第10話『男という生き物』

 Webデザインの勉強自体は順調に進んでいると思う。問題なのは、その環境…イヤ、約1名の問題児か。問題児と呼ぶには無理がある、いい年こいたオッサンなんだけどさ。

 隣の席の原口さんは、何だかんだでとにかく私に話しかけてくる。授業に関係ある内容ならまだ、百歩譲って我慢出来るけど、プライベートな領域にまで踏み込んで来ようとするから正直ウザい。休憩時間に喫煙所に行く時も私の後を着いてくるし、昔はあんな仕事をやっただのこんな仕事を手掛けただのと、自分語りをするのも勘弁してもらいたい。何なんだろうね?このオジサンは。まさかとは思うけど、私に気があるとか?いくらなんでも、それは勘弁してもらいたい。私にだって、相手を選ぶ権利ぐらいはあると思う。

 同じ教室の人でも、緒方さんみたいな人だったら良かったのに。緒方さんは物静かで控え目だけど、ちゃんと良い感じの距離感を保って接してくれる。年齢的にも私と近いみたいだし、見た目も悪く無い。同じ男でも、どうしてこんなに差があるんだろうねぇ?天と地程の差だ。


 授業内容も徐々に難しくなって来たある日のこと。休憩時間に喫煙所で一悶着あった。原口さんは、ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべながら、私にこんなことを言ってきた。

「玖珂沼さんは母子家庭なんだよね?やっぱ男がいないと困ることあるんじゃないの?」

「困りません。ウチの子は良い子ですし、何も問題ありません」

 努めて平静を装い、キッパリと告げる。何なの?このオジサンは。下心が丸見えなんだよ。

「そんなこと言っても、寂しいと思う時があるんじゃないの?やっぱ男と女は一緒にいるのが自然なんだよ。母子家庭なんて不自然そのものだよ。無理しちゃダメなんだよ」

 いい加減ウザ過ぎるんだけど…。マジで消えてくれないかな?

「無理なんかしてませんよ。私の家庭は何も問題ありませんから。そういう話は止めてもらえませんか?」

 本当にウザい。脳が締め付けられるように痛みだした。痛み止め薬の効果が切れてきたのか、私もいい加減キレそうだ…。こんなヤツ、魔法で永久に黙らせてやりたい。

「イヤ、俺には無理しているように見えるね。正直になりなよ。俺で良かったら相談に乗るよ?」

 そのムカつく顔面を、思いっきりぶん殴ってやりたい。そう思っていたら緒方さんが、

「まぁまぁ、そういう話はこの辺で止めておきましょうよ。原口さんも大人なんだから、みっともなくフラれたくはないでしょ?もうすぐ休憩時間も終わりますよ」

 そう言って、間に入ってくれた。助かった…。正直、緒方さんが間に入ってくれなきゃ、マジでぶん殴っていたと思う。原口さんはバツが悪い感じで舌打ちして、先に教室へ戻って行った。

 やっぱり緒方さんは、私が思った通りの良い人だ。こういう人から言い寄られれば、私も悪い気はしないのになぁ~。

「緒方さん、ありがとうございます。あの人いい加減ウザいと思っていたところなんで」

 そう言って頭を下げると、緒方さんはどうってことないですよといった感じに、

「見ていてあまり、気分の良いものじゃなかったですからね。玖珂沼さんは明らかに嫌がっているみたいでしたから、ちょっとお節介しちゃいました」

 そう言って、タバコの火をもみ消した。緒方さんはいつも、キツいタバコを吸っている。好きな作家が吸っているのと同じ銘柄なんだとか言ってたっけ。

 二人で並んで、一緒に教室へ戻る。教室に入る直前、そっと小声で

「何か困ったことになったら言ってくださいね。自分に出来ることなら、またお節介しますから」

 そう言ってくれた。こんな良い人もいるもんだな~。あのオジサンとはエラい違いだ。昔通っていた学校でも、色んな人がいたっけ。協調性のある人、和を乱す人、そういう人を諌める人。子供だろうと大人だろうと、こういうのは変わらないんだな~。人が集まり集団を形成すると、何かしら事件が起こるもんだろう。そんな時に解決しようとする人、解決の手助けをする人がいれば、大きな問題に発展せずに済む。皆んな緒方さんみたいな人だったら良いんだけど、それは贅沢な望みか。


