見惚れてついつい時間を忘れてしまうことだってある。おしりと言えば、ぼくが好きなバンドのザ・スミスのヴォーカリストであるモリッシーはズボンのおしりのポケットに花束を突き刺して歌っていた。写真を見たこともある。モリッシーももしかしたらおしりを見られることに自覚的だったのかもしれない。

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