プロローグ②

 物心がついた時、ぼくはドラッベンラ、ヴァーナヴィーだった。

 どうしてかと問われると困る。ふと、気が付いたら、ぼくはドラッベンラだった。いつの間にか湧き上がって来た泡のように、現れて、はじけて、ふと気づく。


 母親が亡くなった。


 ぼくは六歳で、涙すら流れなかったのは、現実味が無かったからなのかもしれない。

 面識の無い母親がいつの間にか亡くなっていた。

 寝て、目が覚めても、ぼくはドラッベンラのままだ。


 ぼくには父と母と兄と妹がいた。

 母はシナリオライターで、良く乙女ゲームのシナリオを描いていた。父は普通の会社員。二人は所謂オタクで、そういうものが好きだった。

 兄も妹も、父と母と同じように喜び、共感し、熱狂する。

 兄は居間で良く母の書いたシナリオゲームの試作品をプレイさせられていて、それを楽しそうにこなしていた。


 ドラッベンラヴァーナヴィー。母の書いていたシナリオの、所謂悪役令嬢。悪の令嬢では無くて、悪役。長いくせ毛のある黄金髪が垂れて来て、触ってみても、感触ばかりが現実を伝えて来て、困る。景色が違う。


 母の台本にはドラッベンラに関して、事細かに詳細は書かれていた。でもその詳細がゲームに登場することはない。ドラッベンラはあくまでも嫌な悪役で、主人公の邪魔をする踏み台。その生涯に関してはあまり語られない。

 ヒロインが、好きな相手、攻略相手と結ばれるための道順が重要であって、悪役やその他に関して深く掘り下げると気持ち良くならないからダメだと母は言っていた。

 ゲームはプレイヤーを気持ち良くさせるためだけにあり、その他の要素を取り入れると売り上げに影響が出る。全ての人に需要があるように作るのは難しいけれど、マニアックよりはマイノリティ、ややマジョリティを目指す。

 そんな母の話をぼんやり聞いていた。


 そうなんだ。


 母にそう言うと、母は少し困った顔をして、そういう態度はよくないと諭された。

 それを否定に感じる人もいる。現実や生命は確かに絵や物語よりも素晴らしい。けれど、命よりも絵や物語の方が素晴らしいと言う人もいるのだと。

 希少なイルカのためならば、大勢いる人の命など、奪っても構わないという人もいるのだと母は言った。

 たった一つの命より、希少な絵の方が大事と言う人もいるのだと。

 お母さんは敵がいっぱいいるからよくわかると言った。

 人は否定に対しては敏感だけれど、自分が否定していることには気づかない。

 好きなものにしか興味がないという女性を伴侶に選ばないようにねと、母はぼくの頭を撫でた。母はきっと沢山傷つきながら生きてきたのだと思う。傷ついた数だけ寛容になる。そしてぼくの言葉、そして態度は母をまた傷つけたのかもしれない。

 ドラッベンラという名前を採用している時点で、母の意図はわかる。潜ませた女性の本質。母の女性の捉え方がわかる。でもそれは、母が思っているだけで全てじゃない。そう思ったけれど、それを母に言う事はできなかった。


 ドラッベンラヴァーナヴィーは悪役令嬢だ。

 六歳で母を亡くし、十二歳で社交界デビュー。この国の王太子と婚約する公爵令嬢。

 父は王族で王からの信頼も厚いヴァーナヴィー公爵家の婿養子。母はヴァーナヴィー公爵家の忘れ形見。母はドラッベンラが六歳になると病気で死亡する。

 九歳になると父は後妻を取り、後妻は長男を出産、のちドラッベンラとの折り合いが悪かったため、ドラッベンラは本宅から離れに移される。

 その後も後妻や長男とは仲が良くない。

 十五歳でヒロインと出会い、十六歳で婚約解消、ヒロインの選択肢により刑が決まる。

 正直、婚約解消ぐらいで死刑や流刑になることは無いと思うけれど、シナリオ上は存在する。結局自分のしでかした不始末で命を落とすことになる選択肢はいくつかある。


 ヒロインがいくら聖女などの特殊な条件を持っていても、王妃になるのは難しいとドラッベンラは足掻く。純愛でも側室にしかなれない。これは身分制度のせいだし、ヒロインが王族の血を引いていない限りは難しい。