 その日以来、原口さんは少し遠慮するようになって来た。このまま静かにしてくれれば良いんだけど、そう大人しく引き下がる人じゃなかったようだ。休憩時間はあまり話さなくなったんだけど、授業中の質問は日に日に増して来ている。だから、何で私に聞くんだよ?そういうことは先生に質問しろってーの。いつまで経っても治まりそうにないので、堪り兼ねて先生に相談した。このままじゃ、私の勉強にも悪影響しかねない。すると、先生はとりあえずの対処として席替えをしてくれた。私は一番後ろの席に、原口さんは一番前の先生に近い席に配置される。これで一先ずは安心して勉強に集中出来るだろう。

 ところが、今度は別の問題が発生する。原口さんは常に不貞腐れたような態度になり、どうでも良いような質問ばかりして授業を妨害し始めた。その都度先生は原口さんの質問に丁寧に答えるんだけど、はたから見ていて明らかにどうでも良い、下らない質問ばかりしている。何なの?このオッサンは。まるで自分の思い通りにいかないからって、拗ねている子供みたいじゃないか。良い年こいた大人の男が、みっともないったらありゃしない。喫煙所にいる時も、何だか押し黙って難しい顔をしているし、明らかに愛想が悪くなっている。そんな拗ねた態度を取っても無駄だ。そんなに不満があるのなら、サッサと辞めてしまえよ。私はアンタに絶対心を開かないからな。ここは安易に甘やかさずに、徹底抗戦といこうじゃないか。先生は大変かもしれないけど、ここで絶対折れちゃいけないと思う。緒方さんとも話したんだけど、問題児は無視をするのが一番だろう。下手にリアクションを取ると、相手を喜ばせることになりかねない。まるで2ちゃんの荒らしみたいだけど、こういうヤツが一番嫌がるのは無関心。全く相手にされていないってのを思い知らせるより他にない。

 しかし、先生もよく頑張る人だなぁ~。あんな下らない質問ばかりされていたんじゃ可哀想だ。第一、授業の妨げになるし他の人にも迷惑だ。

 そんな日々が続いていたある日、事件は起こった。例によって問題児の原口さんは先生に何やかんや質問していたんだけど、私は正直ウンザリしていたので、適当に聞き流していた。また例のごとく、下らない質問が始まったのか…、その程度にしか考えていなかった。

 ところが何かの拍子に、先生が突然激昂してしまった。普段温厚にしている先生が激昂するぐらいだから、余程のことだったんだろう。そして事の発端を作った張本人はというと、またバツが悪そうに黙り込んでいる。いい年こいた大人なんだから、マジでいい加減にしろよ。何も知らないガキじゃないんだから、やって良いことと悪いことの区別ぐらいつかんのか?

 結局、原口さんは度重なる授業の妨害行為が問題視され、厳重注意を受けることになる。私に言わせれば、やっとかよ…という感じだが。とっとと辞めさせちゃえよと思うんだけど、そういう訳にもいかんらしい。とりあえず、もう周りに迷惑かけるようなことはやらんで欲しい。切にそう願う。


 職業訓練開始から3ヶ月経った。例の問題児は欠席が目立つようになり、クラスに平和が訪れていた。このままひっそりフェードアウトしてくれれば助かるんだけど。

 授業内容も大分進み、今では簡単なWebサイトなら自分一人でも作れるようになっている。改めて思ったけど、Webデザインって結構面白いな。何も無い状態からコツコツとコーディングして、1枚のWebページを作る。そうやってたくさん作ったページをまとめて連携させて、一つのWebサイトに仕上げる。手間暇かけて、頭を捻って作り上げたWebサイトは、自分で見てても楽しい。インターネットには本当に色んなWebサイトがあるけど、一つ一つがこうした地味な作業の積み重ねで出来ているんだよなぁ~。イザ作る側に立って考えると、とても感慨深いもんだ。本当に、私もこんな仕事に就けたら良いんだけどなぁ…。


 ある日のこと。訓練所から帰る時に緒方さんと一緒に駅まで歩いた。今までも何度かこういうことはあったけど、この日はいつもと違っていた。

「玖珂沼さん、良かったら喫茶店にでも寄って行きませんか?」

 何か急に、お茶のお誘いを受けてしまった。まぁ、まだ時間も早いし、相手が緒方さんなら別に構わんだろう。

 緒方さんに着いて行くと、案内されたのは訓練所から見て駅の向こう側。普段全然歩かない路地にある、古びた喫茶店だった。何だか昭和レトロって言うのかな?良い感じに年季が入っている店だった。こんな所にこんな店があるなんて、全然知らんかったわ。

