Ⅱ 美味しい食事

 少女の名はケイトリン・ウィーバー、齢十にも満たないストリートチルドレンだとハルが知ったのは、教会を出てハルの自宅に向かう道すがら寄ったカフェの店内だった。歳の割には低い身長。加えて、あまりに痩せ細った彼女の身体は見るに耐えるものではなく、まずは落ち着いた場所でお腹を満たすことが少女のためだとハルは考えていた。カフェは街外れにあるだけあって店内に客は彼らしかおらず、店内に流れるクラシックは少女の心をすっかり解きほぐしてしまっていた。


「ケイトリン――いや、これからはケイティと呼んでもいいかい」


「うん、いいよ」


 ケイティはハルが注文した特製ハンバーガーに舌鼓したつづみを打ち、匂いを嗅ぐだけですっかり上機嫌になっていた。美味しい食事を目の前に出されて、まだ精神的に幼いケイティはハルのことを優しい人間である、とあっさりと評価を改めた。ハルはその様子を見て、にこやかな笑顔を向ける。


「それじゃあケイティ、今から僕は君に確認の意味で質問をさせてもらうよ。君はその血の涙のせいで両親にも見離され、ああやって毎日教会に足を運んでいたのかい」


「……えっと、うん」


 ケイティのハンバーガーを食べる手が止まる。幼いケイティにとって親に見離されたというのは事実として受け入れがたく、それを自分で認めてしまうことに無性に悲しくなったのだ。ハルは言ってから失言だったと気付き「しまった」と反省したが、それにおくすることなく質問を続ける。


「血の涙のせいで君は悲しい思いを受けてきたよね。もしかすると血の涙なんて大嫌いと思っていることだろう。でもね、その血の涙は君をこれから幸せにする大きな武器にすることもできるんだ! この意味がわかるかい」


 ケイティは金銭的に貧しい夫婦のもとに生まれ、これまで学校にまともに通うこともできず難しいことを考えることがなかった。そのため人の顔色をうかがうことには長けていたが、状況類推能力は著しく欠けていた。ケイトリンは口許にハンバーガーのケチャップをつけながら首を横に振る。意気揚々と興奮気味だったハルはふと我に返ると、懐から取り出したハンカチでケイトリンの口許を優しく拭った。


「ケイティはキリスト教の聖母マリアを知っているかい。イエス・キリストのお母さんだ」


「イエス様もマリア様も知ってるよ!」


 難しい話ばかりしていたところに知っている単語が耳に飛び込み、ケイティは元気に答えた。「そうかそうか、ケイティは偉いなあ」とハルは彼女の頭を撫でるとケイティも褒められて幸せな笑みを浮かべた。ハルの目は笑っていなかった。

 ハルの頭の中には壮大な計画が広がっていた。緻密ちみつな計算にミスは許されない。計画を無事成功に導くためにはケイティを正確に「運用」しなければならない。言葉巧みにケイティを信頼させることが計画への第一段階であるとハルは顔には出さないが考えていた。


「いいかい、僕はこれから君には幸せになってもらいたいんだよ、ケイティ」


「ハルおじさんが、私を幸せにしてくれるの?」


 ケイティのつぶらな瞳が訴えかけていたものは純粋な幸せへの欲求だった。結婚や出産、そんなありふれた子どもの考える幸せ。自身が愛情をほとんど感じないまま育ったせいもあってか、その期待と欲求は大きいものであった。ハルは彼女の境遇を知った上で答えたのだ。


「そうだね、僕が君を幸せにしよう。君は僕にとって必要だ。だから僕の言うことを信じてついてきてほしい」


「幸せ」、「必要」。そんなもの、今まで自分とは縁も所縁ゆかりもない言葉だとケイティは思っていた。だから心を揺さぶられる。どうせこの町にいても、毎日教会に通っても、私の人生が変わるわけがない。それならいっそ委ねてみようと思った。この人なら信用してもいいと思った。人を、信じてみたかった。

 テーブルの隅に置かれた赤く染まった包帯がケイティの視界に入る。忌々しく感じた真紅しんくもいまや黒ずんでいる。一間置いて、ケイティは意を決した。ハンバーガーの包みと包帯を一緒くたに小さな手の中で丸め、過去の記憶と共にゴミ箱に投げ捨てた。これにはハルも突然の行動に動揺を隠せなかったが、包帯を捨てた後のどこか安堵あんどした表情を見せるケイトリンを見て、その意思の強さを理解した。


「それでは行こうか。君の新たなホームに」

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