第11話『緒方さんと風香と私』
結局、緒方さんにサーバ作りを教えてもらうことにした。私一人でWebページを作ることは出来ても、サーバを立ち上げるのは難しいだろうからだ。ここは素直に、ご厚意に甘えさせてもらおう。
休日を利用して、緒方さんと秋葉原に行く。ヲタクの街という印象が強い街だが、探せば中古パソコンの掘り出し物が結構あるらしい。緒方さんはこういうのに慣れているみたいだから、心強いな。私一人だと、どこの店で何を買えばいいのか全然分からんし。
「性能的にはこの辺の安いヤツで十分ですね。OSもLinuxを入れるから必要無いです。セットアップは自分が教えますよ」
緒方さんは既に何をどうやるか、イメージが固まっているんだろう。しかし、セットアップをお願いするってことは、私の家に緒方さんを招き入れるってこと…なんだよなぁ~。よく考えたらスゴいことだ。風香の友達は別として、家に他人を招き入れるのは、生活保護のケースワーカーが家庭訪問に来た時以来だし、男の人が家に来るってこと自体は初めてなんじゃないか? 妙なことにならなければ良いんだけど。
…妙なことって何だ?緒方さんはとても紳士的な人だし、変な間違いは起こらないだろう。家には風香もいるし、何も変なことにはならない…はず。でも、どこかで何かが起こるのを期待しているのかもしれない。私は緒方さんのことを好きなのか?少なくとも、悪くは思っていない。訓練所で一緒にWebデザインの勉強をして、休憩中なんかに色々雑談して、どんな人なのかは大体分かっている。この人を信じて良いのだろうか?それ以前に、緒方さんは私のことをどう思っているのだろうか?こちらが勝手に、変に期待しているだけかもしれない。私が勝手に妄想を膨らませているだけだったら、この上ない間抜けな話だ。緒方さんの真意を知りたい…。イヤ、焦るな、私。まだ緒方さんとはそんなに親しくなっていないじゃないか。私自身の気持ちすらハッキリと見極められていないんだから。これからどんな関係になるのか、じっくり時間をかけて見極めれば良い。
中古のパソコンやネットワーク機器、細かいケーブルやら色々と買い物して来た。これからいよいよ自宅に緒方さんを招き入れる訳だ。胸がドキドキする…。落ち着け落ち着け、よこしまな考えは捨てろ。私の将来の為、職業訓練で身に付けたスキルを就職活動に役立たせる為に、緒方さんにお手伝いしてもらうだけだ。今はそれ以上のことを考える必要は無い。
前の日に部屋の掃除はバッチリ済ませておいた。洗濯物も片付けているし、他人に見られて恥ずかしいものなんか無いけど、最低限、お客さんを招き入れても良いようにしてある。風香は友達のところに遊びに行っているようで、部屋はシーンと静まり返っていた。
「それじゃ、お邪魔します」
緒方さんは部屋に上がると、キチンと脱いだ靴を揃えている。きっと几帳面な人なんだろう。
「どうぞどうぞ。今コーヒーでも淹れますね」
「ありがとうございます。それじゃ、自分はパソコンのセッティングを始めますから」
緒方さんはそう言って、買って来た荷物の梱包を解いている。台所からその様子を見ると、テキパキと手際良く作業していた。パソコン本体にLANケーブルやモニターを繋いで、10分もかからない内に電源を入れるところまで進んだようだ。
「玖珂沼さん、インストールするOSは自分が用意して来ましたから。LinuxだからWindowsとは全然見た目も違いますけど、タダで利用出来るし、慣れてしまえば結構面白いものですよ」
コーヒーをテーブルに運ぶと、既に緒方さんはOSのインストールを始めようとしていた。何だかよく分からないけど、タダで利用出来るってのは良いことだ。
「私、Linuxっていうのは初めて見るんですけど。普通のパソコンとどう違うんですか?」
そう聞くと緒方さんは、
「業務用のサーバなんかではよく使われているOSです。一口にLinuxと言っても色々と種類があるんですが、今回は自分のサーバと同じヤツを持って来ました。念の為に、操作マニュアルも作っておきましたんで」
緒方さんはそう言って、カバンから何かの資料を取り出した。中を見ると、見たことが無い画面に色んな注釈が添えられている操作説明書になっている。何だか随分本格的に作ってあるなぁ~。
「コレ緒方さんが作ったんですか?スゴいですねぇ~」
「一応、自分は元SEですからね。手順書とかドキュメント作りは得意な方なんですよ」
