第6話 王女と女王
女王の一言をきっかけに、私は兵隊に捕らえられた。
両手は後ろ手に、次いで足を払われ膝をつく。となれば、この後は……予想通りに背中に兵隊の体重を感じると、私の身体は本能的に抵抗する。その動きに、意志をもって
目隠しがあって良かった。やっぱり痛いのは怖いから。痛みに耐える人の顔は、とても怖いから。だから良かった。これがあるから思いきり突っ込める。死線に近ければ近いほど、とても自然な表情が出来るはずだ。
――ごしゃ。
鼻と額を床に強く打ちつける。外に飛び出そうとする叫び声を喉の奥で破裂させる。代わりに口から出て行くのは、わずかな呼気とかすれた声。
無理をしたせいで、迫り上がってくる
「え、ごめ……いっ!」
何を言ってるんだ。おまえが今するべきことは、私の顔を横から蹴り飛ばすことだろうが。顔面を襲う激痛に小さくうめき続けながら、彼女の肌に爪を立てる事でその意志を伝える。
「無様だな、娘よ。おい、何をしている? いいからそいつを押さえておけ。私が直々にやる」
女王の指示に、私の隣でぼうぜんとしていた兵隊が再び私を拘束する。今度はちゃんと遠慮がない。
「……ふぅ、安心しろ。痛みは一瞬だ。無駄に苦しめたりなんてしない」
もはや舞台は、私とアンの2人の独壇場といっていいだろう。それほど私と彼女は今、仕上がっている。しかしそれでは足りない。最高の結末には至れない。
流れる鼻血が口の中に入ってきて気持ち悪い。心臓は予期せぬ身体の損傷に、警告音を鳴らし続けている。つまりこの場において最高のコンディションと言っていいだろう。ならばもう少し。
大きめに
「……お母様。1つ、お願いがございます。例え呪いでこの目に光が届かなくとも。それでも最期の時は、お母様の顔を見ながら、死に行きたく存じます。どうかこのささやかな願いを、叶えてはいただけないでしょうか?」
女王は歩みを止めて考え込む。私の浅い呼吸だけが舞台に響く。全てを視認できるようになったが、まばたきは絶対にしない。あくまで私に光は届いていないのだから。
しばし沈黙が続く。仕方ないことだろう。なぜならこの問答は、この物語の結末までつながる道の分岐点。彼女も直感的にそう感じているからこそリズムが止まる。即答が出来ない。
そして優秀な俳優は、その隙を決して見逃さない。
「せんえつながら女王さまぁ。彼女が生きている限り、あなたがいかなる努力を費やしたとしても、世界で1番美しくなれることは、絶対にないのですぅ。これは持って生まれた運命と言っていいでしょう。鏡の精の名に誓って間違いありませんー。つまりぃ……」
押し入ってきたのは、特徴的な語尾で話す鏡の精。想像よりも活発な外見とミスマッチな口調。あえて舞台上の空気を緩めるような、私の先ほどの行為を打ち消すような、柔らかく緩やかな話し声。
そして話しながらも、踊るようにステップを踏み、舞台を大きく使っている。明らかに私たち2人の流れを壊しにきているとみて間違いない。
彼女は私を流し見ながら、ゆっくりと女王に並び立ち、何やら耳元でささやいた。視線もはっきりと送れず、声も聞こえない。しかしその後に聞こえてきた笑い声から、おおよそ中身の想像はつく。
「……そうだ。確かに、おまえの言う通りだ。ふふ。ふふふ」
「そうですよぉ、女王様。だからはい、これ。この短剣で、サクッと終わらせちゃいましょう。彼女の話なんて聞く必要はありません。むしろ1秒でも早く……ふふふ」
とにかく私を早く排除したいという魂胆だろう。女王もこの流れに乗ることにしたようだ。となると私がここから展開を変えるのは難しい。実際のところ、私の登場で最も気を揉んでいるのは
一歩、また一歩と女王が近づいてくる。
「お母様、お願い。お母様……」
救いを求めるが、当然、彼女の耳には届かない。
「そうですぅ。耳を貸してはいけませんよぉ。ゆっくり、確実にぃ。首を、優しく落としてあげるのです」
鏡の精である彼女が、真の黒幕というポジションを取りを来ているのは明白だ。それは間違いないのだが打開する方法は多くない。となればここは、私もカードの切り時だろう。面白くなってきた。
「ふふふ……さようならぁ、美しいお姫様ぁ」
鏡の精の言葉に呼応するように、王女は勢いよくこちらに向かって踏み込んだ。床板が短い悲鳴を上げる。