「この喫茶店、中々良い雰囲気でしょう?自分、よくここに寄り道しているんですよ」

 緒方さんは笑顔でそう言って、タバコに火をつけた。何か隠れ家的なお店だな。これは良い場所を教えてもらったぞ。

 緒方さんの一人称は『自分』。何だか体育会系みたいだけど、学生時代は文化系だったらしい。でも、昔筋トレやっていたんだとかで、体格は良い方だと思う。ちょっとややこしいな。

「良い感じの喫茶店ですね~。私、こういうお店好きかも」

 二人ともホットコーヒーを注文し、とりあえず私もタバコを吸い始める。…何だろう?良い雰囲気のお店なのに、何だか落ち着かない。緒方さんと二人だけで会っているから?そんな馬鹿な。私は別に、緒方さんに変な期待なんかしていない。そりゃぁちょっとは良い人だと思っているけど、だからといって何かを求めたりはしない。もっと仲良くなりたいとかは…、少しだけあるかもしれないけど、私なんかがそんなことを考えるのは憚られる気がする。

 でも…、ちょっとだけ、ほんの少しだけ…期待しているのかもしれない。こんなオバサンになった私でも、心の底ではどこかで誰か男の人を求めているのかも。

「玖珂沼さん、Webの勉強はどうですか?最近は教室も落ち着いてきたし、大分捗るようになったんじゃないですか?」

「そうですねぇ~。最近は問題も無く、平和に授業が進んでいますからねぇ。このまま修了までいきたいですね」

 何だか動悸が激しくなっているような気がする。落ち着け落ち着け。私はただ、緒方さんと普通にお茶しているだけなんだ。緒方さんとは同じ職業訓練を受けているだけの関係だ。それ以上でもそれ以下でもない。

「自分も大分Webデザインのことが分かってくるようになりまして、ちょっと個人的にWebサイトを作ってみたんですよ。えっとですね…、こういうのなんですけどね」

 緒方さんはそう言って、スマホの画面を見せてきた。画面を見てみると、ちゃんとした作りのWebサイトが表示されていた。内容は緒方さんのブログになっているようで、この喫茶店でゆったり過ごした時間や、職業訓練でWebデザインの勉強をやっているといったことが書かれている。スゴいなぁ~。ちゃんとこうやって形にしているのか。

「自分は元SEですからね。自宅にWebサーバを立ててドメインも登録して、こうやってスマホでも見られるようにしているんですよ」

 そういや、そんな話もしていたっけな。緒方さんは元SE。コンピューター関連には強いらしい。Webデザインもお手の物って感じだろう。

「スゴいですねぇ~。もうこんな風に、自分のWebサイトを作っちゃっているんですか」

 この人は、ちゃんと努力するタイプの人なんだろう。先生にもよく褒められているし、勉強したことをこうやって形にしているなんて、ちょっと憧れてしまう。

「せっかくWebデザインの勉強をやっているんだから、形に残しておこうと思いまして。玖珂沼さんも、自分のWebサイトを作ってみたらどうですか?就職活動をする時に、自分の実績としてアピール出来ると思うんですよ」

 なるほどねぇ~。確かに、緒方さんみたいに自分のWebサイトを作っておけば、職探しの際に「私はこういうのを作れます」ってアピール出来るだろう。しかしなぁ~…。私は自分でWebサーバとか作れないし、先生が言っていたレンタルサーバを借りるようなお金も無いしなぁ~…。

「確かにそうだと思いますけど、Webサーバをどうするか?ってのが問題ですねぇ~。自分では作れないし、レンタルサーバを借りるのも費用的に厳しいかなぁ~と」

 そう言うと緒方さんは、

「多少の出費は仕方がないと思いますよ。ちゃんと仕事に就けば十分回収出来ると思いますし。レンタルサーバじゃなくても、中古で安く売っているパソコンでWebサーバは作れますから、良かったら自分がサーバ構築を教えましょうか?」

 これは…、厚意に甘えるべきだろうか?私の将来にとってプラスになることだし、緒方さんともっと仲良くなれるかもしれない。イヤイヤ、仲良くなるとかそんなのは置いといて、就職活動のことを考えろ。

 職業訓練でWebデザインの勉強をしたからといって、必ずWebデザイナーとして就職出来る訳じゃない。緒方さんの言う通り、自分のスキルを分かりやすく伝える為には、自分のWebサイトを作ってみせるのが手っ取り早いだろう。緒方さんを信用しても良いのだろうか?この人は私の期待を裏切らない人なんだろうか?何を期待しているんだ?私は…。

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