第6話『歯車』

 仕事を始めて2ヶ月が過ぎた。最初は悪戦苦闘していたWordとExcelにも既に慣れてきていて、作業速度も大分上がってきている。私だって努力はしているんだ。初心者向けの解説本やネットの情報を読み漁って、色々勉強した甲斐があったってもんだな。

 相変わらず残業しないし、ランチも一人で、職場では浮いている感じが抜けないけど、仕事自体はこの会社の一員として上手くやれているんじゃないだろうか。

「玖珂沼さん、頼んでおいた書類の打ち込み終わった?次はさっきの会議で作った議事録の清書お願いね」

「はい、了解です」

 与えられた作業を淡々と進める。集中力が切れそうな時や作業のキリが良い時には、タバコ休憩で一息つく。大分要領良く仕事を進められるようになってきたぞ。

 慣れてくると、この仕事もそう悪くはないな~と思えるようになってきた。デスクワークだと工場のライン作業とは違って、自分の好きなタイミングで休憩出来るのは良いな。仕事しながらコーヒー飲んだりお菓子食べたりも出来るし、拘束されてる感が薄い気がする。初めは窮屈な感じを受けていたけど、慣れるとどうってことはない。私でも務まるじゃんか。このまま順調に実績を積んで、早く正社員になれれば良いんだけど…。


 仕事中、唐突に社長から声をかけられた。

「玖珂沼さん、ちょっといいかな」

「はい、何でしょう?」

 何やら手招きされて、会議室に入る。会議室とは言っても、パーティションで区切っただけの、単なる打ち合わせスペースなんだけどね。

 テーブルを挟んで社長と向かい合わせに座ると、何やら緊張してきた。一体何の話だろう?まさか…正社員として本採用してくれるとか?それなら願ったり叶ったりなんだけど、社長の言葉に耳を疑う。

「今日まで良く頑張ってくれたねぇ。ただ、申し訳ないんだけど、玖珂沼さんはウチの会社に合わないんじゃないかと思ってね…。悪いけど、試用期間で終了ということで…」

 はぁ!?それって、クビってこと…だよね?何で?ちゃんと仕事もやってるし、何も問題無いはずだけど?全然納得いかない。頭の中が真っ白になる。

「何でですか?私、ちゃんと仕事についていけてると思いますけど?」

 とにかく抵抗する。こんな理不尽な話、受け入れられる訳が無い。何で私がクビにならなきゃいかんのよ?意味が分からない。

「玖珂沼さん、ウチの会社に来てから全然残業してないよね?まぁ、母子家庭だし残業はしなくても良いとは言ったけどね、少しは周りに合わせる努力をしてくれても良かったんじゃないかな?それに、お昼休みもいつも一人でしょ?もっと他の人達との距離を縮める努力をしてくれても良かったんじゃないかな」

 はぁ?何それ?そんなんがクビの理由?訳が分からない。残業しなくても良いからって話だったから、毎日定時で帰ってたんですけど?お昼を一人で済ませて何が悪いってーの?職場の人と無駄に馴れ合う必要無いし、そんな事にケチつけられたくない。

「最初に面接の時、ウチは子供がまだ小さいから残業出来ないし、残業しなくても良いって話しましたよね?何で今更そんなことを言うんですか?それと、お昼休みに一人でいたって仕事には関係無いじゃないですか。私はちゃんと、自分の仕事をやってますけど?」

 食ってかかると、社長は溜息をつき、

「まぁ建前としては、そう話をしたんだけど、本音を言えば周りに合わせて、少しは残業してやる気を見せてもらいたかったんだよねぇ。それと、仕事は一人でやるものじゃないからね。お昼の休憩時間も、もっと積極的に他の人達とコミュニケーションを取ってもらいたかったんだよね。貴方一人で全てを回せる訳じゃないんだから」

 何なの?この理屈は。言ってる意味が分からない。残業しなくても良いって言いながら、残業して欲しかった?はぁ?もっとコミュニケーション取って欲しかった?何それ?訳が分からない。

 周りに合わせるって、そんなに大事なこと?それが出来なきゃクビにする程に重要なこと?ダメだ、頭が痛くなってきた。考えがまとまらない。何も言い返せない。せっかく決まった新しい仕事なのに、また会社側の一方的な理屈でクビになるの?もう、何が何だか分からなくなってきた…。


