第17話『視線』
誕生日に浦沢さんから口説かれたけど、それ以降は特に何も言われていない。そもそも、二人っきりになるシチュエーションが無いから仕方がないか。
仕事中は他の社員の目があるし、夜に飲み会をやっても、私は一人だけ先に帰っちゃうからなぁ~。
それでも、会社に出ると精神的に休まる時が無い。何か私の方を見られているような気がするし、第一、シラフの時に改めて口説くと宣言されているからだ。
その時はいつ訪れるのか?全く予想が付かないけど、その日が来るまでに早く私の気持ちをハッキリさせておかなきゃならんなぁ~。
でも、焦って間違った答えを出してもしょうがないし、かと言ってのんびりとはしてられない。何とも、もどかしい気分だ。
他にも気になることがある。同じチームメンバーとして働いている三原さんのことだ。彼女は元々、あまりおしゃべりな人じゃないけど、それなりに社内のメンバーとは上手くやっているようだった。
いつも物静かで落ち着いていて、仕事もソツなくこなしている。だけど、どうも私に対する態度が他の人とは違うような気がするのだ。
具体的に何がどうって言うのは難しいけど、何だか素っ気ない感じがするし、私が浦沢さんと何か話をしている時によく視線を感じる。
もしかしたらだけど、彼女は浦沢さんのことが好きなんじゃないだろうか?浦沢さんが私に対して接し方が違うのを敏感に感じ取って、私に対して嫉妬しているのかもしれない。
もしそうなら、私は身を引いて、彼女に浦沢さんを譲るべきだろうか?まだ私は浦沢さんに対しての気持ちがハッキリとしていない。こんな微妙な状態だと、彼女を差し置いて私が浦沢さんと親交を深めるのもどうかと思う。
三原さんはまだ24才と、年齢も若いし、浦沢さんに釣り合う相手なんじゃないだろうか。私みたいなオバサンが浦沢さんと結ばれるよりも、ずっと現実的な恋愛なんじゃないかと思うし。
実際のところ、私は浦沢さんに対する気持ちがハッキリしていないからなぁ~。こんなあやふやな状態では、私の出る幕は無いと思う。
だからといって、キッパリ浦沢さんを諦められるのか?と問われると返事に困る。私は一体、どうしたいんだろう?事の当事者なのに、自分で自分のことが分からない。モヤモヤするけど、どう答えを導き出せばいいのか分からない。この年になって、こんなことで悩むなんてなぁ~…。
私がまだ若い、20代の頃だったら良かったんだけど、43にもなるとねぇ~…。
ある日の仕事中、チーム内で打ち合わせを行う。ちょっとクライアントの要求するレベルが高過ぎて、技術的に実現不可能だということで、どう落とし所を見つけるのか、その辺を話し合ったのだ。
「とにかく、リクエストされたからってハイハイ従っていたんじゃキリが無いですから。出来ることと出来ないことをハッキリ伝えるより他に無いと思うんですよ」
片岡さんがそう力説する。確かに、私も同じ意見だ。ところが三原さんが手を上げて、
「今回クライアントからリクエストされた機能でしたら、Pythonでスクリプトを組めば実現可能だと思いますけど。実行環境にも問題無いですし」
と言った。何だ?そのパイソンってのは。聞いたことがないけど、スクリプトって言ってたから、プログラムの一種なんだろう。この人はプログラミングも出来る人なのか。
「このチームでPython書ける人って誰かいるのかな?三原さん、工数的に一人でも引き受けられる?」
片岡さんがそう質問すると、三原さんは表情一つ変えずに、
「私一人で出来ますよ。今日中に仕様書を書いて、今週中にはコーディングも終わると思います。それで良いですか?」
何て言うか、三原さんってスゴイ人なんだなぁ~。この会社は仕事が出来る人ばかりなんだけど、その中でも頭一つ抜きん出ている感じがする。まだ若いのにスゴイなぁ~。
「それじゃ、三原さんにお願いしちゃおうかな。とりあえず、他の人は自分のタスクに戻ってもらって、三原さんはどういうプランを考えているのか説明をお願い」
そんな訳で打ち合わせも終了。私達は自分の席で作業に戻る。私もWebデザインの職業訓練で、簡単なJavaスクリプトなら書いたことがあるけど、本格的なプログラムは書いたことも読んだことすらも無い。やはり、私もプログラミングの勉強をしておくべきだろうか?HTMLとCSSの読み書きが出来ますよ~ってだけよりは、仕事の幅が広がるかもしれない。
