十八番目の帳尻合わせ。
ヴァーナヴィー領、静かなる丘の上。
この丘からはヴァーナヴィー領が良く見える。公爵領の中で、公爵領が直接管理できる土地の中で、唯一誰でも来る事の出来る場所。
丘を取り巻くのは何の変哲もない雑草と呼ばれる草花。ただこの土地の草花は一年中花を咲かせ、緑の中に色とりどりの小さな花が栄えていた。
歴代ヴァーナヴィー公爵家の人々が眠る丘。そして公爵家に仕えた面々がその道の途中で眠っている。
頂上にあるお墓には、ヴァーナヴィー領初代当主であるマリアンヌが植えた樹齢二千年を超える巨木が聳え立っていた。
歴代当主が無くなるたびに植えられる木々に囲まれて皆が安らかに眠る場所。
喪服を着たアリアンナは途中にあったエルフリーデのお墓に手を触れた。
切り出された岩に布製の手袋が擦れる。懐かしき思い出、添えられた絢爛豪華な花々と風に揺れる。丘を登る。
アリアンナはマルグリーダの後を担った香女(かおりめ)だった。
アリアンナ自体は子爵家の出だが、実家はあってないようなものだ。
各地には土地を持たない貴族が少なからずいた。所謂没落貴族という者達だ。借金のかたに土地を差し出したもの。借金のかたに実質的な支配権を失ったもの。土地は王家の所有物であり、借金のかたと言っても貴族から取り上げることはできず、名前だけが残り土地は別の物が運営する。そんな形が成り立っている。貴族が借金を踏み倒せばそれはそれで問題になり、この問題に対しては王家であっても一律に決めかねる問題であった。
そんな名ばかりの貴族、子爵家の三女として生まれたアリアンナは少なくとも貴族ではあるという体の元、各地の有力貴族の家で奉公を行い家にお金を送る生活をしていた。
オレンジに近い髪、ほっそりとした体躯、お世辞にも美人とは言えなかったが両親は奉公先の貴族に運よく嫁げることを願っていた。
自分に自信が持てず引っ込み思案だったアリアンナが並み居る強豪相手に立ち向かえるかといえばそんなことはなく、日々の生活だけで精一杯。
貴族と言えば聞こえはいいけれど、周りには没落貴族と馬鹿にされる。されど庶民からすればお貴族様。下からは悪態をつかれ上からは押さえつけられる生活がアリアンナの日常だった。
運よくヴァーナヴィー公爵家に奉公を許されたのは、これまでの苦労と釣り合いを取るための采配だったのかもしれない。もともと仕えていた侯爵家の後継者に見初められているはずもなく、快く送り出されてしまった。
自分が何か決める前に、あれよあれよと流されてヴァーナヴィー公爵家へ。どうせ超下っ端だと思っていたら、なぜか香女に抜擢されてしまった。
と言うのも元々大人しかったドラッベンラがその本性を露わしてしまったからだ。
当時ドラッベンラは離れに移されていた。
使用人達で行われていた行事の数々に口を出しはじめ、使用人たちの上下はなくなっていた。使用人を罰するのは自分だけだと豪語し使用人達から怖れられるようになる。
そしてついにそんな使用人達をまとめていたマルグリーダが排斥された。
いよいよドラッベンラを律するものがいなくなり、香女は使用人にとって最上の喜びとは言われるものの、マルグリーダの後任はことごとく失脚、みな戦々恐々としていた。
離れに移された落ち目のドラッベンラ。その香女に果たしてどれほどの意味があるのか使用人たちに判断できるわけもない。
新人であるアリアンナに白羽の矢が立つのに時間はかからなかった。
もともと抜擢されていた女性が自らの首が斬られるのを恐れアリアンナを身代わりにしてしまった。
わけもわからず通された部屋の中で初めてドラッベンラを見た。
視界に入るドラッベンラの姿、あっけにとられた。動けなくなった。これで自分より年下。直視することができなかった。
これほど神に愛されている人間が他にいるだろうか。
視線、声、仕草、呑まれ奪われたアリアンナにはどれもが完璧に思えた。
声をかけられたら体が痙攣する。目をまともに見られずに顔を反らしてしまう。得体のしれない興奮で耳まで真っ赤に染まり唇が震えた。
傍から一刻も早く離れたいと思うのにこれほど脳内を支配する存在が他にあるだろうか。
接するたびに自分におかしいところはなかったか何度も反芻してしまう。
確かにドラッベンラは苛烈であった。粗相をすればライオンの如き咆哮で叱咤される。暴力を振るわれたこともある。だがそれはどれもが他の使用人の前でだけだった。お菓子を投げつけられたこともある。ケーキを頭から押し付けられたこともある。床に落ちたお菓子を指で摘まみ、食べなさいと口の中へと入れられる。頬に付いたクリームを指ですくわれ。お似合いねと指ごと口に突っ込まれる。
初めてオイルを塗るため肌に触れた。
