第16話『happy birthday』

 43才の誕生日を迎えた。さすがにこの歳になると、嬉しくもなんとも無いわ。また死に一歩近づいたか~って、その程度の話だ。

 一応、風香からは朝一番におめでとうを言われて、誕生日プレゼントに肩叩き券をもらったから、それ自体は嬉しいんだけどさ。

 他に親しい友達もいないし、誰も私の誕生日なんか祝ってくれないだろう。今日も普通に仕事をやって、普通に1日が終わるだけ。親からも、メールでおめでとうって言われた程度だし、全然特別な日だとは思っていなかった。会社に行く迄は。

「幸子さん、お誕生日おめでとうございます♪」

 会社に入るなり、突然クラッカーの洗礼を受ける。一瞬、何が起こったのか理解出来ずに呆けてしまった。

「えっと…、これは何でしょう?」

 私に対しておめでとうと言われたのに、何故か他人事のように感じてしまった。全然期待していなかったし、今まで働いていた別の会社でも、誕生日だからってお祝いされたことなんか一度も無い。

「イヤだなぁ~、今日は幸子さんの誕生日でしょ?おめでたい日じゃないですか」

 片岡さんはそう言って、またクラッカーを鳴らした。全然期待していなかった。それなのに、この会社の人は、私におめでとうと言ってくれる。何これ?めっちゃ嬉しいんですけど。自然と顔が綻んでしまう。

「玖珂沼さん、誕生日おめでとうございます。細やかではありますが、今日は業務後に誕生日パーティーでもしようかと思ってますので。ご出席して頂けますか?」

 そう浦沢さんに言われた。誕生日パーティー?私の?会社の人にこんなことをやってもらえるなんて、夢みたいだ。これは断れないでしょ~。

「あ、はい、私は大丈夫です」

「それじゃ、決まりですね。今日はみんな、残業しないで定時に上がりましょう」

 浦沢さんの提案に、全員賛成する。入社してから3ヶ月ちょっとだけど、この会社ってこんなんだったっけ?私が入社してから今日までの間、他の人の誕生日を祝ったりは無かったはずなんだけど。

 たまたまなら別に気にしなくても良いとは思うけど、私だけ特別扱いしているんだったら、ちょっとこれはどうかと思うんだけどなぁ~…。


 誕生日パーティーの会場は、いつもの居酒屋だった。まぁ、普通に飲み会してくれた方が気が楽だっていうのはあるけどさ。せっかくだから、オシャレなバーとか行ってみたかったってのはある。

「それでは改めまして、玖珂沼さん、お誕生日おめでとうございます」

 そう言って、浦沢さんが真っ赤な薔薇の花束を渡して来た。これは…喜ぶべきことだろうか?私の人生で、薔薇の花束なんて今初めてもらったわ。もらったところで何の役にも立たないんだけど、無下に扱う訳にはいかんだろうな。

 しかし、薔薇の花とは意味深だな…。本当に、単に誕生日を祝ってのものなんだろうか?本当に浦沢さんは、私のことを他の社員と同列に見てくれているんだろうか?変な意味で特別扱いしているんだったら、ちょっと対応に困るんだけど…。

 そして浦沢さんが乾杯の音頭を取ると、皆んなこぞってグラスを合わせてくる。嬉しいことに、今日も私が主役の飲み会なんだな~。

 ケーキは無いけど、このお店の料理なら何でも好きだ。今日も呑み代は会社持ちだから、気兼ね無く呑めるし良いことだ。仕事は定時で上がったからいつもより早い時間だし、今日はジャンジャン呑めそうだぞ。

 ホッケの塩焼き、鶏の唐揚げ、じゃがバター、私の好物がジャンジャン運ばれてくる。今日は私の誕生日パーティーなんだから、遠慮なくご馳走になろう。生ビールが美味い!ハイボールもサワーも美味い!居酒屋最高!

