間話 器
「……うん、そう……頑張ってみる……うん……」
トイレの個室から小さく抑えた声がする。やっぱりここだ。せんぱい、またお父さんに電話をかけているんだろうな。
大切な時間だろうから邪魔はしたくないけれど、こちらとしてもそうも言っていられない。
意を決して、アタシは個室に向かって呼びかけた。
「せんぱーい? いますー? そろそろ、行きますよー?」
少し大きめに出した私の声に反応して、ガタガタと慌てて身だしなみを整える音がする。それからしばらくあって、水の流れる音。
きっと時間も忘れてお話ししてたんだろうな。せんぱいの慌てふためく様を想像すると、ちょっと愛おしい。
ガチャリ、と個室の扉が開く。
せんぱいに慌てている様子はない。それどころか、アタシのことを初めて認識したかのような表情。
少し驚いたように目を開き、はにかむ。小さく手を振り、アタシの隣を通り過ぎて手洗いに向かう様は、自然体そのもの。
もしもこれが演技だとするならば100点満点。どんな監督でも文句をつけることはあるまい。
もう。いつもながら手間のかかる人だこと。肩をすくめて振り返ると、手洗いを始める先輩の隣に並び、改めて声をかける。
「春石先輩、そろそろですよ」
先輩はこちらをチラリと見ると、小さく頷く。口元が「ありがとう」と動いたようだが、蛇口から勢いよく噴き出す水音でアタシの耳までは届かない。
返事を求めていた訳ではないのだろう。用は済んだとばかりに、鏡に映る自分の姿に意識を戻してしまった。
アタシも釣られるように鏡を見る。しかし角度が悪かったのか、アタシの姿は映らない。
違う。
鏡は一心不乱に先輩を、先輩だけを映していた。
何故か私は、そう確信出来た。
それがとても悔しくて、1人で先に外に出る。絶対に、彼女だけには負けたくない。綺麗に花を咲かせるのは、私だけでいい。
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