 社長との話を終えた後は、仕事もグダグダ。こんな状態で仕事に集中出来る訳がない。もちろん、今更残業なんかする気にはならないし、やる必要も無いだろう。もう、この会社ではクビが決まったんだ。これ以上頑張る必要も無いし、頑張ったところで無駄になるだけだ。残り1カ月は単なる消化試合。危なげなく乗り切れればそれで良いだろう。

 しかし、また失業者に逆戻りか~。もう、恥も外聞もなく泣き出したい。何か、私って社会から必要とされていないの?どこにも私の居場所は無いってこと?社会から爪弾きにされて見捨てられ、このまま世間からフェードアウトしろっていうの?こんなの全然納得いかない。仕事だって、真面目に頑張って結果は出せたはずだ。それなのに、訳の分からない理由でクビが決まった。何なのよ、この仕打ちは…。

 駅から自宅に向かってトボトボ歩いていると、煌々と輝くパチンコ屋のネオン看板が目に入った。…パチンコ打ちたい。街灯に群がる蛾のように、自然と店に吸い寄せられる。

 ダメだ、アパートで風香が私の帰りを待っている。早く帰って晩御飯を作ってあげないと。でも…、ちょっとだけ遊びたい気分だ…。イヤ、ダメダメ。風香はまだ、自分でご飯の支度とか出来ないし、私がちゃんと面倒見てあげないと。頑なに残業をしなかったのも、風香の為だったんだから。風香がもうちょっと成長して、家事を手伝えるようになる迄は、私がしっかり面倒を見なきゃダメだし、風香に寂しい思いをさせちゃいけない。気分を切り替え、自分に言い聞かせ、私は家路を急ぐ。


「ママ、おかえりなさ~い」

 自宅のドアを開けると、いつもと同じく風香の笑顔が待っていた。私はこの笑顔を守るんだ。その為に頑張らなくちゃいけないんだ。そうだよ、私は母親なんだから、子供の為に頑張らなくちゃ。仕事だってまたどこか、新しい会社を探せば良い。まだまだ、もっと私は頑張れるはずだ。

 せっかく新しい仕事が見つかって、ようやく仕事に慣れて来たと思ったら理不尽な理由でクビ。それが何だっていうんだ。こんな事でへこたれてなんかいられない。ダメな会社はサッサと見切りを付けて、また新しい会社を探せば良いんだ。こんなのは気の持ちようだ。未練たらしく引きずってちゃ先に進めない。私は風香の為に、前に進まなくちゃならないんだよ。うん、気持ちを切り替えよう。

「風香、帰りが遅くなっちゃってゴメンね。すぐ晩御飯作るからね」

 思いっ切り泣きたい気分だけど、ここはグッと堪える。私は母親なんだから。大人なんだから、ちゃんと前向きに生きなくちゃ。風香の母親として、恥ずかしく無いように生きよう。風香の為だと思えば何だって出来る気がする。母としての意地を貫こう。

 風香の笑顔は魔法みたいだね。精神的にドン底まで突き落とされていた私を復活させてくれた。これから先も、この笑顔を守ってみせよう。私に出来ることなら何だってやってみせる。


 次の日、いつも通りに会社に出社する。もう終わりが見えた仕事だし何か体もダルいけど、最後の日まで役割を全うしなければな。とは言いつつ、既に新しい仕事探しも始めた。今回の失業では給付金を受けられないので、主に休憩時間を使ってネットで求人情報を読み漁る。今の会社でWordやExcelの使い方を覚えたから、仕事の選択肢の幅が広がったのは良い事だな。今の私なら事務員やデータ入力の仕事だって出来そうだぞ。

 仕事自体は探せばいくらでもある。問題なのは学歴や実務経験を要求されるかってところだけど、ネットの膨大な情報の中には、私でも応募出来る会社がたくさんある。昨夜転職情報サイトに登録したんだけど、応募する際は事前に入力フォームに登録しておいた経歴を使うだけだから、履歴書を書かなくても良いのが助かる。下手な鉄砲数打ちゃ当たるって言うし、とにかく応募しまくるか。


 そして1週間が過ぎた。応募した会社のいくつかは、例の如くお祈りメールを寄越してきたけど、ありがたい事に面接のお誘いをくれた会社がある。今回も事務員の仕事なので、今の仕事と大差無いだろう。ただ、一応まだ仕事をやっている状態だから、面接は夜にセッティングされた。帰りが遅くなって風香を一人にしてしまうのは不安があるけど、朝のうちに晩御飯の用意をしておいたので、後はレンジで温めるだけだから大丈夫だろう。出来るだけ風香に寂しい思いはさせたくないんだけど、こればっかりは仕方がない。新しい仕事が決まらないと、生活そのものが成り立たなくなるんだから、風香もきっと分かってくれるだろう。


 面接自体は、とても和やかな雰囲気で行われた。会社の説明を受け、仕事内容の説明を受け、そして私の経歴を説明する。今までやってきた仕事内容を話し、どういう特技があるかを話し、希望条件を言う。母子家庭だから残業出来ないって事については念を押して話した。すると、

「玖珂沼さん、家庭の事情があるようですが、お子さんにもご協力して頂くことは出来ませんか?」

 と言われる。ん?風香に何を協力させろってんだ?