――ここだ。
後ろ手に組んだ右手の人差し指で、背中をたたく。刹那、あれだけ手を尽くしても開くことのなかった扉が簡単に蹴破られる。
「そこまでだ! 女王! それに魔物め!」
先ほど寝そべりながら聞いたしゃがれ声とは違う、女性を堕とすために作られた
「貴様ぁ! なぜこんな時間に! なぜいまここにいるぅ!」
先ほどのまとわりつくような雰囲気とは一転、焦りと怒りを含んだ声を飛ばす鏡の精。妖艶さすらまとっていたはずの彼女の口調は、小悪党感を高めていた。
「そして貴様。今すぐに姫様から離れろ。殺されたくはないだろう?」
すぐに私を押さえつけていた重みがなくなる。
「王子様……どうしてここに……?」
「そうだっ! こんな夜更けに、おかしいだろうがぁ!」
王子は問いには答えず、返事の代わりに私の顔を
すると私を抱きすくめるようになるものだから、彼女の
「おぃ、てめぇ。私の話を無視してんじゃ…………ぇ、うそ、いつの、ま……」
床板がめくれてしまうんじゃないかというほどの衝撃の直後、鏡の精が緩やかに崩れ落ちる。代わりに、つい今しがたまで私のそばにいた王子が、離れた場所で細剣を切り上げた姿勢のまま静止していた。そして鏡の精が倒れた事を確認すると、突き放すように言った。
「死にゆくおまえに1つだけ、大切な事を教えておいてやるよ。“なぜ”も“どうやって”も関係ない。お姫様に危険が迫っている予感がしたから駆けつけた、それだけのことだよ。だって王子様って……そういうものだろう」
われ王子。故に王子存り。
彼女が王子役をすれば、全ての女の子が夢見る王子様像が実現する。そんな胆力を持つ女性がいるなんて信じられない。
「……そんな……理由になってな……」
鏡の精が力尽きる。きっと最後のセリフはただの彼女の本心だろう。
しかしどんな理由をつけるのだろうと思っていたが、いやいや、なんていう力技。だけれど、きっと彼女なら何とか出来る方法があるんだろうなと思わせる迫力が確かにあった。それは、体を張ってでも理屈をこねくり回す私には、到底たどり着けないものだった。
「さて、残るはあなただけだ。さぁ! 大人しく捕まってもらおうか!」
王子が女王に問いかける。しかし、返答はない。
…………。
いや。平坦な調子のささやきが、かすかに聞こえてくる。王子も様子がおかしいと感じたのか、ゆっくりと私の側まで後ずさってくる。
ややあって、
「王子よ、娘よ。よく覚えておけ。これが! 私から貴様らに送る、最後の
悪役のクライマックスらしく、破滅的なセリフを張り上げる。しかし高笑いは震えていた。それは狂気というには弱々しく、どちらかと言えば
「やめろっ!」
王子は慌てたように声をかけると、向き直り、私の手を握る。
「ここは危ない。君は逃げるんだ」
そして、そう言って私を抱きしめると耳元で
――小道具は全て、本物の可能性が高い。
「まさか……いや、いやです! 私がお母様を!」
王子を突き飛ばすように引き剥がすと、女王を見据える。彼女は何度も何度も浅く息を吐き、そして大きく震える右手を左手で押さえ込み、胸の前で刃先を自身に向ける。
顔を隠すようにずり落ちていたティアラの奥からは、ぽろぽろと涙がこぼれ、それが彼女の悲痛な表情をより際立たせている。確かにこれは、
「お母ざま"っ!」
痛めた喉に声を引っかける。予想通り、優しい彼女は顔を上げた。見開かれた茶色の瞳は、太陽の光を乱反射させる水面のように、照明の光を受けてゆらゆらと奇麗に輝いている。そんな彼女のために、私は1つ
私の狙いを見て取った女王の表情に幾分かの余裕が生まれる。一度しっかりと目を閉じると短剣を握りなおす。震えは治まらなくても、その表情は威厳ある女王そのもの。むしろ泣き腫らして肩で呼吸をしているだけ扇情的で、保護欲をくすぐる。
彼女はこちらをチラりと見ると、おおげさなくらいに振りかぶり、やや斜めから脇腹を狙って振り下ろした。
観客席から見て、短剣が刺さる瞬間を見えやすくなるように。
そして何より、私が弾き飛ばしやすいように。
ギリギリの精神状態だろうに、素晴らしい判断力だ。ならば私も期待に応えなければならない。たとえあの短剣が本物でも。たとえ刺さりどころが悪く助からなかったとしても。それでもこんなにいっぱいの人が彼女を強烈に記憶することになるのなら、それが女としては最高の幸せのはずなのだから。
