第一幕
第1話 燃え殻になれない女の子
事務所に入るなり渡されたのは、A4用紙に片面印刷したものを1枚。フォントは角ゴシック体、書体はいかにもテンプレート通りと言った感じの文章。そして文頭には『オーディションのお誘い』との文字。
あまりに簡素な作りにどう反応したものかと目で助けを求めるも、男からの反応はない。
何度も読めば読むほど眉間に
そこに映っていたのは、この夏を期待させるような晴れやかで澄んだ青空、なんてことはなく。暑さを和らげてくれる、涼やかな
強いて言うならば。
行くべきか引くべきか、判断を鈍らせ足を止めさせる。そんな分厚い曇天模様のお昼前。
それは永遠の新人女優こと、私、
「なにこれイタズラ? あぁ、なるほどドッキリでしょ。
コピー用紙を机に叩きつける。全く、何故この人はこう、たまに仕事を持ってきたと思えば、当たり前のように私の希望とは違うものを持ってくるのか。納得がいかない。
そもそもドッキリなら先に言っておいてもらわないと困る。ファンデーションは塗り直したいし、今日はお気に入りのリップじゃないんだから。
「あ、いやちが、違うんだって。これは、今回は本当なんだって!
彼は刈り上げた後頭部を左手で掻き、鼻息荒く言う。思いつくままに飛び出してきたであろうその言葉達の、何と胡散臭いことか。
この小さな事務所にスカウトされ、彼の口八丁や口八丁、あるいは口八丁に騙され続けきたこの7年。彼の発言が本当だった事はほとんどなく、むしろ何かそういう作戦なのかと疑っているくらいだ。
元々は大手事務所の敏腕マネージャーであり、小樽裕晃の名前は業界でもちょっとしたもの。と彼はいつも言う。
しかし哀しいかな。その才覚を披露してもらった事はーー少なくとも私に対しては、未だない。
「へー。かの有名な新進気鋭の映画監督、
捲し立てるように詰め寄る。ついでに渾身の自虐ネタに、嫌味を込めて。
しかし小樽の反応は鈍いようだ、ならば。
「あぁ、信じられないわ! 私、知らないうちにどこかの舞踏会にでも出席していたのかしら? もしかしてそこで落としたであろうガラスの靴を辿ってきてくださったのかしら!?」
身振りも交えながら、更に言葉を繋ぐ。ステップを踏み、渾身の悩ましげなポーズ。うん、流石は自称日本一のエチュード女優。これは
でもまぁきっと、とても虚しいことに。今の私はシンデレラと言うよりは、アナスタシアが近そうだけれども。
しかし、えぇえぇ構うもんですか。意地悪な姉だって『3』まで粘れば王子様を手に入れるチャンスがやって来るんだから。
ちらりと横目で見ると、一転、小樽は腕を組み何やら真剣に考えていた。
秒針の進む音が耳につく。
呼吸が無意識から意識的なものに変わっても身じろぎ一つ取らない彼に、もしかして機嫌を損ねてしまったのかと少し不安になる。
やはり歳上に対して失礼だったかと謝罪の言葉を紡ごうとした時、彼は満面の笑顔で私に向き直った。
「うんうん。いや。純は魔法使いの力を借りるタイプじゃないでしょ? どっちかって言うと普段着で乗り込んでいって、良い飯食って、爪楊枝咥えて帰るタイプだな!」
そうサムズアップと共に言い放った表情はあまりに清々しく、呆れてしまう。まったく、仕方のない。これで私より二回りは歳が上だって言うんだから男ってやつは。
「……はぁ、まぁいいわ。それで、これ。条件は何?」
とりあえず今までの反応から見るに、ドッキリってことは無さそうだ。
とは言え、まさか本当にオーディションの招待だとしても理由が分からない。森監督とは面識もなければ、社会的立場も違う。それは彼の方が圧倒的に良く分かっているはずだ。
その上で私に提示してくるのだから、何かよっぽどの――
「なんだかんだ話が早くて助かるよ。やっぱり純は最高の女優だ。」
突然、小樽の雰囲気が変わった。
自らの背筋を伝う汗に気づいてしまうほどの、軽薄で、役者として見ても完璧な笑顔。そして今日話した中で一番軽く、一番耳障りの悪い台詞。
「見えすいたお世辞は逆に腹立たしいわね。もったいつけてないで、言いなさいよ」
私は不快感を隠すことなく、睨みつけながら促した。手足の先がピリピリする。脳内から耳に向かって、ホイッスルような甲高い音が通り抜ける。
不快感を悟られないように、自分を守るように腕を組んで誤魔化した。
小樽は目を伏せると大袈裟に首を振る。そしてはっきりとした口調で、私に宣告する。当然、笑顔は崩れない。
「春石純さん。この招待状は、弊社から貴女にかけられる最後の魔法です。宜しくお願いしますね。それとこの魔法、あと3時時間ちょっとで切れるから気をつけてね」
彼の腕時計から12時を知らせる音が鳴る。
外の天気は未だ、変わらない。
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