 過去行方不明になった王族の血を受け継いだ娘だと発覚するシナリオはある。かなり遠縁で事実かどうかも怪しいけれど、王族がそれを認めたならば、些細な問題。しかしドラッベンラの悪あがきは見事に玉砕することにはなる。


 自分がドラッベンラと呼ばれている事。

 設定が似通っている事。

 母が死んでいるという事実より、まさかとは思うものの、鏡を見る限り過去の自分とはあまりにもかけ離れてしまっている事実。これが夢ではないこと。

 まさかとは思うものの、まさか、まさかとは思うものの、事実は受け入れなければいけないんじゃないかと思ってしまった。


 北の流刑地、教会辺りに送られるのが最適だろうか。


 使用人が来て、ぼくの身の回りの世話をし始めた。

 何から何まで他人がしてくれる。六歳の体は小さい。

 悪役である以上、ヒロインが結ばれるために役をこなさなければならないと思う。悪役が悪役でなくなっては、世界に影響が現れるかもしれない。良し悪しにかかわらず。

 食事、机、広すぎ。父親反対側、遠い。

 父親という実感がないし、何を話せばいいのか、とりあえず食事をする。普通に食事をする。確かドラッベンラの父親も攻略対象だったはず。

 父を見ると、普通に小奇麗だった。背が高くて細身、おじさま感はまだないが、ヒロインと出会う頃には出てくるのかもしれない。


 父親と髪の色が違う。

 黄金の小麦畑と揶揄される金髪は母親譲り、これは設定どおり。父親の髪はホワイトシチューみたいな色だ。なぜってぼくが今食べているホワイトシチューの色にそっくりだからだ。

 父親は何も言わなかったけれど、設定では愛されている。設定では、だけれど。母が亡くなって間もないし、何を話せばいいのか、迷っているのかもしれない。

 ご飯が終わって、何をすればいいのか迷っていたら、先生が来て、お稽古を受けるらしい。

 ていうか、何、何、だるいだるいだるい。

 ぼく六歳です。六歳なのにスケジュール管理されています。

 何何何、午前中からピアノとヴァイオリンの稽古って何、だるいだるいだるい。

 午後からは貴族の礼儀作法や座学、公族における女性の在り方を永遠と説かれた。特に女性は各こうあるべきだと散々説かれた。女性の先生に。

 うぇ……うぇぇええええ。吐きそう。吐きそう。

 自由時間が無い。六歳ですでに自由時間が無い。失敗するとモモを鞭で打たれるんだけど、いたっいってぇ。

 先生、一ミリも笑わないんだけど。きついきついきつい。

 入浴時間も寝る時間も決まっている。

 使用人が体や髪を洗い、寝る前には変なオイル、良い匂いのするオイルを全身に塗られ、変な飲み物、甘い匂いのする飲み物を飲まされ、全裸で寝させられる。

 ベッドがすごいんだけど。体が沈むどころじゃなくて埋もれる。夜寝るのが早いので、朝起きるのも早い。起きたら使用人に連れられて運動させられる。健康になっちゃうよ。

 終わったら全身をメイドさんに布で拭われる。父親と朝食、そして稽古。何何何、今日はピアノじゃないって、ヴァイオリンでもない。今日は歌だって、そんな声でるわけないでしょ。歌えないと叩かれる。


 稽古や習い事はまだいいけれど、思想教育がすごい。王族に対してどのようにあるべきか、貴族としてどう振る舞うべきか、食事の所作から、些細な佇まいまで。

 本を頭に乗せて歩くって本当にしている。馬鹿みたい。ぼくが。歩くけど。

 昼食はちんまり、甘いお菓子などはなし、きっちり管理されている。

 夕食は父親と一緒。

 作法で、父親が食べ終えてから食事をする。

 めんどくさっ。そう思うのに、時間はかからなかった。貴族ってもっと自由だと思っていた。実際は思っていたよりもだいぶきつい。これが夢なんじゃないかと起きるたびに思うけれど、夢じゃないのを起きるたびに実感する。

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