ね、お母さん。
「
叫び、手を伸ばす。伸ばしているはず。短剣が彼女の身体にたどり着く前に、弾き飛ばすことができるはず。なのにどうしてもそこに到達できない。
葛藤しているうちに女王の腹部が赤く染まり始める。スロー再生を見ているように、豆粒程度の大きさの赤が、じわりじわりと広がっていく。
これ以上はだめだ。いやもっとだ。相反する思いが私の中でせめぎ合っていて、身体を動かす信号を送ることが出来ない。
「見ていろ、しぃらゆきぃぃ!」
女王は私を一喝すると、短剣にさらに力を入れた。意識を保つために下唇を
その瞬間、私は彼女の腕ごと短剣を突き飛ばしていた。もつれるように倒れる私たち。離れたところでカランカランと音を立てる短剣。そして舞台上は私たちの乱れた呼吸音だけ。
あぁ、いよいよ幕引きだ。彼女を置き去りにして起き上がりながら、私は話し始める。
「……お母様は、ご自身で仰るように、世界で1番美しい女性ではありません」
近くに転がっている手鏡で自分の顔を確認する。
「やっぱり」
「……何が言いたい」
「私の瞳は、目尻は、鼻筋は、唇は。どれもお母様とそっくりです。そしてお母様とそっくりな顔の私は、当然、お母様よりも若々しいのです。であれば、比較した時にどちらが美しいと言われやすいかなんて考えるまでもないでしょう」
言い切ると自慢げに胸を張る。女王のまぶたが細かくけいれんした。
「……やはり殺されたいとみえる」
「勘違いしないでください、お母様。つまりあの鏡の精が言う美しさなど、所詮はその程度のものなのです。私も老い、世界で最も美しいと言われたこの美貌も、いずれ誰かに取って代わられるでしょう。そのような移ろいゆくものに囚われるのは、もうやめにしませんか、と言っているのです」
「……」
思案する女王。自身を
私は人差し指を立て、観客の方を向く。百を超える視線が全て私を捉える。背中では、演者全員が私の発言を待っている。
……あぁ、この瞬間があるからやめられない。
しっかりと間を取り、決めのセリフを口にする。
「勝負です、お母様。どちらがよりこの国の王にふさわしいかを決めましょう。そしてどちらが優れているか、それは……」
一度話を打ち切り、観客全員と目を合わせるつもりで、左端から右端までゆっくりと視線を送る。そして、
「国民が決めてくれることでしょう。あなたには経験と力のある配下、そして世界で2番目の美しさが。私には若さと王子、そして世界で1番の美しさがあります。さぁ、思う存分、競い合おうじゃありませんか!」
「くくっ、くくくっ……面白い。その挑戦、受けて立とう」
女王がニヤリと笑う。きっと私も同じ表情をしているのだろう。気づけば王子や狩人たちはそれぞれが付くべきと考える主君の後ろに並んでいた。
今回のお話はここまで、と言うかのように暗幕がゆっくりと降りてくる。それを見て、そういえばこれは試験だったな、とふと思い出した。
暗幕が完全に降りるまで動けない私たち。
「先輩、ひとつだけ聞いても良いですか?」
余韻に浸っていると、アンがそう声をかけてくる。肩口まで降りた暗幕で、表情は見えない。
「なに?」
「先輩はなんで、最後、思い直したんですか。私のことを見殺しにするつもりだったんですよね?」
淡々とした口調。話し口からも、表情は読み取れない。けれど大丈夫。これについては大した理由はない。
「見殺しにしたら、負けると思ったからだよ」
うそでもなんでもない。本当にただ、それだけだから。
「あぁ、なるほど……負けたくなかったなら、仕方ないですね」
「そう、仕方なかったんだよ。って、いたっ!」
額にじくじくとした痛みが走る。
「いまのデコピンで許してあげます」
そう言って、アンは笑う。
的確に打ちつけたところを狙うあたり性格が悪いって、痛いっ!
「いまのは先輩が私への悪口を考えていた罰です」
全くひどい後輩だ。いや、それも今日までかもしれないけど。今更ながら、先ほどまでの演技に思いを巡らせようとする。
しかし暗幕はとっくに降りていて、たなびくそれは、追い立てるように私の足首をくすぐっていた。
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