これほど幸せな事が他にあるだろうか。
あの方と同じ匂いのする手。
部屋に戻ると興奮のあまりその手で何度も自慰を繰り返した。それからは毎日幸せで彼女にとって穏やかな日々だった。日々が色づいて見える。朝起きてあの方の事を考える。早く顔が見たいと、粗相をしてはいけないと身だしなみには人一番気を使った。あの方の失礼に当たってはいけないと礼儀作法を必死に学び覚えた。周りの人達が同情の目を向けてくるが彼女にしてみれば交代などしたくない一心だった。
お菓子が彼女のお手製である事を知っている。クリームなど自分如きでは一生味わえない贅沢なものだった。普通に与えられれば罰せされるのは必至。罰せられることもなくむしろ同情すらされた。ドラッベンラがいらないと顔に投げ捨てられた衣装の数々、香女という立場で与えられた一人部屋、外では着られないものの部屋の中で着飾る絢爛豪華な衣装に、埋もれれば彼女の匂い。衣装についていた宝石を売り、そのおかげで運営権を失った土地を取り戻すのにそう時間はかからなかった。
彼女が心を占めていく。それは崇拝に近い異常。
傍にいない時は何をしているのだろうと考え、屋敷を離れる時はこっそりと後をつけた。
あの方に完璧だと思わせる動作を脳内で繰り返した。
離れる時は心を引き裂かれるほど痛み、エルフリーデを呪った。
叶わぬ願いだ。傍にいられるだけで良いと言う綺麗事にはうんざり。しかしそれ以上を願えば自身の体がもたない。
ドラッベンラのお墓の前に立つ。手に持っているのは名も無き紫の花。
お墓の裏手に回るとそこには沢山の小さな紫の花があった。
実はドラッベンラに感謝している人間は多い。
階級社会である以上上下関係が存在する。
下級貴族の中でも長男ではない者達や女性達はドラッベンラを影で慕っていた。親が貴族という肩書はあるものの自身は庶民と変わらない。
中級貴族にも上級貴族にもそのような者達はおり、そしてそれは鶏のような関係も生む。
溜まったストレスを上の者が下の者で晴らすという循環。
逆らうこともできず、身を許せと言われれば許すしかない。長からは問題を起こすなという圧力、保たねばならない家柄。
しかしドラッベンラが現れたことによりこれらの事情は変わった。
「貴方、家畜と寝るのね? 獣と寝るなんてとんだ変態ですわ」
人を人とも思っていないこのセリフに王子や貴族の子女は激怒したが、ドラッベンラが放ったこのセリフにより泣く泣く身を千切っていた子女たちの負担は軽くなった。
「私が一番強い鶏で貴方達下々はすべて平等で下等だ」
「この国には貴族である人と、庶民という家畜しかおりませんわ」
「囲いの中でしか生きられない癖に人とは片腹痛いですわ。家畜で十分でしょう」
「わたくし、ペットは愛でる趣味ですの。何処にペットがいるのかって? 貴方達はみな私のペットでしょう? 自覚なさい」
これらの言葉は差別主義ととられドラッベンラの悪評に軒を連ねたが庶民は違う。
庶民にとって自らが家畜というその言葉は的を射ていたからだ。
「貴方、経済力が自慢なのですね。では私の経済力と勝負しましょう? どうなさったの? 自慢の経済力でかかっていらっしゃい」
こうして裏社会のボスは消された。
確かに貴族はドラッベンラを嫌った。王子ですらドラッベンラを嫌った。しかし日陰の中にいるものは皆ドラッベンラを慕っていた。ドラッベンラという巨大な傘の中で平穏な暮らしができた。
ドラッベンラが街で散財するので商人はドラッベンラが大好きだった。普段は見向きもされないようなどうしようもないマニアックな商品でもドラッベンラだったら大金で買ってくれる。馬鹿な奴だとドラッベンラを貶める者もいたが、少し付き合えばわざとおだてられているのだと理解してしまう。
ドラッベンラが街を歩けば人が続く。
貧民街の人間を一掃したこともある。親のいない子供にクッキーを投げつけたこともある。財を尽くしたドレスで街を練り歩いたが、ぽろぽろ宝石などを落とし、しかもドラッベンラは拾う事を嫌ったので貧しい者はこぞって拾った。
「落ちたものなど石屑同然」
一掃された民はヴァーナヴィー領に土地を貰って村を作り暮らしているし、クッキーは高い栄養価で子供が餓死して亡くなる数を減らした。子供にしてみれば飢えて死ぬよりよっぽどマシだ。施しなんて受けないなんてプライドは餓死するほどの空腹を何度も味わったことのない者だけが言える台詞だ。
下水なども一掃され、下水を利用し生活していた民の暮らしも良くなった。
「あなた、臭いわ。なんて臭い獣なのかしら」
孤児にそう告げたドラッベンラにトゥーラとユエニファ―と王子は激怒した。
でも孤児達は言葉だけで何もしない貴族よりもドラッベンラが好きだった。お菓子を投げつけてくるのをキャッチするゲームが裏で流行った。