「ご協力と言いますと?」

 何のことかと質問すると、

「私のウチも小学4年と2年の子供がいるんですけどね、奥さんと私が共働きですから、子供にも家事を手伝わせているんですよ。玖珂沼さんは母子家庭でお子さんお一人ということですから、いずれは家事の分担も必要になってくると思いますが」

 まぁ、言ってる意味は分かる。私もいずれは、風香に炊事洗濯掃除といった、家事を手伝ってもらいたいと思っているのは事実だ。でもなぁ~…、まだ風香には早いと思うんだよなぁ~。私が家事をやっている時に、「風香もお手伝いする~」なんて言ってくれることがあるけど、危なっかしくて見てられない。手伝おうとする気持ちは嬉しいんだけど、まだ風香には家事を任せられないんだよなぁ~。

「仰る通りだとは思いますが、まだウチの子は小学1年生ですし、家事を手伝えるレベルじゃ無いんですよねぇ…」

 いくら何でも無茶な話だよなぁ~。確かに、風香がいくらか家事を手伝ってくれたら、私も仕事で残業したり出来るんだろうけど、今はまだ無理だと思う…。

「玖珂沼さんのお子さんがどういった子供なのか、私はまだ知りませんが、最初のうちは失敗があっても、どんどん子供に任せて良いと思いますよ。ウチの子も始めのうちは何かと心配させられましたが、子供って親が思う以上に学んで成長するものですから」

 それはそうなんだろうけど、イマイチ踏ん切りがつかない。本当に風香に家事をやらせて大丈夫なんだろうか?でもまぁ、風香はワリとしっかりした子だっていうのは実感している。学校の勉強もちゃんとやっているみたいだし、言われたことはしっかり守る子だ。でもなぁ~…、まだちょっと不安があるんだよなぁ~…。イヤ、ここで風香の可能性を否定するのも間違いだろうか?でもそれ以前に、私が残業しないのは、風香を一人にさせて寂しい思いをさせたくないからってのがあるんだから。単純に家事の役割分担して仕事に割ける時間を増やすって訳にはいかない。

「確かに、子供が家事を手伝ってくれれば、私も仕事に時間を取れますけど、もう少し、まだしばらくは、子供と一緒に過ごす時間を確保したいんですよ。ウチは母子家庭ですから尚のこと、子供に寂しい思いをさせたくないんです。これだけは認めて頂けませんか?」

 そう言うと、面接官は何か考えているようだった。ほんの少しの沈黙だったけど、私には凄く長い時間に感じた。そして、

「分かりました、それでは社内で検討させて頂きますので。本日の面接は以上で終了とさせて頂きます」

 随分冷めたトーンで、そう言われた。何かコレ、期待出来そうに無いな…。やっぱ残業出来ないってのは、マイナス印象にしかならんのか…?


 帰り道をトボトボ歩きながら、面接官が言ってたことを思い出す。あの人は小学4年と2年の子供がいるって言ってたけど、風香は小学1年生だからなぁ~。子供が二人いれば、上の子が下の子をサポート出来るだろうし、色々お手伝いも出来るだろう。兄弟でコミュニケーションも取れるだろうし、親が留守にしていても心配無いかもしれない。でも、ウチは風香一人なんだよなぁ…。学校の友達と一緒にいる時は平気だろうけど、誰もいないアパートに帰って、一人で私の帰りを待つ風香を想像すると、不憫で堪らない。いずれ風香がもっと大きくなれば平気になるかもしれないけど、今はまだ親子の時間を確保しておいた方が良いと思うんだよなぁ~…。

 …うん、やっぱ私一人で考え込まず、風香の意見も聞いてみよう。当事者である風香をほたっておいて、私だけで悩んでいてもしょうがない。私が気付いてないだけで、意外と風香は成長しているのかもしれないし。まだ小さい子供だと言っても、私にとって大事な家族なんだから、私一人で決められることじゃないよな。

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