仕事に役立つ人材として評価される為には、自分のセールスポイントを磨いておけって、何かで読んだことがある。私もただ与えられた作業をこなすよりも、三原さんみたいに自分から手を上げて仕事に取り組むようになった方が良いだろう。三原さんが言っていたパイソンってのを、私も勉強してみようかな?とりあえず、家に帰ったらネットで調べてみよう。
三原さんは有言実行の人で、本当に週末までにはスクリプトを仕上げていた。片岡さんも「もう出来たの!?」なんて驚いていたし、私も他のチームメンバーもビックリしている。
「へぇ~、三原さん一人で作ったの?スゴイじゃないですか」
浦沢さんも、三原さんの働きぶりに感心している。でも、三原さんは自慢するでもなく、得意げになる訳でも無く、いつもと同じ落ち着いた表情をしているだけだ。
「そんなに難しいことはやっていません。ソースコードを見て頂ければ分かると思いますが、ステップ数もそれ程多くないですし、単純処理の組み合わせです」
そう、事もなげに話している。三原さんが書いたソースコードは私も見せてもらったけど、全然理解出来なかった。まるで何かの暗号文を読んでいるような印象だったんだけど、プログラミングも出来る人なら分かるんだろうか?まだ私には難し過ぎる内容だったな…。
一応、私もプログラムの勉強をしておいた方が良いだろうと思い、ネットで色んな解説サイトを見てみたんだけど、初心者向けと謳っているサイトの内容ですらチンプンカンプンだった。やはり、一朝一夕にはマスター出来るもんじゃないんだろう。
三原さんレベルに達するまでには、どれぐらいの時間が掛かることやら。気が遠くなるような話だけど、HTMLとCSSだって最初は何が何やら分からなかったんだ。プログラミングも努力次第では何とかなるだろう。
…今何か、三原さんの視線を感じた。表面的にはいつもと変わらない、落ち着いた雰囲気の顔だったけど、私を冷笑するような視線が感じられた。「どうよ?アンタなんかにはこんなこと出来ないでしょ?」って、そう言われたような気分だ…。
もしかして、私を見下している?イヤ、気のせいか?でも確かに、今視線が合った時に三原さんの雰囲気が、一瞬だけど変わったような気がする。私の思い過ごしなら良いんだけど、三原さんとは浦沢さんとの関係もあるしなぁ~。
…イヤ、そもそも三原さんが浦沢さんのことを好きなのかどうかも、本人の口からハッキリ聞き出した訳じゃないし。ただ何と無く、私が主観で思っているだけのことなんだよな…。
単に私の被害妄想なら別に良いんだけど、彼女が私に対抗心を燃やしているのなら、ちょっと面倒だなぁ…。
私は「貴方の挑戦、受けて立つ!」なんて大見得切られるようなレベルじゃないし。職業訓練で半年間Webデザインの勉強をやったけど、現場ではまだまだ半人前ってところだと思う。
仕事のことだけじゃなく、浦沢さんに対してもだ。私みたいにブクブク太って、人生に疲れ切ったようなオバサンが、恋愛で競い合うなんておかしな話だし。何をどう比べても、私は三原さんには到底敵わないと思う。
競い合う以前に、同じスタートラインにすら立てていないんじゃないだろうか。若さも美貌も無い、仕事のスキルだって負けている。こんな私なんかじゃ、はなっから勝負にならないだろう。
それでも浦沢さんは、私なんかで良いと言ってくれるんだろうか?あの時はただ、酔った勢いで誘って来ただけなんじゃないのか?本当に、本気で私を愛し続けてくれるのなら…、私はその気持ちに応えるべきだろうか…?
もしも私が魔法使いだったら、せめて20年ぐらいは若返りたい。時を戻して人生をやり直したい。この世に奇跡も魔法も無いってのは分かっている。
年齢を重ねるにつれて現実を知り大人になった。それでも、もしも出来るのなら、せめて夢を見ていたい。生きるだけでも辛いこの世の中で、少しぐらいは良い夢を見させてもらいたい。
緒方さんが見せてくれたような夢を、浦沢さんも私に見せてくれるんだろうか…?
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