ドラッベンラが抱きしめてくれなくともエルフリーデは抱きしめてくれる。
「盗賊? あぁゴキブリですの。ドブネズミにも劣るゴキブリなど潰されて当然ですわ。潰しても潰しても沸いて来るのがゴキブリですから、いっそう残酷でよろしくてよ。いっそうの事、ドブネズミに食われてしまえばいい」
この言葉により地下水道や貧困街で暮らしていた人々はドブネズミと呼ばれるように、賊はゴキブリと呼ばれるようになった。一見するとひどい言葉のように思えるが、ドブネズミ上等、ゴキブリよりはマシという最底辺とされる人々のさらに下が生まれた瞬間でもあった。
これによりドブネズミは見逃されるようになり、ゴキブリは踏み潰されるようになる。
「なんだドブネズミか。見逃してやる。ほらいけ」
「ありがとうございます」
「あぁ? ゴキブリ!? ひゃっはー皆殺しだ‼」
ドラッベンラが在籍した間、学園はかつてないほど平和であり、学園のある城下はかつてないほどの賑わいを見せた。
お金が周り経済はうるおい孤児は減り、また亡くなる孤児や浮浪者の数も減った。
貴族の子供達はドラッベンラを敵として結束し友情を深め、意識改革がおこり領民は家畜ではなく同じ血の通う人間なのだという考えが根付いていった。
貧民街で暮らす人々にゆとりができ、ゴキブリと呼ばれるようになった賊の肩身は狭くなる。貴族は賊からなる裏組織を切り捨て、賊が著しく取り締まわれたため商人は領内の往来をより安全に行えるようになった。
苛烈で鮮烈。
アリアンナはドラッベンラの香女ということで周りからは同情と尊敬の念を貰った。
そしてその功績を認められ侯爵家の跡取りと婚姻までし長男も授かった。侯爵家としては公爵家に恩を売りたかったのとアリアンナから情報を引き出したかった二つの面を持つ。
落ちぶれた家は再興を果たし何もかもが軌道に乗った。
アリアンナの手腕で跡取りは骨抜きに。
泣く泣くだった。エルフリーデが台頭をはじめアリアンナは立場を追われた。これほどの苦しみと憎しみを、かつて自分が抱いたことがあろうか。しかしやはり叶わぬ願いだ。
旦那のアレがいかに大きかろうが体の相性が良かろうがあの恍惚を越えることはなかった。あまりにも苛烈過ぎた。
せめて、せめてせめてせめて僅かでも役に立ちたい。お茶会に招かれたい。一時の大瀬でもいい。一目だけでも視界に納めていたい。もうその機会があまりにも少ない。子供を見ると落胆する。どうしてあの人に似ていない。それは当然で苦しくて笑いがこみあげてくる。
花を添えるアリアンナの後ろより子供達が現れて花を逆向きに添えて帰って行く。名も無き貴族の子女たちがその死を悼み花を逆向きに添え帰って行く。
決して表から備えることのできない花だ。ドラッベンラは悪女なのだから。
決して豪華な花などではない。けれど、トゥーラが思うよりもその墓は寂しくなどなかった。ふかふかの花束、そのベッドで横たわれる。
良い旦那もいて長男も生まれてアリアンナは満たされるはずだった。
けれどアリアンナの心には隙間風が吹くばかり。
毎日愛を囁き抱きにくる旦那よりも愛する我が子よりもドラッベンラが心を占めてしまっていた。だからこそ許せない。王家の仕打ちも貴族の仕打ちも何もかもが許せない。
あの黄金の髪が太陽の中で煌めく様を二度と見られないと思うと苦しくて仕方がない。もう二度とこの両目で彼女を見ることが叶わないと思うと苦しくて仕方がない。それら全ては決して許されぬ感情だ。
通常婚約破棄では追放されない。ドラッベンラは婚約破棄をされた夜、王子に正面から夜這いをしかけている。苦肉の策だがこうでもしないと追放されない。王族を穢そうとし、蔑ろにし、害を成そうとしたという理由を持って初めてドラッベンラは追放された。
豪華で透けたネグリジュだけを纏い捕らえられたその惨めな姿は王の同情を買い、王族を害したと言うもっとも重い刑罰死罪を免れ追放となった。ドラッベンラとしては歯がゆい思いで、最後の最後になんとか帳尻を合わせられた。
透けたネグリジュ以外装備していない人間が、まさか殺しにくるわけがない。
主の罰は従者の罰でもある。エルフリーデも当然ドラッベンラと同様に罰を受けなければならなかった。エルフリーデは聖女と親交が深いため死刑にするわけにはいかず、しかし何もしないのでは貴族に不評を買う。よってエルフリーデの追放も実は妥当なものであった。
アリアンナの胸は張り裂けぬばかりだ。
だが墓にすがって泣くことしかできない。
ぼくが悪役令嬢ダダダダダ‼ 柴又又 @Neco8924Tyjhg
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