十五番目の傷口と塩。

 ネガティブが過ぎる。思い込みも激しい。落ち着いて。別に敵じゃないし、嫌味を言うような事でもないでしょう。今のはおいらが悪いよ。ため息が漏れてしまった。

 好きな人に裏切られたら悲しいでしょう。そうだよ。そうだね。

 ……。

 兄を見てぼくはどう思ったのか。

 兄に捨てられた女性達を見て、ぼくは妹の顔をまともに見られなかった。

 兄の浮気相手の役をした時、兄はぼくを庇うフリをして自分を悪者に仕立て上げた。

 恋人が浮気相手を庇うのはその場面において、もっともやってはいけない行為の一つだと思っている。

 裏切られた相手をさらに傷つける行為だからだ。

 浮気されて傷ついた相手の傷口に塩を塗りたくって傷つける行為だからだ。早い話が恋人より浮気相手の方が大事だって言っているようなものだもの。それは相手を、すごく、悲しくて、虚しくて、苦しくしてしまう行為の一つだ。

 貴方は傷ついてもいいけれど、あの人は傷つけないで、なんて言われて悲しくないわけがない。

 婚約者に裏切られたら悲しいよ。そうでしょう。

 愛する人に裏切られたら、好きな人に裏切られたら悲しい。そうでしょう。

 ぼくだって、私だって、おいらだってそれは共通のはず。

 貴方にラクリアを傷つけていい権利なんてないでしょう。そうだね。

 自分が傷つくことを、他人にしてはいけない。


 三十八階層へ到達。壁の向こうに洞窟が見える。

「今日はここで休みましょうか」

「ふん……」

「まだ怒ってるの?」

「あのですね‼ 言っていい冗談と悪い冗談があります‼ 私だからこの程度だってわかってます!? わかってますか!?」

 でもやはり、ラクリアがぼくにとってどうでもいい存在であるのは確かだった。

 時間と睡眠は最良の薬。何時かイザークの事も、笑い話になればいいね。

「そんなに怒らないでよ。冗談にしてはタチが悪かったと思う。ごめん」

 妹に似ていると言ったけれど、全然似ていない。

「悪すぎです‼」

 聖女であるユエニファにも同じ感想持った気がする。

「この壁の向こうに空洞があるみたいなので、今日はそこで休みましょう」

 年下の女の子はみんな妹に見えてダメだね。

「まだ、出発したばかりですが?」

 どうして年下かって、エルフの寿命が五千年としてラクリアは現在推定百歳だとする。人間の寿命を百年とすると、エルフは人間の五十倍長生きするとみる。

「そんなことありません。もう何時間も経っています。ラクリアはまだ本調子じゃないし、結構疲労が蓄積していると思いますので。それに貴方は病み上がりですから、大事をとって行きましょう。焦るような時間でもありませんからね」

 猫を人間換算するでしょう。人間もエルフ換算しないとダメだよ。

 ぼくをエルフにすると例え十歳だったとしても、五十倍しなければならない。つまりぼくが十歳だった場合、エルフ換算で五百歳となり、ラクリアは年下だ。

「……そうですか? なんか話し方変ですよ?」

 逆にエルフを人間換算すると、ラクリアを約百歳だとして、その五十分の一、およそ二歳だ。人間換算で言えば、ラクリアは二歳。年下だよ。

「そう? ごめんね? どう人と接すればいいのか、私も、おいらも中々難しくてね」

 自分がどう喋っていたのか思い出せない。ぼくと私の溝を深いと感じる。

「フフフッ。そうなんですね。おいらってプフフッ」

 壁の向こうの空洞を把握するために観察する。そこそこ広い空間があり、植物などは見受けられない。生物はいる。壁や天井には棒状の昆虫が、水中にはムカデのようなサンショウウオのような生物が確認できる。

