Ⅳ 少女の願い

 十一月未明に発生した発砲事件は、アレッポに住む信者らに大きな傷痕を残す結果となった。事件の発端となった男は銃声を聞きつけた政府軍の兵士により射殺。その後に現場に駆けつけた兵士によると、当時の教会内には二人の男性の遺体があったという。教会奥で亡くなっていた男の胸の辺りには大量の血が付着してあった。しかし胸に傷痕はなく、後に報告書には、死との狭間でもがき苦しんだ末に付着した血痕、ということで処理された。

 それから一週間後、ミナレットの瓦礫の山の中で、年端もいかない少女が死亡した状態で発見された。解剖医によると、死亡の原因となったのは腫瘍であることが判明する。発見時、少女の目の辺りからは大量の血の涙が溢れ、赤く染まっていたと思われる少女のシャツは時間の経過により黒ずんでいた。死亡する直前には既に目に視力はなく、瓦礫の隙間から射す太陽の光さえも感じることができなかったのではないだろうか、と解剖医は見解を示した。


 町の小さな教会──オール・セインツ教会──に少女が初めて姿を現したのは偶然だった。古く廃れた建物の見た目に、人々はそれが教会であることすら気付くことなく通り過ぎるのが常である。

 少女は違った。幼いが故にすべての物事に興味を示していた。古めかしい謎の建物も例外ではない。教会の敷地内にある『不思議の国のアリス』に登場した主人公アリスの像に興味を示せば、背比べをしたり同じポーズをして遊びまわっていた。

 教会の中に足を踏み入れた途端、少女の目からは不思議と涙が溢れ出した。少女は母親の言いつけで、涙を外で流してはいけないと強くしつけられていた。理由は少女も分かっていた。少女はスカートのポケットから包帯を取り出すと、慣れた手つきで目許を包帯で覆った。

 真っ暗な世界。誰も居ない世界。それが少女にとって唯一安心できる場所であり時間だった。少女は誰に教えられたわけでもなく、膝を床につけ、手のひらを合わせるように指を絡めた。


「マリア様。どうか私を自由にしてください――」


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タナトスの福音 祐希ケイト @yuuki_cater

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