第12話『なぜ・・・?』

 緒方さんの気持ちが分かってからは、職業訓練も今まで以上に頑張るようになった。緒方さんに作ってもらったマニュアルに従い、自分のWebサイトも完成させ、ドメイン登録して一般公開も始めた。内容も緒方さんに倣って私の個人的な、日常生活を綴った日記になっている。失業して生活保護を受けているとか、うつ病になったとかは、恥ずかしくて書けないけどさ。

 全て順風満帆。後はしっかり職業訓練を修了し、再就職先を探すだけだ。そうすれば、私にも人並みの幸せが訪れるんだろう。この時の私は、そう信じていた…。


「玖珂沼さんも資格を取ってみてはどうですか?自分も今度、受験する予定なんですけどね」

 この日も授業を受けた後、例の喫茶店で緒方さんとお茶している。あの日告白を受けて以来、ほとんど毎日のように、授業の後は緒方さんと、この喫茶店に通っているのだ。今ではお互いの連絡先も交換して、休日でも電話やメールでやり取りをする間柄になっている。

 緒方さんが言っている資格というのは、Webデザイン技能検定とかいうもので、一応国家資格らしい。職業訓練で勉強して、自分でWebサイトを立ち上げたと言っても、就職活動でアピールするにはまだ弱いだろうから、資格も取っておいた方が良いだろうとのことだ。

「そうですねぇ~。私って資格も免許も何も持ってないから、一つぐらいは取っておいた方が良いのかな?何も無いよりは、何か一つぐらいは持っていた方が良いですよねぇ」

 そう応えると、緒方さんは

「この資格用の参考書を一通り読んでみたんですけど、授業で聞いた内容でほとんどの問題が分かりましたから。そんなに難易度は高くないですよ」

 そう言って、参考書を手渡される。ページをめくってみると、確かに職業訓練で勉強して手に入れた知識で十分分かる内容だった。これなら私でもイケるかもしれない。

「良いですね~。それじゃぁ、私も受験してみようかな~」

「一緒に合格目指しましょう。訓練所でしっかり勉強しているんだから、きっと合格出来ますよ」

 また新しく目標が追加された。忙しくなりそうな予感がするけど、悪い気分じゃない。緒方さんも一緒に頑張ってくれる。二人で一緒に、再就職出来るよう努力する。そう考えれば、私はもっと頑張れると思う。これは良い傾向だ。うつ病になったからって落ち込んでなんかいられない。生活保護も早く抜け出したい。早く真っ当な、一人前の社会人になりたい。40過ぎた大人が何を今更って感じだけど、そういう気持ちが強くなって来た。


 自宅に帰ると、いつも通り風香の笑顔が待っている。

「ママ、お帰りなさ~い。お勉強、頑張った~?」

「風香、ただいま~。今日もママ、頑張って来たよ~」

 私が職業訓練で勉強していることを、風香もちゃんと理解してくれている。風香も応援してくれるんだから、しっかり頑張らなくちゃな。

 晩御飯を食べながら、風香と緒方さんの話をした。

「風香、今度の日曜日に緒方さんが遊びに来るから。風香は緒方さんなら大丈夫だよね?」

 そう言うと、風香は

「うん、良いよ~。ママ、再婚するんでしょ?」

 と返事をした。イヤだから、すぐ再婚とか、そういう話じゃ無いから。

「あのね、再婚はまだなの。ママと緒方さんがちゃんとお仕事するようになって、もっと仲良くなって、それからだからね」

 そう言うと風香は、

「そうなの~?まだ再婚しない~?」

 あどけない顔で、そう質問して来る。

「うん。まだしばらくは再婚しないの。でも…、ママは緒方さんのことが好きだから。もしも緒方さんが風香の新しいパパになっても嫌じゃない?」

 そう聞くと、風香は笑顔で

「ううん、嫌じゃないよ~。ママと緒方さんが再婚しても、風香は良いからね~」

 と答えてくれた。とりあえず、風香の了承を得ることが出来たか。後は私が一生懸命頑張るだけだ。何が何でも再就職してやろうじゃないか。そうすれば幸せな家庭を築けるんだから。