 マッピングディスプレイで表示。昆虫って言っているけれど、厳密には昆虫ではないかもしれない。

 水はおそらく飲料には適さない。煮沸すれば絶対に大丈夫というわけじゃない。

 ホロウがいない……のはなぜ。いない……わけではないかな。

 ディスプレイを見るに、この地下水脈の水たまりは水底で僅かに外部と繋がっている。生まれたホロウはそこから外へ出ていったか、新たなホロウが生まれる環境じゃないのだろう。ミネラルが水に溶けだしている可能性はある。

 人には有毒な物質でもそれを糧に生きる生物はいる。コアラとかパンダとか。笹は毒なかったね。

 もう少し広かったらソルトゴーレムのようなミネラルホロウが生まれたかもしれない。

 魚の形をしたホロウ……の存在を確認。あまり大きくない。というか小さい。

 銃を外装の中へとしまい壁の様子を確かめる。淑女の嗜みに魔力を通しブロックをずらす。淑女の嗜み……じゃないね。淑女の担い手だった。何時も呼び方を間違える。

 おいらも相当に間抜けだ。

「手伝いますよ」

 妹は頭が良かった。兄も……。でもぼくは……何時も間抜けだったなー。

「離れてて。空気が有毒かもしれないから」

 完全閉鎖されていたわけじゃないから、遺跡内への空気の流動はあったはず。遺跡には空気を正常化する機能があるのでそれを利用する。

 ブロックを一つ取ると向こう側の空気が大量にこちら側へ流れてくるのを感じた。

 ひんやりとしていて湿っぽい。水気を感じる。

 ラクリアが中を覗こうとして肩を持って遠ざける。

「ちょっと」

 危ないから覗かないでよ。喉の不調は真っ先に現れるはずだ。

「少し空気が淀んでいますけど、大丈夫ですよ」

「わかるの?」

「えぇ、私達エルフは自然の民ですからね。それにこの纏っているラには、空気を正常化する効果もあるのですよ」

 空気の正常化ってなんだ。空気中の人体にとって有毒な物質を中和するのが正常化なのか、それとも空気の状態を安定させるのが正常化なのか。

 エルフが呼吸できる環境下にするのが正常化……なのかな。

 エルフがいるだけで空気が綺麗になるのかー。

 運動神経とか反射神経ってあるけれど、この二つの神経は器官としては存在しない。エルフの言葉の使い方がそれに類似しているような気がした。

「えーほんとに? すごーい」

 脳がとろけそう。難しく仕組みを考えると脳がとろけそう。

 どんな機能なのだ。チートだ。チートなのだ。それがチートなのだー。エルフがいるだけで空気が綺麗になる。それが真理。

 腕を掴まれる。ラクリアに。

「なに?」

「こうしておけば、ガスの問題はありませんよ」

 耳が若干震えている。そっか。暗所と閉所だものね。本当は怖いけれど、ついて来ると言った手前、表に出さないようにしているのだろうな。

「そうなんだ」

「はい‼」

 いいなー。おいらにもその機能欲しい。まぁ、おいらガスなんて効かないけど。ガスってなんだ。汚染空気ね。

 洞窟内は遺跡内とは違いやはり暗い。

 ラクリアが手を前に出すと纏ったオーラより枝が形作られ光を伴う。オーラが植物の形となり、範囲を埋める。

 無詠唱で使えている。

「あーすごい」

 エルフのアイドルも歌詞としてエルフ語を使用していた。本来の使い方はこうなのね。ラクリアがよろめいたので支える。

「大丈夫?」

「一度発動したら大丈夫です。しばらく持ちます。ちょっとはしゃぎ過ぎたみたいです。こんな日が来るなんて思ってもみなかったので、あんまり離れないでください。幕が範囲内です」

