第4話 楽屋

 まるで気持ちとリンクするような階段を降り、案内された控え室の扉を開ける。

 目の前に広がる、白を基調とした4畳ほどのスペース。まるで何者にもなりきれない私の現状をあらためて突きつけてくるようで嫌になる。

 

「何やってるんですか、せんぱい! そんな所に立ってないで準備急がないと。あと45分しかないんですよ!」


 先ほどの一幕が無かったかのように、せかせかと化粧を直すアン。

 確かに外は暑かったけど、そんな焦らなくても。まだ1時間あるんだし、とりあえずテーブルに置いてある高そうなお弁当でもさ。


「せんぱい、本気で言ってます? はぁ。なんで私はこの人に……」


「え、なになに?」


「なんでもないです! 良いですか。オーディションが行われる会場は恐らくメインホールなんですよ。じゃなければここでやる必要がないわけですから」


 捲し立てる様はアイドルというより良いお母さんのようだ。子どものためにキャラ弁とか作っちゃうタイプ。

 話を聞きながら、未来の彼女に思いを馳せる。苦戦していたお弁当のフタが外れた拍子に、シシャモ子持ちも爆ぜる。


「ちょっと、ちゃんと聞いてます!?」


「ごめんごめん。メインのおかずの話だっけ?」


「ちーがーいーまーすー! だから、舞台が普通の場所より圧倒的に広いんです!」


「……それがどうしたっていうの?」


「広い舞台なら、それ用の濃いメイクにしとかねぇと、勝負にすらならないってことだよ。お姫様には難しかったかな?」


 私の疑問に対する返答は、後ろからやってきた。

 見なくたって分かる。ノーブランドのスーツに革靴風スニーカー。ネクタイなんてワンタッチ。そんな身なりで良くもまぁ大層な台詞が言えたもんだ。

 事務所での事もある。ここは一言、強く言ってやろうと勢いよく振り向く。


「ちょっと小樽さん! 私、まだ納得してな……え、まだその季節は早いんじゃないかな?」


 そこには、左頬に真っ赤な紅葉を色づかせる小樽の姿があった。


「えぇー! マネージャー、とりあえず顔冷やした方がいいですよ!」


 化粧道具を放り投げ、慌ててタオル持って外に向かおうとする、アン。


「いいよいいよ。せっかくの勲章だからな」

 

「小樽さんのことだから、どうせまたその辺の女に手を出して揉めたんでしょ?」


「……まぁ、そうなのかもな」


「またですか。さいってー」


 タオルを放り投げ、ゆるゆると化粧台に戻っていく、アン。


「おーい、そう怒んないでくれよ、アーンー!!」


 情けない小樽の声。それを聞いて幾分か気持ちもすっきりした。


「それで。その、こういう舞台用のメイクって必要なの? 前に舞台に立った時は、そんなに気張ってやった覚えないけど」


「せんぱい……」

「お前……」


 顔を見合わせる2人。そして、示し合わせたように壁掛け時計の方を向いて考え込む。私も追うように目線をやれば、時刻は15時を迎えようというところ。

 小樽は唸りながら後頭部を掻きむしる。そして何度か指を折りながら計算すると、アンちゃんの肩を叩いた。

 

「アン。お前も準備まだだろ? しゃあない。こっちは俺がやっとくから、お前は自分の準備、進めとけよ」


「あー……本当ですか。正直、すごい助かります。さっきは焦って強い言い方しましたけど、あくまでオーディションなので、少し手を入れれば、せんぱいは大丈夫だと思います」


「オッケー、オッケー。じゃあ、そういうことで」

「純、お前はこっち。ほら、メイク直してやるから」


 どうやら私の意思とは無関係に、この後の流れが決定したようだ。アンちゃんは小樽にメイク道具の説明を済ますと、外に出て行ってしまった。

 そして問題はこっち。小樽はメイク台の前で道具を確認しながら準備を進めている。本気で私のメイクを直すつもりらしいが、大変申し訳ないことに、気まずくて仕方ない。

 とは言え時間も無いし、やって貰えるのは実際ありがたいのもある。


「小樽さん、大丈夫なんですか?」


 鏡の前に座りながら、小樽に尋ねる。しかし返ってきたのは期待とは違った言葉。


「おぅ、大丈夫だよ。いつも言うだろ? 大手にいた時は敏腕だったって。担当してた女の子がアイメイクが怖くて出来ない娘だったから、いつも俺がやってたんだぜ。当時その娘は、今のアンと同じくらい忙しかったから、よくメイクさんと間違えられてたよ。懐かしいな」


 あまりに彼はいつも通りで。

 それが私の緊張をほぐす為には思えなくて。

 私の欲しい言葉なんて、とっくに分かっているくせに。

 

「すいませんでしたね、私は全然忙しくならなくて」

 

 ちょうど彼の顔が隠れたタイミングで口を尖らせてみる。見透かしたように小樽はこちらを見るとニヤリと笑った。それだけだった。

 

「いいからほら、目ぇ閉じろ、刺さるぞ」


 工程が一つ進むたびに吐き出される吐息。口にされなくたって、いかに丁寧にメイクを施してくれているかは分かる。

 

「純。お前はこの7年、本当に良く頑張って来たよ。まぁ、なんだ。こう言ったらあれだけど、もし。もしも今日がダメだった時はさ」


 私の頬に添えられた指に力が入る。いや、震えている。え、まってまって。こんな時にまさか。


「戻りましたよー……って、何やってんですか2人とも。目にゴミでも入ったんですか?」


「あー、あぁ! うん、うんうん。そうなの、ゴミがね! 小樽さん、ありがとね。あとは自分で確認してくるね!」


 戻ってきたアンの言葉に調子を合わせて立ち上がる。自分がどんな顔をしているのか見当がつかず、小樽の方を見られそうにない。

 ズルい。あんなのズルいズルいズルい。部屋の扉を開け、大股でトイレに向かう私の頭は、その言葉だけがぐるぐると回り続けていた。

 ただ私にもはっきりと分かる事がある。

 きっと彼と違って、私の頬は両側とも赤く紅葉しているのだろう。



 ――コンッコンッ。

 15時30分ちょうど。


「お待たせいたしました、アン様、春石様。これより会場にご案内致します。申し訳ありませんが、秘密保持のためにこちらにご協力下さい」


 手渡されたのは、暗い闇色のスカーフ。


「係のものが誘導致しますので、そちらで目隠しをお願い致します。なお不正行為は……説明の必要はありませんね?」


 有馬さんはそう言って左手を私たちに向けると、笑顔で動きを止めた。

 いや、そんなに圧をかけてこなくたって普通に従うよ。従うけど、本当に何をさせられるんだろう。


 視界を塞ぐ、暗幕を下ろすように。

 すると不思議だ。私の世界はより広く、より色鮮やかに広がっていく。


 さぁ。今日こそ私は、いけるだろうか。

 減っていく心拍を感じながら、深く沈んでいく。


 

 

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