火鉢

 昔、家は質屋だった。おじいさんが14歳の頃までだから、私は話し以外では知る由はない。当時の記録を載せた書物などは昔の戦争で消えてしまい、いま知る術はおじいさんの記憶の中にしか残っていない。

 その中で印象に残ったエピソードをひとつ。


 おじいさんが学校から帰ると、店に薄汚い火鉢が置いてあった。

 当初は『お客が売りに置いていった物』かと思って興味深く眺めていると「そいつは価値のある物だからさわるんじゃねぇぞ」と親父が奥から出てきた。

「えっ!? これがぁ?」と眉をひそめると、親父は「いわくつきなんだよ」と得意げに言った。慌てて火鉢から離れると、親父の背中に隠れるようにして身をひそめる。

 いわく憑きの物が店の中に置かれることはよくあることなのだが、この時ばかりは不思議と怖く思ったという。

 すぐさまに「いったい誰がそんなものを買うのか」と聞くと、「世の中、変わった物を欲しがる悪趣味な人はいっぱいいる。そういった客は大事にしないといけない」と笑っていた。


 親父が言うには、こんな逸話が残されていた。

 流行り病で夫や家族を亡くした母親は、息子を異常に溺愛していた。残された家族だったのだろうか。息子もまた母親を溺愛していた。

 そんな家へ嫁が入り、姑(しゅうとめ)戦争が始まったのも言うまでもない。

 息子も頭を抱え込み、母(姑)と嫁への喧嘩に苦しんでいたという。ある日、母が病で倒れ、また1年後には看病虚しく亡くなったそうだ。

 悲しみにくれた息子は、母を溺愛していたがため奇行に走った。嫁に3食毎日、母のお骨を盛ったのだ。

 息子は、お骨を食べた人が妊娠するとお骨の主が宿る、つまり母親が生まれ変わるとの言い伝えを信じていた。

 何も知らない嫁は、母親の死に夫が優しくなったのを垢がとれたかのように安心したと言っていたそうだ。

 その後、子に恵まれ喜び、元気な女の子を産んだ。

 息子と嫁は大事に育てていたが奇妙なことに日に日に赤子は痩せていった。

 医者や嫁の看病虚しく、赤子は1年でまるで小さな老婆のような異様な姿となっていた。


 ある日突然、赤子は「この女があたしを殺したんだよ」と声を荒げた。言葉は愚か這うことさえできないにも関わらず赤子は嫁に向かって憎しみをこめ睨んでいた。

 嫁は大声でわめき、叫んだ。「人殺し」と罵る我が子を火鉢へ投げ入れた。

 ところが、赤子は嫁の袖をしっかりとつかんで離さない。赤子にしては信じられない力だったという。火が生きているかのように赤子から嫁へと火が燃え移り、夫は水をかけるどころかその場に動けないでいた。

 嫁は「助けて」と叫んだが、自分の力ではどうにもできないと逃げ出してしまった。


 気が付けばすべてが燃えてしまった後、残ったのはこの火鉢だけだった。

 母が大事にしていた火鉢なので、形見にと思ったのだが、毎夜毎夜、火鉢からあの赤子がひょっこりと顔を出す。夫の名を呼びながら……親父はそう言い終えると、コップ一杯の水を口に含んだ。


 寺ではなく家へ持ってきたのは、火事の後で少しでも金が要るのだろう。足元を見て親父は安値で買ったのだ。

「でもそんな呪われた火鉢なんか売って、客が呪われたらどうするんだよ」と聞くと「俺だってプロだ。なにか憑いていれば祓って売るさ。客が死んじまったら食っていけねぇからな! それにこの火鉢は呪われてなんかいねーよ。見たところタダの火鉢だ。化けて出てくるなんて、聞いたことも見たこともねーよ。呪われているとすれば……」


 それから数日後の新聞に、『奇声を上げ火事の中へ男が飛び込み死亡』という記事が載ったそうだ。

 親父はパラパラと店の帳簿を見るとほくそ笑む。

「店番頼む」というと、新聞と火鉢を持って、上等な下駄に履き替え出かけて行った。

 きっと今日はこちそうだ。


 おじいさんが初めて複雑な気持ちを味わったという。

 話の流れでどうしてごちそうなのかと、聞いた。すると、『いわく因縁つきの火鉢を金持ちに高値で売りつけるんだよ。もちろん、ちゃんと祓ってから売るさ。商売は信用が第一。売った客に何かあったら、うちはもう帰る場所さえなくなってしまうからな』と語っていた。

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