 どんどん呑んで酔いが回って来た。憂鬱な気分は引っ込んでテンションが上がってくる。

「幸子さん、ご機嫌になって来ましたね~。今日はジャンジャン呑みましょう!」

 片岡さんが赤ら顔でグラスをカチンと合わせてくる。この人は、酒が入るといつでもご機嫌だ。

「はい、今日は遠慮なく呑ませて頂きます!」

 自然と笑顔になる。他人とのコミュニケーションも苦にならない。やはりお酒の力は偉大だ。大袈裟ではなく、まさに魔法の媚薬といったところか。こんな私でも、酒に酔えば饒舌に話が出来るんだから。

「玖珂沼さん、今日はスタートが早い時間だったから、ゆっくり楽しんで行って下さいね」

 浦沢さんはいつもと同じく、爽やかな笑顔を見せてくれる。毎月やってる懇親会では、いつも私一人だけ先に帰っているからな~。今日は夕方から呑み始めたし、最後まで一緒にいられそうだ。

「はい、今日は途中で帰らずに済みそうですよ~。いつもは残業した後に飲み会でしたからねぇ」

 私がそう言うと、

「普段も出来るだけ、残業しないで定時で帰れるようにしたいですよねぇ。玖珂沼さんところの風香ちゃんはまだ小さいですし。僕も出来る限りのことは協力させて頂きますので」

 やっぱりこの人は良い人だな。母子家庭の私に気を遣ってくれるんだから。やっぱ特別な、恋愛感情とかは無いのか?微妙な距離感を保ってはいるけど、イマイチ踏み込んでは来ないし。変に警戒しなくても良いのかもしれない。やっぱ私の取り越し苦労か。


 楽しい宴も終わり、居酒屋の前で解散する。いつも私が帰った後は、こんな感じでお開きになっているんだな~。

 今日は私の誕生日パーティーということもあってか、ちょっと調子に乗って呑み過ぎたかもしれない。いつもはほろ酔い加減で帰るところだけど、少し酔いが回ったのかフラついてしまった。

「幸子さん、今日は結構呑みましたね~。足元フラついていますけど、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ~。これでも会社では一番の年長者ですから」

 酒に酔っているとはいえ、人前でみっともない姿は見せられん。でも、久しぶりに酔っ払う程に呑んだなぁ~。

「玖珂沼さん、僕が駅まで送って行きますよ」

 浦沢さんがそう申し出る。

「いえいえ、私一人で大丈夫ですんで」

 口ではそう言っても、千鳥足を踏んでいる。やはり、ちょっと呑み過ぎたか?

「遠慮はしないで下さいよ。フラついているじゃないですか」

 浦沢さんの言う通り、ちょっと危なっかしいかもしれない。まぁ、駅まで一緒に歩くだけなら別に良いか。結局、浦沢さんの言葉に甘えることにした。情けないなぁ~。17才も年下の人に送ってもらうなんて。

 駅まで歩く道すがら、黙っているのも何だかなぁ~と思ったけど、浦沢さんの方から話しかけてくれたので助かった。二人だけだと、何か気まずいかも。

「玖珂沼さん、今日は最後まで残って下さってありがとうございます。楽しんで頂けましたか?」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます。まさか会社の人から誕生日を祝ってもらえるとは思いませんでしたよ〜」

 本当に、今日は良い1日だったなぁ~。こうして祝ってもらえるなら、誕生日も悪くない。無駄に年を重ねている私だけど、この時ばかりはそう思った。

 無為に年齢だけを重ねていく。毎年そう思っていたけど、今年は違っていた。ただ、サプライズはこれだけじゃなかった。

「玖珂沼さん、良かったら、ちょっと休憩して行きませんか?」

 …そう言われた瞬間、頭が真っ白になった。この人は何を言っているんだ?イヤ、確かに、目の前にはホテルがある。でも、何で私にそんなことを言うんだ?こんなオバサンに。やっぱりこの人は熟女マニアだったっていうことか?頭の中で色んな思考がグルグル駆け巡る。

「浦沢さん、酔ってますか?」

 どうにか絞り出したセリフがこれだ。他に良いセリフが思い浮かばなかった。

「酔った勢いで女性を口説く男は嫌いですか?」

 浦沢さんはそう言って、真っ直ぐ私の瞳を見ている。この人、本気なのか…?本気で私を落とそうとしているのか?こんな私なんかを?正気?