 緒方さんと結婚かぁ~…。そうすれば、前の旦那よりは幸せになれるんじゃないかと思う。緒方さんはとても紳士的で、相手の気持ちを思いやってくれる人だ。前の旦那みたいに我が強い人じゃない。きっと上手くいくと思う。多分、この機会を逃したら、もう私には幸せなんか訪れないんじゃないのかって、そう思う。とにかく頑張ろう。自分に出来ることを、精一杯やり遂げよう。そうすればきっと良い結果は出るはずだ。神様は一生懸命頑張っている人間を見捨てたりなんかしないはず。私はそう、信じている。


 職業訓練もいよいよ終盤。問題児も今ではすっかり姿を消して、勉強が捗る捗る。ここで色々勉強出来て本当に良かったと思う。HTMLとCSSのコーディング以外にも、PhotoshopやIllustratorの使い方も教えてもらった。職業訓練を受けている間は学生扱いでアカデミック版を買えるというから、ちょっと無理してソフト自体も買っちゃったし。

 最初は何となく良いかも?程度にしか思っていなかったけど、本当に職業訓練を受けて良かったと思う。得るものが多かったんだから、これをしっかり活用しなくちゃならんな。

 今日もいつも通りに職業訓練校へ。さぁ、今日も張り切って勉強しましょうかねぇ~。いつも授業開始前に喫煙所で一服しているんだけど、この日に限って緒方さんが来ていない。どうしたんだろう?前日会った時は、特に何も言っていなかったんだけど。

 いよいよ授業開始時間になっても、教室に緒方さんの姿は現れなかった。緒方さんが欠席するなんて珍しいなぁ~。もしかしたら、仕事の面接にでも行っているのかな?でも、それなら私には話してくれても良いはずなんだけど。そんなことを考えていたんだけど、実際はそんな明るい話じゃなかった。

 何だか先生と事務の人達がワタワタしている。一体何だろう?何かあったんかな?そう思っていたら先生が、

「今連絡が入ったのですが、緒方さんが交通事故に遭われたそうです。詳しい状態は分かりませんが、病院に救急搬送されたと連絡が入りました」


 えッ…!?


 その後、何がどうなったのか、ハッキリ覚えてはいない。頭の中が真っ白になって、何も考えられなかったんだと思う。覚えているのは、緒方さんが搬送された病院に行き、緒方さんのご両親と話したことだけだ。

 既に年老いた緒方さんのご両親は、息子さんがこんなことになったのを、相当にショックに思っているのだろう。それでも、努めて冷静を装っているように見えた。

「貴方が玖珂沼さんですか…?息子がお世話になっていたようで…。救急隊員の方に聞いたんですけど、病院に運ばれる間中、『玖珂沼さんにスミマセンと伝えて下さい』って、ただそれだけを言っていたそうなんですよ…」

 それが…緒方さんの、最期の言葉だったらしい。緒方さんは助からなかった…。死んでしまったんだ…。もう、逝ってしまったんだ…。


 何でだよッ!?


 緒方さんの葬儀に、私も参列させてもらった。焼香して祈りを捧げる。どうして?何故?何故緒方さんが死ななくちゃいけないの?職業訓練で一緒にWebデザインの勉強をやった。私の家でWebサーバを立ち上げてくれた。訓練を終えて再就職出来たら付き合って下さいと言われたし、一緒に資格を取る為に頑張ろうと言ってくれた。それなのに、何故死んじゃったの?何故私を残して逝っちゃったの?私が…、どんだけ結婚したかったんか、私の気持ちを分かってて死んじゃったの?それが、最期の言葉が『スミマセン』だなんて…、そんなの酷すぎる…。

 とてもじゃないけど人前にいられない。葬儀場を出て、思いっ切り泣いた。私の人生で、これ以上涙は出ないんじゃないかってぐらいに泣いた。もう、涙腺がおかしくなったんじゃないかってぐらいに涙が止まらない。もう、何が何だか分からない。これから先、私はどうすれば良いのよ?私一人残されて、どう生きれば良いのよ?

