3

 次いで、人が落ちていく盛大な音。流石に何か大変なことが起きたと分かったのだろう。彼女が階段の下まで駆ける音が聞こえた。

「……!! ねぇ、何してんの、平気!?」

「いたた……ごめん、足を踏み外しちゃったみたい……いたたた……ごめん、立てないや」

「……ほんと、ばっかじゃないの?」

 そう相変わらずの毒を吐いているが、女性は固定電話まで駆けていった。そして焦ったように助けを呼ぶ声。気丈に振舞っているものの、やはり不安なのか、その声は少しだけ震えていた。……そしてその声を聴きながら、俺は。

 ……俺は……。

「……ほら、何をぼさっとしている」

「……え……」

「何か意味深なセリフを囁くんだろう。早くしろ」

「……あ……」

 クロードに背を押され、俺は彼の傍に寄る。……その拍子に見えた脚に、俺は思わず言葉を失った。

 脚が青くなり、大きく膨れ上がって腫れている。更に少しあらぬ方向に曲がっていて……。

「……ッ……!!」

「……?」

 俺はそのグロテスクさに、思わず息を呑んだ。その音が聞こえていたのかもしれない。彼が振り返る。……あちらに俺の姿は見えないはず。だが。


 至近距離。

 目が合った。

 そう思った。


「……!!」

「っ、おい?」

 気づけば俺は、その場から駆け出していた。クロードが俺を呼び止める声が聞こえた気がしたけど。

 そんなの、気にしている暇もなかった。



 俺が辿り着いたのは、その家の近くの浜辺だった。さざ波の音が目の前で揺れる。そして俺はと言うと、その音を前に、一人蹲っていた。今、俺の姿は見えているのだろうか。それとも。気になったが、一方でどうでも良かった。

 目を閉じてしまいたかった。だが、迂闊に目を閉じると浮かぶのは、先ほどの光景。だから目を閉じるわけにはいかなかった。

 押し出されるため息。俺の心は、沈みに沈んでいた。

「やはりな」

 その時、真後ろから声が聞こえた。振り返るまでもない。クロードだった。

「……やはり、って?」

「お前は本気であの男を殺す気などない」

「……」

「それどころか、あの男を傷つける度胸もない」

「……」

 クロードの言葉に、俺は黙る。黙るしかなかった。だって……図星だから。

 小説家を殺しに行こう。そうは言ったが、俺に……そんな度胸なんて、あるわけ無かった。当たり前だ。俺は昔から気が弱くて……虫さえ潰せないのだ。

 ……初めから、無理に決まっていたのだ。

「……意気消沈しているところ、申し訳ないが、一つだけ聞きたいことがある」

「……何だよ」

「自分で言うのもあれだが、私はとても優秀な悪魔だ」

「……ほんとに、自分で言うかよ……」

「その為、私ほどの悪魔になると、余程強い願いことが無いと呼び出せないのだ。初め、私はお前の『殺したい』という願い事が私を呼び出したと思っていたのだ。しかし、今のお前の様子を見ると、それは間違いだったようだ。そう判断せざるを得ない」

「……だから?」

 俺が結論を急かすと、クロードは言い放つ。


「お前の本当の強い願い事は何だ?」


 ──


 俺はとある場所にやって来ていた。それは……病院。

 というのもここに……ヤマダタロウが入院していると、クロードに教えてもらったからだった。

 見舞いの品、OK。病室の確認、OK。……。

 のこのこと扉の前までやって来てしまっていた俺は、思わず座り込んでしまいたくなっていた。

 いや、何で来ちゃったんだ俺!! ……いや、それは、罪悪感がすごかったから、自己満足でもなんでも、謝りたかったからで……。いや、それにしてもだ!! 突然知らない男が謝りに来るとか軽めのホラーだろ!! ああ、帰りたい。帰っていいか? 帰るか……そうするか……いや、でもそうしたらまた罪悪感で胃が痛くなることは明白……。

「入らないのか?」

「うおあぁっ!? く、クロード!! 突然現れるなっ!!」

「私はずっとここにいたぞ。勝手に気付かなかったのはお前だろう」

「う、そ、それはごめん……?」

 反射的か、思わず謝ってしまった。謝る必要とか今なかったな。

「で、入らないのか?」

「う、うるさい……今まさに入ろうと思っていたところだったんだ」

「じゃあこんな病室の前で30分も立ち往生してないで、早く入ることだな」

「……」

 ずっとここにいたというのは、本当らしかった。

 俺は深呼吸を一つ。そして意を決して、ノックを。

 ……コンコン。

「……はい、どうぞ」

 中から声が聞こえる。それは、当たり前だが、ヤマダタロウの声で。俺は思わず尻込みしてしまってから、再び深呼吸をし、扉の取っ手に手をかけた。

「しっ、失礼しますっ」

 ……声が裏返った。恥ずかしい。

 中に入ってまず目に入ったのは、例のイケメン。そして彼のベッドの脇の椅子に座る、彼女の姿。……どこにでもいるな、この彼女。

「……貴方は……?」

「え、えっと、俺、えっと……」

 ヤマダタロウに話しかけられて、俺はあっという間にあがってしまった。上手く声が、言葉が、出てこない。どうしよう。脳内での練習が、全く役に立たない。……というか今更だが、コイツ「ヤマダタロウ」って顔じゃないだろ……。現実逃避のように、思わずそんなことを考えてしまう。ああ、誰かどうにかしてくれ……数分前の俺を殴ってくれ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る