 まだラクリアの体調は本調子ではない。体は細いし足も細い。食べたものが急に肉になるわけじゃない。

「ご飯の用意するから横になってて」

「壁は戻さなくていいのですか?」

「遺跡の機能で勝手に直されるから」

 本当は早めに直した方がいい。でも今はちゃんと索敵しているし、敵が周りにいないからゆっくりでいい。ラクリアの恐怖を少しだけ遅らせることはできるかもしれない。これから閉所になるわけだしね。

「そうですか」

 ラクリアに渡していたトップスター(引き寄せる者)を受け取り、外装の中へ放り込んだ。


 簡易に拠点を設立したら食事の用意。拠点の用意と言っても敷物ぐらいしか広げていない。毛布はある。

 横になったラクリアの周りに光の植物が広がっていく。これが浄化作用を持っているのだろう。

 幻想的な光景といえば幻想的だ。

 辺りを確認。洞窟の中。地面は岩。見た目よりも滑らない。水溜まりは遠目からでも底が見える。水溜まりというか地底湖かな。地底湖にしては小規模だし底の方で流れもある。地下水脈が正しい言い方かもしらん。

 天井はそこまで高くない。壁はしっかりと岩だ。長い年月水の流れによって削り取られて出来た地下洞窟と見る。


 天井や壁には棒状の虫を視認。ナナフシに似ている。掴むとキーキー鳴く。小型鑑定ルーペで覗いてみる。

 小型鑑定ルーペはルーペ自体がメモリー体、つまりトップスターだ。

 過去発見した巨大なトップスターから削りだして作られた。

 何万年も生きた巨大なホロウの死骸と共に転がっていて、その巨大なトップスターには大規模なメモリー機能が搭載されていた。

 この巨大なトップスターを長い時間をかけて区画分けし、無駄のないように削り出し、機能として抽出したのがこの小型鑑定ルーペだ。

 全世界に何万個もあり現在も教会が製造中。

 これだけで元となったトップスターがどれだけ巨大だったのかが伺える。ギルドでは備品扱い。ギルドで貸し出して貰えるし、ある程度信用を積めば売っても貰える。

 欲しかったらランクを上げて信用を得てって話だけれど、中古品が普通に雑貨屋に売られている。

 それに関して教会はノータッチ。富は皆で分配すべきが信条だからだ。

 教会で得られるものは公平に分配されなければならないというのが信条で、だから冒険者でも何でもない普通の人も所持している。

 偉いし、すごいよ。

 反面そうしなければ民衆からの支持は得られないし王族や貴族もうるさい。

 神と教会は同じ区分だけれど、教会は神じゃない。教会に務めている者は、あくまでも神に遣えている人だからだ。


 ルーペが皆に配られるメリットはある。

 メモリーは常に上書きされており、誰かが見た情報がギルドを通して登録され更新される。だから沢山の人が持っていて、情報を更新したほうが鑑定機能は向上する。

 一度調べた物でも別の発見はあるし、その発見は他の誰かが見つけなければ表示もされない。

 一度調べた物でも、もう一度調べ直し情報を更新する意味はあり、一度見て効果を知っている物でも、再度ルーペを見て確認することで新たな知識を得る事があるかもしれない。

 通常国や教会は学者を集めてルーペの情報を更新しているし、秘匿している情報もある。

 ルーペ自体に解析モードがあるので一般の人でも知識があれば情報の更新はできるよ。

 もちろん神との契約が無ければ使えない。


 アンノーンもある。

 未知のトップスターは使用して効果が判明しないとルーペには表示されない。

 それとエリシュの女神が関わっていることは間違えない。エリシュの女神はこの星の女神。この星に存在するもので知らないものはないはずだからだ。

 だからこのトップスターは別名エリシュの瞳と呼ばれている。

 小型鑑定ルーペと呼ぶ人もいるしエリシュの瞳と呼ぶ人もいる。

 正直言うとこのトップスターは完全に解明されたわけじゃない。

 おいらの考えでは人の知識を共有する機能を持ったトップスターだと思っている。自分が知らなくても他人が知っていれば情報が表示されるからだ。

