横になってしばらく、下って来る音、起き上がり、誰が来るのか見ていると、それは女将さんだった。

「大丈夫ですか?」

 格子を掴む女将さんはおいらにそう言う。

「どうかしたの? こんなところまで、てか、良く入れたね」

 疑問しかない。

「今、解錠しますから」

 なんで解錠するのか。何処から鍵を持ってきたのか。

 カギを開けて、女将は中に入ってきた。背後に置いた手。あらあらあら。


 飛びかかって来た女将の手を止める。鈍色の光。危ない。ステータスが高くなかったら即死だった。普通に怖い。明確な殺意。暗い中でも歪んだ表情。目の色の濁り。飛び込んで来た女将の手を取り、引っ張って、回転。

 女将の馬乗りを回避、女将を下に馬乗り。

「参りました」

「なぜ?」

 女将の手から力が抜けたので解放する。女将は立ち上がり、埃を払った。

「とりあえず、ここを出ましょう」

 もともと逃げるつもりだったし、これで逃亡罪も追加だな。これぐらいじゃ神には見放されないけれど、さすがに善良な人間を殺したら見放される。

(私は見放しませんよ?)

 ヴェーダラ様は例外だ。


 牢から出て、地下から上がる。途中牢番が倒れていて、口に手を当てると呼吸はしている。

「寝ているだけですよ」

 ギルドに出ると、みんな、倒れていた。暴れたり、抗ったりする様子もなく、ルチル等は、椅子に座り机に突っ伏して眠っていた。

 薬、深睡香が脳裏に浮かび、マジやばくね。深い湖、なるほどね。

 深睡香は湖に沈んだ香木よりわずかに採れる成分を抽出して作る薬だ。効果は御覧の通り、成分が濃すぎれば寝たまま二度と意識を取り戻さない。お香として王族が珍重するような薬だ。まさかこんな辺鄙な村の女将が製法を知っているなんて。


 「私の名前、言っていませんでしたね。ミモザ、ミモザスティレットと言います」

 ミモザスティレット。その名前に聞き覚えはある。有名な盗賊の名前だ。

 盗賊団、赤の巨兵、その副長の名前。

 赤の巨兵はロンバルディ領においてもっとも有名な盗賊団の名前だ。そしてその副長がミモザスティレット。

 赤の巨兵はロンバルディにおいて、ロンバルティ公爵家に対して弓を引いた盗賊団だ。その際に用いたのが深睡香(しんすいこう)。

 盛大に炊き上げて街に攻め込んだ。巷では義賊、でもその実態は、その辺の盗賊と大差が無い。


 以前、王族に仕えていたスティレット家のご令嬢が行方不明になり、死亡扱いされた事件があった。そのご令嬢が生きていて、攫ったのが赤の巨兵の頭だ。

 生きているのはわかっていたけれどスティレット家としては、盗賊にかどわかされた傷物の娘を引き取らなかったというのが事実。

 おそらく母親からその事実をミモザは知らされただろう。

 スティレット家は王家に薬を献上しており、その一つが深睡香。

 ミモザは母を捨てたスティレット侯爵家、又そのお抱えのロンバルディ公爵家を憎み、戦争を吹っ掛けた。

 体裁ではそうなっており、実際ミモザはそのつもりだったのだろうけれど、他の者がそうかといえば否で、体の良い大義名分が欲しかっただけだ。


 赤の巨兵は街を占領したものの殲滅された。当時の頭は死亡、街の惨状に激高した騎士団は、盗賊達を捕らえず殺してしまった。生き残りも散り散りとなり、ミモザも行方不明。目の前にいるのが本物のミモザであるのなら、あの場からログズリー領へ逃げてきた。ととらえるべきだろう。

「私を知っているのですね」

 この争いには王子も、そしてヒロインである聖女も参加した。

 表向きにドラッベンラが参加するわけにはいかないし、ヴァーナヴィー家が他家の領地に入るのは越権行為。まぁ我儘を言って参加した挙句、ドラッベンラとしては足を引っ張り、エルフリーデとしては助けたり、情報収集をしたりもした。

 端的に言えば、王子はロンバルディ領主息子と頭を打ちとり、ヒロインは領民を助け、ドラッベンラは足を引っ張り、エルフリーデはヒロインを助けた。


 他領に他領の公爵家に連なる者が入り、力を使うことがすでに越権行為だし、ドラッベンラはまだ婚約破棄されていなかったので、次期王妃だ。

 ドラッベンラが紛争地帯にいるというだけで、莫大な人件費や労力もかかる。本来なら主力部隊にいてもおかしくない面々がわざわざやってきて何の役にも立たないドラッベンラを護衛しなきゃいけないのだから本当にお疲れ様としか言えなかった。


