第3話 ワーニング・ポイント


「やっぱりここ、だよね?」


「やっぱりここ、ですね」


 改めて地図と目の前の建物を見比べる。

 しかし何度見比べたところで、この招待状が本物ならば、ここで間違いは無い。


 一見しただけでは何かの研究施設のようにしか見えない目の前のそれは、普段は国内外の1流と呼ばれるオーケストラのコンサートやバレエ、オペラなどの大規模公演の時に使われる、日本有数の多目的ホール。

 場所は繁華街から目と鼻の先。となれば当然、街の喧騒がここまで届きそうなものだが、実際は違うパズルのピースがハマってしまったかのように、ここだけは厳かな空気に満ちている。

 また国営美術館を併設しているということもあって、芸術家の聖地と称されている。

 

 いや、これはありがちな話ではあるが、称されると言う方が正しいのだろう。

 なぜならば。

 偉大なる先人達の、寝食を惜しんで生み出した傑作も。文字通り命を削って作られた怪作も。全てはこのホールが有する権威を高め、そして保つ為の道具に成り下がってしまっているからだ。

 さしずめこのホールは、芸術家達の誇りと嫉妬の結晶と言っても過言では良い。


 となれば、そこまでして価値を高めた権威あるホールを使って、たかだか映画が。

 さらに言えば新進気鋭ぽっと出の監督が撮る映画ごときが。

 それに出演する女優を決めるオーディションを行うなんて話が。

 そんな無礼が。

 通るはずがない。と言う話が、平然とまかり通っているのである。


「参加者、何人いるんだろうね」


 ポツリ、と私の喉から声がこぼれた。

 あぁ、確かに。ここなら主舞台だけでも100人は上がることができる。それに加えて奥、上座、下座舞台があって、総舞台平米は……あぁこれ以上は考えちゃダメだ。いやでも状況把握は大事だし。まてまて、相手が何人いようが関係ない。どうせ私にとってはおそらくきっと、最初で最後の大舞台。とは言え。


「せんぱい」

「せんぱいなら、大丈夫。大丈夫なんです。アタシは知ってますから。"do your best"です!」


 立ちすくむ私に向かってそう言い、アンちゃんは両手を上げると、力こぶを作った。

 

「……そうだね」


 ゆっくりと深呼吸。そうだ、私は日本一のエチュード女優。どんな場所でも相手でも、足が血だらけになっても踊ってみせる。

 

「アン、ありがとう。もう大丈夫」


 そう言って私はエントランスへの大きな自動ドアを抜けた。さっきと違い、彼女からの返事がなくても気にならない。

 だってここから先は先輩も後輩も、経歴だって関係ない。ならば察しの良い彼女に対して、これ以上の会話も必要ない。

 いやそれよりも。

 私の気を落ち着かせるためとは言え、女の子がダブルバイセップスってのはちょっとない。とは言えわざわざそれを伝えてあげるなんてもっとない、けれども。


 

 入って最初に驚いた事は、意外にも質素な中の造り。内壁はコンクリートの打ちっぱなしにそれらしい塗装がしてあるだけ。照明に至ってはLEDの直管ライトが剥き出しになっている。外観のイメージ通り、やはりどこかの研究施設といったところ。とても聖地と呼べるほどの威厳は感じない。

 初めて来たので判らないけど、こういう場所って、もう少しそれらしい雰囲気があるような気がする。

 もしかして、大掛かりな仕込みがすでにされているのだろうか。なんならもうすでに、審査が始まっている可能性もある。


 チラリと後ろを振り向く。目線に気づいたアンが、冷房の寒さに震えたように見えるよう小さく首を振る。なるほど。彼女が特に何もないと言うのなら、きっと私の思い過ごしなのだろう。ちょっと張り詰めすぎていたかもしれない。

 気を取り直して正面に目線をやったところで、声がかかる。

 発声の最初の文字から、自転車のベルを鳴らしたように遠くまではっきりと響くメゾソプラノ。


「お待ちしておりました、春石様、Why un-bloom様。どうぞこちらへ」


 落ち着いたライトグレーの折り目正しいスーツ。華美ではないが、目鼻立ちをはっきりさせた知性と規律を感じさせるメイク。そんな彼女が、指先まできっちりと揃えて示す受付デスク。

 同業者、それも間違いなく自分よりも深い。

 アンも似たような事を感じたのか、私より前に出ようとはしない。すでに審査は始まっているのならば、私を盾に様子をみたいと思っているのだろう。抜け目ない。


 とは言えこうしていたってなにも始まらない。アンだけならともかく、私ごときの名前と顔が一致しているということは、今日のダンスパートナーの1人には違いない。

 ならばと、彼女の笑顔に応えるようにお辞儀をしながら近づく。


「本日は急なお話にも関わらずお越しくださいまして、誠にありがとうございます。本日、お2人に各種ご案内をさせていただきます有馬と申します。宜しくお願い致します」


 有馬……思い当たる人はいない。私の知り合いにはいない名前だ。


「はじめまして! Why un-bloomと……長いので、アンって呼んでください! 宜しくお願いします!」

「春石です。本日はこのような機会を頂き、ありがとうございます」

 

