第5話 白雪
どうやら私たちは舞台上のパイプ椅子にそれぞれが座らされているようだ。
暗闇の中で周りのライバル達の気配を感じる。しかし身じろぎの音は一つとして、ない。張り詰めた空気とはまさにこういった状況なのだろう。
観客は……いる。人数までは分からないが、ざわめきから映画館における平日朝1番の人気作くらいは埋まっているんじゃないかと想定しておく。
しばらく我慢大会がつづくのかと身構えたところで観客席側からマイクのハウリング音、そして大きな声が響く。
「あー、テステス。聞こえるなー? 森治安です。準備が出来たようなのでオーディションを開始します。時間制限は特になし。小道具は舞台上に置いてある。テーマは白雪姫で好きなように演じてください。いいかな? よし、早速30秒後にスタート。5秒前からカウントダウンするから、目隠しを外すのはその後で。それじゃあ今回こそ、期待してます」
周囲から声は上がらない。だが代わりに衣擦れの音がする。
それはそうだろう。何も分からないままにヨーイドンと言われたって困惑するに決まっている。普通、疑問の声が1つや2つ出たっておかしくない。
でも。それでも私たちは受け入れる。舞台に立ったならば、監督の指示は、いついかなる場面であっても絶対なのだから。それに今回
誰もが、そう思っているはずだ。
「5」
カウントダウンが始まる。
目隠しに手が伸びる。
「4」
本当に、このままスタートしていいのか。
誰が、どれだけの参加者がいて、どんな配役かもわからないのに?
「3」
…………。
「2」
……そうだ。だったら、だったらこれしかない。
少なくともアンなら。彼女なら察してくれるはず。
「1」
覚悟を決める。
「スタート」
皆、一斉に走り出す。鳴り響く靴音。それぞれ、目当てのものを探して、目配せをして、展開を模索する。
そう、誰もが
対して私は、目隠しを外さず、ただ椅子から崩れ落ちるように倒れた。倒れる時には床を強くたたいて、存在をより大きく主張する。
「ねぇ! みんな聞い……」
雑踏の中にいるような舞台上にあっても綺麗に響くアンの声が途中で止まる。おそらく私の事に気がついたんだろう。
誰が今、1番、白雪姫たり得るか。
彼女であれば、理解できないはずがない。
「……いや。皆のものよ、聞くがいい。私は今、憤慨している。この胸を引き裂いて心の臓を見せてやりたい気分だ! あぁ妬ましい、妬ましい! あの美しい王子すらも簡単にとりこにしてしまうあの子が妬ましい! 誰か。誰かいないのか! わたしの娘を……白雪姫を亡き者にしてくれるものはいないものか!」
うまく周りを巻き込んで、話を組み立てて行くアン。最初についていくのは鏡の精。次いで狩人と名乗る3人。他に声は上がらない。もしかして舞台上には私を含めて5人しかいないのか……?
私は仰向けに寝転びながら、客席とは反対側の人差し指で、地面を幾度となく指差す。
いや必ずいるはずだ。この舞台に5人だけというのは、やはり考えにくい。であれば、流れに乗ることを良しとせず私の動向に勝機を見いだす人もいるに違いない。
あの契約書にサインが出来るようなネジが2本も3本も抜けたような奴等なら、それくらいのことはするはずだ。
しばらく続けていると、顔のすぐそばに人の気配がする。指をぎゅっと握られる。
――私は何をすればいい。そうささやくハスキーボイスは、まるで王子様からの愛の告白を思わせた。
寸劇は進んでいく。
しかし舞台は盛り上がらない。パッとしない。
アンもそれを感じているようだが、ストーリーラインを崩さないようにするためか、無難な受け答えを続けている。
行くしかないか? だがここでは効果が薄い。せめてあのセリフまでは待ちたいところ。
「……かしこまりました。ですが最後にもう一度だけ鏡の精に、誰が世界で1番美しいのか尋ねてみてはいかがでしょうか。女王様」
狩人の1人が
来た!