 王子や民からのドラッベンラに対する評価は著しく低いはず。

 ロンバルディ公爵令息はこれを機に一気に躍進し、功績をあげ、父親から子爵の領地を譲り受けていた。

 背が高く目の下に泣き黒子のある短髪だが艶っぽい感じのイケメソだった。おいらの近寄りたくないランキング上位勢で、向こうもおいらの事はよく思っていないはず。

 ただやはりイケメソはイケメソで、おいらの悪口なんかは言わなかった。

 同じ男としては惨めになるよ。

 エルフリーデとして接した感じ、奴隷に近い身分のエルフリーデに対しても分け隔てなく公平に接してくれた。


 現政権は過去から続く、比喩として男は戦い、女は家を守るなどの仕来りなんかを伝統や教えとして守っているけれど、跡継ぎたちはそれを古い考えだと思っている。

 特にヒロインは女性達の象徴となっていた、いるはず。

 その活動はいずれこの国を変えるだろう。


 おいらだったら面倒くさいことにはなるだけ関わりたくないと隅っこにいたはず。

 おいらとは全然違う。惨めで情けない、じめじめして、暗い。


 街の中は静まりかえり、地面に倒れている人もいた。みんな寝ている。

「朝になれば、起きるので大丈夫ですよ。量はしっかり把握していますから」

「どうしてこのようなことを?」

 ミモザはおいらを誘導するように前を歩き始め、おいらはその後を付いて行かないわけにもいかなそうだ。このままエスケープきめるのもなかなか良さげ。


 「最近、思い出すんです」

 一つの建物の前、この建物の中にはミモザが夕方会っていた人たちがいるはず。戦闘の準備と覚悟はしてある。

 外装の中ではエルフリーデが銃を構えていた。


 開いたドアの先、吹き流れた空気の流れにのって、ひどく酒の匂いが漂っていた。中に入ると、男達が倒れ、眠っているにしては顔色が悪すぎる。

「三十を、超えたあたりからでしょうか。昔の馬鹿だった自分を良く思い出すのです。どうしてあのような選択をしたのだろう。どうしてあのような行動を取ったのだろう。決して消えない記憶を思い出してしまう」

 ミモザの手にはナイフが握られていたが、ミモザはそれを振り下ろしたりせずに、ゆっくりとテーブルへと置いた。


 「この土地に来て、私は初めて人間らしい暮らしができた気がします。こんな穢れた魂と体でも良いと言ってくれる人もいて、どうしてもっとこの人に早く出会わなかったのだろうと、どうして私はあんなに愚かだったのだろうと、全部消してしまいたくなるんです」

「どうして私にそのような事を話すのですか?」

「この人達は助かりません。丁度居合わせた貴方を殺して、あなたに罪をなすりつけるつもりでした」

「そうしないの?」

「殺し損ねてしまいましたから。それに、もう、ナイフで人を殺すのには疲れました」

「これからどうするの?」

「自首します。処刑されるでしょうけれど、それが、こんな私を愛してくれたあの人へのせめてもの償いです」

「娘はいいの?」

「あの子は、適当に遊んでいたころに出来てしまった子供です。父親が誰かもわかりません。正直に言って、愛せているのかと言えば否です。欠片も感じない。母親であるのに。あの人はあの子のことも大切にしてくれるでしょう。あの人の子供が欲しかった。私はやはり冷酷ですね」

「ここの人達は全員、人殺しなのね?」

「えぇ、赤の巨兵の団員です。こっそりと生きていたのに、見つかってしまって、昔は何ともなかったのに、今は、ひどく、拒絶を覚えてしまって、抱かれたこともあるんですよ。それがひどく汚く思えてしまって、苦しくなるのです」

 言葉の羅列があまり上手ではない様子から疲れているのが見て取れた。結構自分本位に話すね。誰かに心の内を聞いてほしかったのかもしれない。旦那に醜い部分を見せたくない。旦那の心を傷つけたくないと思っているのかもしれない。相手を傷つけたくないと思うのは悪い事ではないけれど、それで相手を苦しめる事案が増えるのならば本末転倒だ。


 「もう人殺しも、母親のことも忘れるのでしょう?」

「忘れる事はできません」

「そう。別に自首しなくてもいいと思うよ」

 そう告げると、ミモザの顔は苦しそうに歪んだ。

「その方が辛いのでしょう? 迷ったら辛い方を選べっていうのが、うちの家訓なの。死んで楽になるより、生きて辛さを味わいなさいな」

 ミモザも限界だったのだろう。涙を流して、その場に崩れ落ちてしまった。年を取ると昔を思い出す。母も良く言っていた。昔の馬鹿だった自分をぶん殴ってやりたいと。たぶん、それが普通で、おいらも多分、そうなる。


「謝って済むことではないけれど、ごめんなさい」

「まぁ、腹は立ったし、一回蹴飛ばしてやりたくもなるけど、まぁ、そうね、まぁいいわ。命を奪いに来たことは忘れてあげる。本気じゃなかったでしょうし、それにあなたの子供、そんなに悪くないわよ。二人目の子供ができても大事にしてあげてね。まぁ私が言わなくともそうするだろうけれど」

