魅せる壺

 昔、家は質屋だった。おじいさんが14歳の頃までだから、私は話しでしか知らない。だけど面白いエピソードをいくつか聞けた。


 親父は商売の他に鑑定士もしている。

 依頼の品が大きな物の場合はお客の家まで出かけるため、おじいさんはその間店番をさせられていた。

 店番とはいいつつも目利きが出来るわけではないので、売りに来たお客は後日にしてもらい、買いに来た客の相手だけをしていたという。

 しかし、田舎の質屋に客なんてそうそう来るものではなかったと。


 その日も大した客が来ず、店を閉めようとしたときだった。

 珍しく大きな荷物を背負って客がやってきた。

 これは売りか鑑定の客だと思い後日に来てもらおうとすると、店に入るなり風呂敷をドンと置いた。客は見てくれと言わんばかりに風呂敷をめくると中にあったのは立派な朱い壺だった。雲のようなゴツゴツとした朱い模様に木々に見立てた黒く塗ったものが描かれていた。

 親父はいないと言うと、太った客は聞いちゃいないとばかりに語りだした。

 客は趣味で骨董を集めている方で、この壺は無名の作家の作品で価値のあるものではないのだけれど、人によっては全財産を投げ打ってもいいと言い出す人がいれば、ゴミ同然という人もいるので、どういったものなのか詳しく知りたいという。

 もし善くない物なら、どううればいいのか聞きにきたそうだ。

 鼻で笑いまったく壺に興味がなかったのだが、話しを聞きながら壺の模様を目で追っていた。すると、壺からわずかだが何かの音色(?)が聞こえてきたそうだ。


 客はペラペラと語りだし止まらない。

「――それでね、私は後者側でこの壺の価値が解らないんだけど、前者の間で勝手に呼ばれている名前があってね…」

「ヒグラシ!?」と突然叫んだ。客はビックリして同調するように言った。

「そうなんだよ。ヒグラシと呼ばれているんだ。なんで判ったんだ?」

 客に聞かれたが、おじいさんにはハッキリと聞こえたそうだ。

 壺を眺めているとヒグラシの鳴き声が聞こえてくる。客に許可をとることなく壺の中身を覗き込むがそこにはなにもなく。真っ暗で空っぽの空間だけがあるだけで音の正体を知ることはなかった。

 これはもしかしてとんでもない掘り出し物ではないかと思ったおじいさんは思わず嘘をついてしまった。

「お客さん、これはダメだよ! 善くないものだ。人の魂を吸い取ってしまういわくつきの壺だ。お祓いしなくちゃいけない。危険だからうちで引き取るよ」

 なぜこの時ばかり嘘をついてしまったのか。後に語っていたことなのだが、『この壺に魅せられてしまった。なんとしても手に入れたくなった。だからとっさに嘘をついてしまったんだ』と後悔の顔を見せていたのはこのときだけだった。

 慌てた客は風呂敷ごと壺を置いて帰ってしまった。

 おじいさんは壺を眺めながらとても良いことをしたと思ったそうだ。

 あんな価値が解らない人がもっているより、うちにあったほうがよっぽどいい。

 それに、タダでこんないい物を手に入れたんだから、親父も喜ぶだろうと、ほくそ笑んでいた。


 ところが、帰ってきた親父は喜ぶどころか、大目玉を食らった。

「バカヤロウ! うちは鑑定屋だぞ。信用が第一なんだ。そんなことをして商品を手に入れたんじゃ、誰が買うってんだ!! 物の価値を決めるのが商売。客の価値なんて誰がつけろって言った!!」

と怒鳴られ、結局は壺は持ち主に返されてしまった。


 おじいさんは、もう一度あの壺に出会えるのなら全財産を投げ打ってもいい、と言っていたが、戦争になって行方は分からなくなってしまったそうだ。

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