腕に力を込める。白雪姫のストーリーを展開する以上、私の存在はいま舞台上でも、観客からもほとんど無視されている。ならば音を立てないようにゆっくりと、少しだけであれば動いても注目されることはない。
周りの気配に気を配る。
いつでも立ち上がれるように、肘と手のひらで地面を突っ張って、仰向けから、横向きに近い体勢に体を傾ける。
この後はおそらく女王が、そして鏡の精が続くはず。
「……そうだな。念には念を入れておいて損はあるまい。鏡よ鏡、世界で一番美しいものはだれだ?」
少し悩んでいたものの、アンは基本通りの返答。そして、
「はい、女王様。それは、白雪姫で――」
「……お母様?」
私は立ち上がると、堂々とした歩調で女王の声がする方に歩み寄る。
ならば私も、前が見えなかろうがしっかりと歩く。
他人がいれば勝手に避けてくれるだろう。
もし、小道具や椅子にぶつかっても大丈夫。
「いたっ! もう、お母様。こんなところに何か出しっぱなしですよ」
心の準備さえ出来ていれば、なんら問題はない。痛みを感じないフリなんてしなくてもいいんだから楽なものだ。
「お母様?」
「い、いや、なんでもない。それよりも娘よ。どうしたのだ、こんな夜更けに」
アンは少しだけ早口に疑問を口にした。予想していなかった展開への焦りが声に表れてしまっている。かわいそうに。
「いえ、変な時間に起きてしまったので、暖かい紅茶でも飲もうかと広間に来たのです。そうしていたら、倉庫の方から母様の声がしたもので……それよりもお母様は何を?……私の話をしていたようでしたが?」
さぁ、王女様。
これでもう、ストーリーは関係ない。全力で、やり合おうじゃないか。
目隠しの奥から、しっかりと彼女を見据える。
「……聞いていたのか、娘よ。ならば、なぜ耳をふさいで部屋に戻らなかった。なぜこの部屋に顔を出した。そうすれば自分がどうなるか、想像が出来なかった訳でもあるまいに。明日の朝にでも、おまえを慕う王子に助けを求めることだって出来たはずであろうに」
泣いているのだろうか。苦しみと悲しみが入り混じった悲痛な声。母として、この決断をする事が本当に心苦しい。その感情が声に乗っている。その重い、想いがホールに響いている。
静寂。
誰もが彼女の次の言葉を待っていることが、見えずとも分かる。
私の身体は、肌から伝わる恐怖から逃れようと少しずつ後ずさろうとする。
「ねぇ、私のかわいい、かわいいスノーホワイト。1つ、尋ねてもいいかい?」
幼少の記憶を思い出させるような甘い声。なのにどうして。まとわりつく、汚泥のような気配。
「えぇえぇ。もちろんですわ、お母様」
そう言いながら、かしずくように右手をへその前に、左手を腰の後ろに回す。視線を下げ、左足を右足の後ろに回して半身の姿勢をとる。
――ダン!
王女が一歩、私に近づく。
影を縫い止められたように、身動きが取れなくなった。
「どうかしたかしら? 汗をかいているようだけれども」
バタン。
……カチリ。
私の後ろの扉が閉まる。誰かがご丁寧に鍵もかけたようだ。いや、ここは舞台上なのだから、実際に扉があるはずがない。
けれど扉が閉じた音も、鍵が閉まる音も、確かに私の脳には聞こえてきた。
「お母様。そんな事、当たり前じゃあありませんか。暖かい紅茶を飲んで、愛しのお母様と久しぶりにお話ができて。しかもこのお部屋、メイド達とお話していたのでしょう? 熱気もこもっておりますわ。そのような状況では、汗の1つや2つも出ましょうよ」
「……ふむ、確かにここは暑い。貴女には少し厳しいのかもしれません。そう、貴女には、暑すぎる。だからこれは仕方のないことなのです。仕方ない、仕方ない」
――雪が溶けて、無くなってしまっても。
その言葉が空気を震わせた瞬間、私は駆け出していた。
「助けて! 誰か、誰かお願い! だれかっ!」
扉に張り付き必死にサムターンを回す。鍵穴はついていないはずなのに、なぜか扉は開かない。
ガチャガチャとドアノブを揺する。両手で精一杯殴りつける。けれど非力な私の力では、金属製の鍵も、木製の扉も壊れない。
壊れないから、開かない。
「もういいかい。なぁ、もういいだろう?」
突き抜けた怒りに、少しの哀れみを混ぜてできた、ちょっとだけ甘みのある声。
それは、涙と涎をまき散らしながら助けを呼ぶ私に下る、
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