 そうか。以前に森監督の作品にも出ているアンが会ったことないとなると、おそらく裏方か事務員か。となれば、今からすぐ何かが起こるとは考えにくいだろう。いやそれすらも……いやいやいや、だから考えすぎちゃいけないって。


「春石さん?」


「あ、ごめんなさい! 考え事をしてて」


 慌てる私を見て、有馬さんが微笑む。

 彼女の手元には見覚えのあるA4用紙。


「いいえ、お気になさらず。では改めて、本日のオーディションについての説明をさせていただきます。なお、今からお話する内容は全てこちらの紙に記載してありますので、ご不明点があれば確認して下さい。」


 そうして渡されたものは、事務所で受け取った招待状と違い、冷ややかな熱を含んでいた。


 1.オーディション内容については、一切の多言無用とする。

 2.オーディション内容については、いかなる疑問も受け付けない。

 3.オーディションは長時間の拘束となる場合がある。そのため手洗い等は各自の判断で済ませておくこと。

 4.オーディション開始は15時40分。10分前に係の者が迎えに行くので、参加者は控え室にて待機すること。

 5.面接官、および係の者の指示には従うこと。

 6.オーディションについては、身体的な痛みを伴うものではないことを保証する。ただし、精神面はその限りではない。

 

 以上の事柄を承諾出来る者のみサインを。またその後、有馬の指示に従うこと。

 これら上記事項に違反をした場合、この世界からリタイアする可能性がある事を留意して欲しい。


「……なんですか、これ。アタシ達、何をさせられるっていうんですか!?」


「契約書の通りです」


 彼女は毛先を弄びながら、何かを考えている。あぁ、大変だな。いっぱい荷物がある人は。

 私は、彼女を横目に契約書にサインをすると、有馬さんに手渡した。


「え? せんぱい、ちゃんと見ました!?」


 慌てたようにアンが食い寄ってくる。何をそんなに慌てているのだろうか。あ、でも有馬さんの驚いた表情が見れたのは、ちょっと嬉しい。


「だからこの条件。そっか、せんぱいは森監督の事、よく知らないから」


「いやいや、アンちゃんこそよく見た? 身体に傷はつかないよ。だったら映像に残ることもないじゃない。あとはほら、私たちは女優で、監督は男。起きそうな事くらい想像出来るじゃない。ねっ。どれも、演技指導の範囲」


 ぐずる子どもに言い聞かせるように、優しい声色で教えてあげる。苦虫を噛み潰したどころか、味わって飲み込んだような表情をしているけど、どうしたんだろう。


 私の言葉に話が通じないと踏んだのか、その後1人で唸っていた彼女も、いよいよ覚悟を決めたらしい。


「……分かりました、分かりました。解りましたよ。アタシも参加します」


 彼女はそう言って平仮名で名前を書き殴ると、有馬さんを睨みつけた。

 

「何を考えてるか知りませんけど。アタシが名前の通りの甘っちょろい人間だと思わないで下さいね。って、監督に伝えておいて下さい!」


「かしこまりました。お二人様とも参加ですね。控え室は、こちらの階段を降りてすぐの104をお使い下さい。ただいま……14時48分です。時間にはどうぞお気をつけください」


 アンの吐き捨てるような台詞にも全く動じない有馬さん。参加者の不平不満には慣れているのか、はたまた別の理由があるのか。

 まぁそれはそれとして。とりあえず私には、どうしても確かめなければならないことがある。


 ぷんすかと擬音が出そうなアンが階段を降りるのを見送って、有馬さんに向き直る。


「有馬さん、最後にお聞きしていいですか?」


「えぇ、契約書以外の事でしたら」


「私、今回のオーディション、あとどれくらい頑張ればいいんですかね?」


 彼女の目が少しだけ細くなる。唇に指を当て、重心を右側に寄せて斜め上を見上げる様は、実にキマっている。


「あら……そうですね。春石さんですと"Soul the 絶後"と言ったところでしょうか。」


 言って、少し照れたのか舌をチロリと出して微笑む彼女はとても可愛らしい。

 そしてこの世界は可愛らしい人ほど、恐ろしい。

 

「はい、バッチリです。アドバイスありがとうございます」


 そうか、今日までの私が出せるベストではなく、これから先の未来も含めた中での1番を出す心意気がいるのか。

 分かっていたつもりだけど、やはり厳しい戦いになりそうだ。

 せめて控え室が上の階だったら。階段を降りながら、そんなことを思う。

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