そう言いながらも、テキパキとインストール作業を進めている。改めてスゴい人なんだな~と思った。しかし、この人はこれだけのことを出来るのに失業したのか。あまり詮索するのは失礼だろうけど、何故失業したのか気になるな。でも、これだけ能力高い人なら、きっと再就職先もすぐ見つかるだろう。それに引き換え私の方は…、イヤ、止めよう。ネガティブ思考は何も生み出さない。今は職業訓練を頑張って、Webデザインのスキルも大分身について来ているんだから。きっと努力は報われるはずだ。そう信じよう。
作業開始から一時間もかからず、OSのインストールは無事に終わったようだ。
「うん、これでインストールは終わりですね。この後はWebサーバとしてのセットアップをやるだけです」
緒方さんはそう言って、引き続きセットアップ作業に入る。黒い画面に白い文字が延々表示され続け、何か色んなコマンドを実行しているようだった。
「Windowsとは全然違うんですね。マウスで操作したりは全然やらないんですか?」
「これはCLIと言いまして、コマンドを叩いて色々な設定変更なんかをやっているんです。LinuxでもWindowsみたいなGUIはあるんですけど、こっちの画面の方がパソコンの負担が小さいですから、スペックが低くてもサクサク動いてくれるんですよ」
う~~ん、そういうもんなのか。しかし、緒方さんはこういうのに慣れているみたいだけど、私にも上手く使いこなせるのだろうか?気になったんで緒方さんが用意してくれた説明書をパラパラとめくってみると、ちゃんと目的別に実行するべきコマンドとか、設定ファイルの場所とか、色々と説明が書かれていた。まさに痒いところに手が届くって内容でありがたい。
次から次へと、緒方さんは様々なコマンドを実行している。まるでその一つ一つが魔法の呪文のようだ。
「ヨシ、これで準備は完了ですね。こっちのパソコンでテストページを開ければOKです」
緒方さんにそう言われ、普段使っている方のパソコンを立ち上げる。ブラウザを開いて指定されたアドレスを開いてみると、無事にテストページが表示された。スゴいな~。こんな風にWebサーバを作るのか。
「後は玖珂沼さんが作ったHTMLファイルをサーバにアップロードして、ドメイン名を登録すればお終いです。その手順も資料にまとめてありますので」
緒方さんはそう言って、既に冷めたコーヒーを口に運んだ。
「ありがとうございます。スゴいですね~。こんな風にサーバを作れちゃうなんて。私一人じゃこんなこと出来ないですよ」
緒方さんは、やっぱり頼りになる、スゴい人だ。この人に頼んで本当に良かったな。
と、その時、風香が家に帰って来た。
「ママ~。あ…、こんにちは」
今日はお客さんが来ると風香に言っておいたんだけど、やはり初対面の人だと戸惑うのかもしれない。でも、ちゃんと挨拶してエラいぞ風香。
「風香、お帰りなさい。この人がママと同じクラスで勉強している緒方さんだよ」
「風香ちゃんっていうのか。こんにちは、緒方です」
緒方さんはそう爽やかに、風香に挨拶してくれた。緒方さんは風香のこと、気に入ってくれるかな?あ、イヤ、別に変な意味じゃなく。一体何を考えているんだ?私は…。
「ママがいつもお世話になっています」
風香はそう言って、ペコリと頭を下げた。風香、いつの間にそんな言葉を覚えたんだ?確かに、緒方さんには色々とお世話になっているんだけどさ。
「風香、お腹空いてる?おやつ買ってあるからお食べ。緒方さんも、良かったらつまんで下さい」
そう言って、パソコンのついでに買っておいたお饅頭を出す。お饅頭ならコーヒーよりもお茶を淹れた方が良いか。そう思い台所に立つと、風香が私に抱きついて来た。
「どうしたの?風香。テーブルの方で待っててね」
そう言っても、風香は何も答えず、モジモジしている。やはり、初対面の大人の男性がいるってシチュエーションはイヤなんだろうか?こうして家にお客さんが来るのは初めてのことだしなぁ~。しっかりしているように見えて、まだ可愛いところがあるもんだ。小学1年生だし当然かもしらんけど。
「どうぞ、お茶淹れましたんで~」
「あ、どうも、ありがとうございます」
「風香もこっちにいらっしゃい。一緒にお饅頭食べましょう」
「…は~い、ママ」
三人で一緒に、お茶を飲みつつ黙々とお饅頭を食べる。…会話が無いぞ?何か言わなきゃ。何か気の利いたことでも言わなくちゃ。
「緒方さん、今日は本当にありがとうございました。色々とやって頂いて、お陰で助かりましたよ」
「あ~、いえ、この程度は大したことじゃないですよ。たまたま自分の得意分野だったってだけですから」
何とか言葉を絞り出してみたが、当たり障りのないことしか言えなかった。風香は伏し目がちに、私と緒方さんを見ている。これじゃいかんな。もっと会話を弾ませないと。
「何だか、こうしていると家族みたいですね~。アハハハ…」
私は一体、何を言っているんだ?そうじゃないだろ!何かもっと、違う話は無いのか?