 でも、打算的に考えれば、この人と結ばれた方が良いのかもしれない。相手は会社の社長だ。それにまだ若いから、将来性も高い。見た目も良いし、性格も良いだろう。だけど、私なんかがこの人と結ばれて良いのだろうか?無駄に歳を重ねてオバサンになって、ブクブク太っているバツ1のシングルマザーが。

 現実的に考えれば、世間から何て言われるだろう?所詮金目当て、そう言われるのがオチだろう。そんなの私には耐えられそうに無い。

 でも…、私はこの人に抱かれたいのかもしれない。緒方さんに先立たれて不完全燃焼で終わった恋愛の炎を、この人に託したいのかもしれない。

 私だって一人の女だ。いくら相手が17才も年下だからといって、こんな機会があれば自分の『女』である部分を優先させたいのかもしれないな…。

 でも、だからといって、そう簡単に受け入れる訳にはいかないな。私は浦沢さんを、本気で好きなのか?その答えを、未だ出せないでいるんだから。

 確かに『良い人』であることは疑う余地が無い。でも、恋愛になると話しは別だ。ただ『良い人』だからって、これから先、生涯の伴侶になれるかどうかは別問題だと思う。

 緒方さんの時は迷わず心を決めた私だけど、浦沢さんに対してはまだ迷いがある…。やはりここは、丁重にお断りするしかないだろう…。

「浦沢さん…、シラフの時にも同じセリフを言えますか?本気で私を好きになってくれますか?私は、私と風香を大事な家族として愛してくれる人じゃなきゃ、体も心も開きたくないです」

 絞り出すようにそう告げると、浦沢さんは真面目な顔をして、

「僕は本気です。でも…、玖珂沼さんがそう言うのなら、お酒に酔っていない、シラフの時に改めて口説かせて下さい。僕はまだ結婚経験が無く、家庭を持ったことも無いですけど、風香ちゃんも一緒に愛し続けると誓います」

 やっぱり、この人は本気だったのか…。本当に、私に気があるから特別扱いしていたんだ。その気持ちを嬉しく思うのと同時に、複雑な心境でもある…。

 風香のことも、一緒に愛し続けると言ってくれた。これはとても嬉しい話だ。この人は、私と家庭を持つ覚悟がある…ってことだよね?一時の気の迷いとかじゃなく、本気で私を口説き落とそうとしているんだよね?本気でそう思ってくれるのなら、私も真剣に考えよう。それが礼儀ってもんだろう。


 自宅に帰ると、風香はもう晩御飯は済ませたようで、一人で魔法少女のDVDを見ていた。テーブルの上には、自分のお小遣いで買ったんだろうか、イチゴのショートケーキが置かれているのが目に入る。

「ママ、お帰りなさ~い。風香ね、ママのお誕生日ケーキを買ったんだよ~」

 風香にはそんなに大したお小遣いをあげていない。少しずつ貯めて、今日の為に買ったんだろう。

「風香、ありがとう~。ママとっても嬉しいよ」

 朝には肩叩き券をもらったのに、こうしてケーキまで用意してくれるなんて、何て良い子だろうか。甘いモノは別腹。居酒屋で散々呑み食いして来たけど、ありがたく頂こう。

「ママ、ケーキ美味しい?」

「うん、とっても美味しいよ~。本当にありがとうね。風香もア~ンして」

 そう言って、風香にも食べさせる。イチゴは風香にあげちゃおう。風香もとっても美味しそうにケーキを食べている。私の為に買ってくれたケーキなんだけど、風香にも分けてあげなきゃ申し訳ないな。

「エヘヘ、美味しいね~ママ♪」

 風香の嬉しそうな顔を見られるだけで、私は満足だ。二人で仲良く、ショートケーキを半分こ。他人に見られると貧乏臭いとか言われそうだけど、そんなの別に構わん。気持ちが大事なんだから。


 ケーキも食べ終わり二人で並んで歯を磨く。上の歯下の歯、前歯から奥歯までしっかり3分かけて磨き上げる。そしてそろそろ寝るかというタイミングで、風香に浦沢さんのことを聞いてみた。

「風香、この前ファミレスで会った浦沢さんのこと覚えている?風香はあの人のことを、どう思ったかな?」

 そう聞くと、風香は何か思い出しているような顔をして、

「う~んとね、風香ね、浦沢さん?のこと先生みたいだな~って思ったよ。後ね、優しい人だな~って思ったよ」

 どうやら風香の浦沢さんへの印象は悪く無いようだな。でも、もしもこの先、浦沢さんが風香の新しい父親になるとしたら、それはそれで違う印象になるんだろうか?

 今の時点では優しいお兄さんみたいな印象かもしれないけど、私と浦沢さんが結婚するようなことになったら…、風香は何て言うんだろう…?

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