 私も緒方さんの後を追いたい…。いっそ死んでしまいたい…。でも…、私には風香がいる…。風香は私が守らなくっちゃ…。私は風香の母親だ。母親として、風香を守らなくちゃならない。

 でも…、母親である前に一人の女だ。この人となら幸せになれると信じた人が、先に逝ってしまったんだ…。

 何なのよ?これは。緒方さんとの出会いは、頑張った私へのご褒美なんじゃなかったのか?こんなの酷過ぎる。残酷過ぎる。これが運命なら、私は神様を許さない。こんな残酷なストーリーは酷過ぎる。三流小説だって、もっとマシな展開にするはずだ。何でこんなことになったんだよ…。


 自宅に帰った。いつもと同じように、風香の笑顔に出迎えられる。

「ママ、お帰りなさ~い」

 風香はまだ、緒方さんが死んだことを知らない。風香にどう伝えるべきだろう?あどけない顔で「ママ、再婚するの?」なんて言っていた風香に、どう伝えるべきだろうか…?

「ただいま、風香…」

 何を伝えるべきか、どう伝えるべきか、頭の中で思考がグルグル駆け巡る…。風香にとって、新しいパパになるかもしれなかった人が死んだんだ。この事実を、私はどう伝えれば良いんだろう?

「ママ、どうしたの~?元気無い?」

 風香は喪服姿の私を見ても、まだ何も分かっていない…。緒方さんの死を、ストレートに教えるべきだろうか…?

「あのね、風香…、よく聞いてね…。ママ、緒方さんのお葬式に行って来たの…。緒方さん、交通事故に遭ってね、病院に運ばれたんだけど助からなかったの…。もう、死んじゃったの…」

 風香にそう言ったら、また涙が滲んで来た…。ダメだ、涙が止まらない…。こんなんじゃダメだ、風香にみっともない姿は見せられない。風香の前でへたり込みながらそう思ったんだけど、

「ママ、元気出して~」

 そう言って、風香に抱きしめられた。

「大丈夫だよ~。ママなら大丈夫だよ~」

 風香はそう言って、私の頭を優しく撫でている。

「風香も緒方さん好きだったけど、でも大丈夫だよ~。風香はママと一緒にいるからね~。寂しくないよ~」

 風香にそう言われ、また涙が溢れ出た。こんな小さな子供に気を遣われるなんて…。風香が精一杯強がってくれるなら、私も頑張らなくっちゃな…。

 そうだよ、失恋も別れも慣れているんだ。そもそも私は、もう恋愛なんか縁が無いと思っていたんだから。緒方さんと出会わなければ、恋愛なんてしなかった。そもそもが、ダメで元々だったんだよ。私にとって緒方さんは、掛け替えのない人だったのは間違い無いけど、でも、結ばれたからといって幸せになれたかどうかは分からない。告白されたことも、一緒に過ごした楽しい時間も、将来の、風香と三人で幸せな家庭を築けるかどうかも分からなかったんだ。

 私には風香がいる。掛け替えのない家族がいる。血の繋がった肉親がいる。緒方さんと結婚したかったっていうのは正直な気持ちだけど、まだ風香が側にいてくれるんだから。風香と一緒に、未来を見よう。まだ私は生きているんだから。命ある限り、生を全うしなければ。緒方さんの分まで、私は人生を謳歌しよう。それが残された者の宿命だと思う。

 やっぱり風香の笑顔は魔法だね。いっそ自殺しようかなんて考えていた私を立ち直らせてくれた。私はこの笑顔を守る為なら何だってやってみせる。法やモラルも関係無い。風香の笑顔の為なら命だって捧げよう。私は改めて、『生きる』決意を固めた。

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