すると、大人しく黙っていた風香が口を開いた。
「ママ…、再婚するの?」
あ、イヤ、そういう訳じゃなく、そうなりたいという願望は少しあるけど、だからといってすぐにそうするって訳でもなく、なんて言うか、風香が言っているみたいに即再婚って話じゃなく…。私は何を焦っているんだ?
言葉に詰まっていたら、緒方さんが
「風香ちゃん、結婚っていうのはね、簡単には決められないんだよ。ちゃんとお互いの気持ちを確かめ合わなくちゃいけないし、家族のことも考えなくちゃいけないんだ。イキナリよく分からない人が、風香ちゃんの新しいパパになってもイヤでしょ?」
緒方さんはそう、冷静に風香に話してくれた。でも、この反応は…、もしかしたら脈アリなのか?緒方さんも私のことを…、そう悪くは思っていないってことかな?もしそうなら、ここは私も思い切って、一歩踏み出すべきだろうか?待っているだけじゃ、幸せなんか訪れない。自分から幸せを掴み取りに行くべきだろうか?
夕方、緒方さんを駅まで見送りに行く。あの後は少し打ち解けた雰囲気になり、風香も緒方さんと色々と話すようになってくれた。私達は…、家族になれるんだろうか?それ以前に、緒方さんは私との関係を真剣に考えてくれるのだろうか?この年になって、こんなことで悩むとは思わなかった。もう恋愛なんて、私には縁が無いことだと思っていた。でも、私は明らかに緒方さんを意識している。勇気を出して、一歩踏み出すべきだろうか…?
駅まで辿り着くと、緒方さんは爽やかな笑顔でこう言ってくれた。
「玖珂沼さん、今日は楽しかったです。ちょっとプライベートな領域まで踏み込んじゃいましたけど、すみませんね」
「いえ、全然構わないですよ。Webサーバ作るのも全部やってもらいましたし、風香も緒方さんのことは悪く思ってないと思いますから」
言うべきか…?ちゃんと言葉にして言うべきか?私の今の気持ちを…、好きだって言うべきか?でもこんなオバサンに、バツ1で子供がいるオバサンに告白されて、緒方さんは迷惑じゃないのか?
「玖珂沼さん…、今の時点でこういう話をするべきか迷いましたけど、自分の正直なところを話しておきます」
「…はい、何でしょう?」
息を飲む。緒方さんの次の言葉を待つ時間が、ほんのわずかな時間がとても長く感じた。
「お互い失業中でこれから先の展望も何もない状況ですが、頑張って無事に職業訓練を修了して、新しい仕事が決まったらで良いですから、自分と付き合って頂けませんか?」
…言われた。付き合ってって言われた!こんな私に、見すぼらしく年を重ねてオバサンになった私に、緒方さんは付き合ってと言ってくれた!
「私なんかで良ければ、喜んでお願いします…」
何でだろう?スゴく嬉しいのに涙が出て来た。世の中捨てたもんじゃない。夢も希望も無いと思っていたけど、私みたいなダメ人間でも拾い上げてくれる人はいたんだ。神様はちゃんと見ていてくれた。一生懸命頑張って来た私にご褒美をくれたんだろう。これで頑張る理由が一つ増えたぞ。風香の為だけじゃない。私自身の幸せの為にも頑張ろう。職業訓練をキッチリ終えて、必ず再就職しよう。
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