 まぁまぁまぁまぁ、まぁばっかりだなおいら。

 指を鳴らす。

 瀕死の男達は八つ裂きになり、刹那にして部屋が赤く染まった。

「な……え?」

 ミモザの呆気にとられた顔を見る。赤く染まった部屋の中、屈んで飛び散った血を手に付ける。

 立ち上がり、ミモザの傍へ。ミモザは何が起こったのか判断できず、ただの微動だにもしなかった。ヴェーダラ様の分体に始末してもらった。


 彼女のおかげで簡単に村を抜け出せるのも事実だし、本当に殺そうと思ったのなら、ナイフなど使わず、可燃材をまいて火の神の加護でギルドごと焼き払ってしまえばよかった。


 火の神の加護を授かっているということは、ミモザの自責の念や、心の変化を神が認めたということ。

 彼女がもともと契約していた神は、おそらく火の神ではないだろうし。


 神は寛大で、妊婦を犯して殺し、腹を裂いて子供を取り出して殺すぐらいの事をしなければ追放などはないし、心を見抜くのでそんな輩はそもそも契約できない。

「もう人を殺さないようにね」

 そうは言っても、世の中には悪い人間がいるわけで、この世界において正当防衛で人を殺すことは多々ある。

 ミモザの頬に血の付いた手を寄せる。べっとりと頬に付いた血に、ミモザはぺたりと尻もちをついた。

 力で他者を虐げる者はより強い力に虐げられる。

 悪はより強い悪に飲まれる。

 王家はミモザが生きているのを容認しないだろう。王子が例え善人であろうとも、王子のためなら汚れても構わないという連中が、王子の影を血で汚す。


 ミザリー子爵令嬢がログズリー領でおいらを見つけたのにも関わらず、王都に連絡をしたのは、ログズリー公爵家がおいらを匿う可能性があったからだ。

 ログズリー公爵家の誰かと婚姻させたり、子供を作ったりすれば、実質的にヴァーナヴィーの正統後継者を手に入れたも同然だから。

 まぁそうなったのなら、ログズリーに保護されたのなら、男児が生まれるまで子作りさせられるかもしれない。それは嫌だな。

 とは言え王都の迎えが来たら、逃亡罪を上乗せされて、いよいよヴァーナヴィー家もおいらを庇うことはできなくなる。おいらは確実に処刑されるだろう。


 ドラッベンラヴァーナヴィーの未来には暗雲しかない。

「これであんたはただの女将よ。それと、名前変えなさいよ」

 そしてそれはもう、他人事ではない。

「貴方……なにものなの?」

 そんな怖がらないでほしいと言っても無駄そうだ。

「ミモザスティレットよ」

 そう言うとミモザは顔を引きつらせていた。

「あんたの大切な人を殺すのも容易よ。わかるわね? あんたはもう、ただの女よ」


 街の外へ出る。

 心に開いた寂しさに風がしみ込んで痛い。外装から取り出した鎮静剤を咥えて自分を慰めた。一人は好きだけれど、一人は辛い。

 遺跡、探さないと。

 しばらくは、遺跡暮らしで、魅了の腕輪と制約の腕輪を作り、ボルテクスリナを捕まえることにする。


 本人が存在しなければ、ドラッベンラが生きている証明にはならない。ミザリーは証明ができず、手柄欲しさの虚言だと責められるだろう。貴族社会はそういうものだ。

 おいらはミモザと名乗った。女将はおいらをミモザとするだろう。そうしなければ旦那を殺すと脅してある。

 ドラッベンラの性格や性能でこの惨状はありえない。ドラッベンラは習い事以外無能だからだ。まぁなんなら習い事も一応は無能だ。評価は金と権威で買ったことになっている。

 人も殺せない臆病者。それが本当だったらよかったのに。


 ミザリー子爵令嬢には悪いけれど、平手打ちの借りはそれで手打ちにしてあげるよ。

 今度会ったら、蹴っ飛ばしそうだしね。


 おいらは一人で、この国と戦える。

 女神が現れたのはおいらを牽制するため。

 この国を壊さないでと、そう言っている。

 外装の中でエルフリーデに夜術書を握らせる。今は我慢しなくていい。せっかくだから、遺跡までの道中、敵を殲滅してあげる。


 脳裏に浮かぶ、ミーナという少女の姿。

 ダーリン、精々いい女になりなさいな。

 そんな言葉を脳裏に浮かべ、一人で気持ち悪いなと思ってしまった。


 夜術書に通した魔力、発動する術はブラックドッグ。

 現れたるは無数の獣。果てることのない化け物たち。

 現れたヌイの背中に乗る。ヌイの体が夜を吸い込み膨らむように巨大となり、草一本残すつもりはない。


 ストローマンでも、トートロジーでも使ってあげる。







 一章はこれで終わりデス。

 需要あれば続き書きます。




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