 そして誰も知らない情報はアンノーンになる。あくまで仮説だけどね。

 じゃあアンノーンはどうすればいいかって男気鑑定するしかない。ちなみに男気鑑定とは使って見てどんな機能か把握する方法だ。リスクはある。

「ありがとうございます」

「何が?」

 エリシュの女神の知識でもアンノーンはある。

「布……温かいです」

 それはエリシュの女神が関わっていない創造物だから。

「枕も付ける?」

 ついでに言うと神々ですら知らないトップスターはある。それはエリシュの女神の力が作り上げたランダム要素であり、エリシュの女神本人にとっても、その能力自体がランダム要素だからだ。作り上げた世界律が独立して勝手に動いている。

「あるんですか?」

 それはエリシュの女神の憎しみの深さと愛情の深さなのかもしれない。

「腕だけど」

「腕……ですか?」

 外装から布を出して丸めて投げる。

「かっ‼ からかって‼ うそつきましたね‼」

 ルーペを覗いて見たけれど、食べられるかどうかは表示されないし、名前もカニモドキとしかでない。カニモドキってナナムシみたいな体なのにカニなんだと不思議に思う。

「少し、少しでいいので、手を握って頂けませんか?」

 こういう情報は更新しないとずっとこのままだ。体表を傷つけて血液を採取し、ルーペに垂らす。ルーペの状態が解析モードに移行し成分などが立体文字として中空に浮かびあがってきた。もっともほとんどが難しい化学式のようなもので、おいらはそこまで重視しない。食べられるか、食べられないかで判断できればそれで充分。

 おいらの唾液を垂らして反応を見る。緑なら食べられる。赤なら食べられない。

 緑だ。このカニモドキは食べられる。

 剥いて見ないと内部構造に関してはなんとも言えない。

「少しでいいので……」

「仕方ないなー」

 ため息は良くない。ため息を付かず、笑顔を見せてラクリアの傍へ。

 少しだけラクリアの手を握って待機した。


 それから水の中を索敵、平たい甲殻類、白いヒレの多い魚、それと足の多いサンショウウオ、サソリっぽいのもいる。結構生物が多い。限られた空間では取れる栄養素に偏りがあるので生物群は著しく少なくなるはずだけれど。

 天井から垂れているゼリー状の糸を視認。見上げると根本には小型のスライムなのか、粘状の物体がわずかにうねっているのも観測できた。粘菌かもしれない。スライムの亜種かも。

「エルフって肉食べても平気なんだっけ?」

「平気ですけど、前も言った通り、あまり食べませんよ」

「もういい?」

「……我慢します」

「別に置いて行かないから安心してよ。イザークは嫌な奴で最低だよ」

「ヴぁ‼ ……うー」

 ラクリアは起き上がり前のめりに、口をモニュモニュ動かして、怒っているのか、何か言いたげで言わない。顔が真っ赤だ。

「……もういいです。私が間抜けだったんです……」

「そんな事ないよ。イザークは最低だし最悪だよ。ゴミクズだね」

「フフフッ……そこまで言わなくてもいいと思います」

 おいらが他人の事をゴミクズなんて言う資格は無いけれど。

「ひどい目にあっていてほしい?」

「本音を言えばそうですね。ひどい目に会っていてほしいです。でも……もういいの。もういい。イザークの事を考える時間は、もう無い。彼は私を愛していなかった。それが全てで答えですから」

 おいらはそれに何も答えなかった。

 おそらくそんな事はなかった。でもラクリアが男であることには困惑したはず。のちにラクリアを思い、エルフの男児を囲ったのだろう。年老いて性欲が衰えたことで、愛情というものに気づいたのかもしれない。

 これはおいらの憶測、推測に過ぎない。

 王妃は心を取られたから怒って本に起こしたのだろうなと。

 折り合いをつけるのはどんな場面においても難しいよ。

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