第46話

 結仁の心がざわつく。悲鳴が聞こえ立ち止まった。佐藤が結仁に飛びかかっていた吸血鬼の首を切り飛ばす。

「おい! 何ぼさっとしてんだ結仁!!」

 結仁は俯いたまま応えない。体が震える。楓がくれた吸血化薬を取り出した。握ると鈍く頭が痛む。反応している。結仁は叫び声が響き渡った方向に走り出した。佐藤が咄嗟に右腕を掴む。結仁は全力でそれを振り払った。

「紫乃が! 紫乃の声が聞こえたんです」

「どこだよ! だからって無理だ。そこら中に敵がいるんだぞ!」

「関係ないですよ! そんなこと。ぼくは紫乃を守るんだ。ぼくは妹を命に変えても守りたい!!」

 結仁は銃口を佐藤に向かって突きつけた。佐藤は嫌な汗を流す。

「小野寺……どうする?」

「行かせるしかないだろう……迷っていると我々が死ぬ」

「……ちくしょう。餞別だ」

 佐藤は一つのAZ弾のマガジンを突きつけた。

「お前の妹が死んでるんなら絶対にもう一体いる。殺してこい。しくじるな。死体でご対面はごめんだ」

 結仁は無言で頷き急いで走り出した。

「さーて、俺たちも頑張るかね」

「佐藤。お前のせいで生存確率が下がった」

 小野寺は佐藤にAZ弾のマガジンを投げる。佐藤はさっさと受け取ってリロードした。

「なーにいつものことだろ。背水の陣ってやつだ」

「いつも背水の陣はさすがにキツイな」

 小野寺は苦笑いした。

 

 結仁は全速力で灰色の道をかける。体中が悲鳴をあげるように軋む。長時間の生死をかけた集中と銃で人を殺す感覚は精神を消耗させていた。そんな自分の精神を無視してもっと速く走ろうと足を動かす。強化された筋力でさえ想いには応えてくれない。

「絶対」

 結仁は歯ぎしりをする。

「絶対に紫乃を助けてやる。そして帰るんだ!」

 勃発していた戦闘の音が止んだ。

 

 結仁の足元に金色の髪の少女が倒れていた。両腕は無残に千切れ、綺麗だった顔には斜め上から大きな切り口がぱっくり開いている。見るも無残な姿になっていた。片足はかろうじて半分ほど繊維が繋がっているだけで、ただの肉の重り。怒りの限界点を突破した結仁は冷静になった。楓からもらった注射器を強く握る。痛いほど頭痛がして、目が燃えるように熱くなる。

「お前が五人目の人造吸血鬼か結仁? オレはすべての人造吸血鬼を処分しこの技術を世界から永遠に抹消する!」

 ツヴァイは心臓から溢れる血液を使って巨大な斧を再び形成する。

「ごめんなさい――ごめんね結仁……」

 エルヴィアは幻覚でも見ているのか仰向けに倒れたままずっと謝り続ける。そのたび結仁の心が氷のように冷たくなる。結仁は姿勢を低くする。傷口を傷めないようにゆっくりとエルヴィアの髪を撫でた。

「大丈夫。言ったろ。お兄ちゃんが守るって。ずっと約束してた。駄目なお兄ちゃんでごめん」

 エルヴィアの視力を失った眼球から涙が溢れた。

「そんなこと……ない。そんなことない結仁……私」

「大丈夫、後でいっぱい叱るから、だからちょっと待ってて」

 結仁は立ち上がると、一切の躊躇いなく心臓に注射器を打ち込んだ。血流が加速する。失神するような激痛さえ今の結仁の覚悟を惑わすに不十分だった。注射器を地面に投げつけて叩き割る。世界が変わる。強烈な頭痛とぼんやりとした熱が心地よかった。結仁はツヴァイの存在を初めて人造吸血鬼として認識した。渇きを覚える。結仁はツヴァイを睨みつけた。

「技術の進歩はすごいな。オレは泣き叫んだぞ」

「それはあんたの覚悟が足りなかっただけだよ。ツヴァイ」

 結仁は小銃をツヴァイに突きつけた。ツヴァイは斧を背中に乗せるように構える。

「真実は知らん。過去のことは忘れることにしてる。面倒を生み出す」

「過去は、今まで積み上げてきたものは確かにぼくを構成している。ぼくはあんたに負けない」

 結仁は右手の薬指につけた銀色の指輪を見て言う。光が鈍く反射した。

「遺言はそれにしておく!!」

 結仁の目の前にツヴァイが現れる。赤い斬撃が振り下ろされた。結仁は慌てず一歩下がって刃を回避。狙いをつけずに小銃を乱射。ツヴァイはすぐさま斧を血液に戻す。その場で飛び上がり回転して着地。自分の右腕にめり込んだ弾丸を見た。

「あの男たちが使っていた弾丸だな」

 ツヴァイは一気に傷口に手を突っ込んで弾を引き抜いた。たれ流しになった血液から五本のナイフを結晶化して作り出す。指に挟んで一気に投擲。結仁は感覚を拡張。ゆっくりと飛来してくる刃の尽くを背中から片手で引き抜き振り下ろした刀で叩き落とした。頬を一本の短剣が切り裂く。ツヴァイは急接近。結仁の振るった刀がツヴァイの結晶化した血液に覆われた腕と激突した。

「硬い!?」

「成り立ての貴様なぞに負けるわけがない!!」

 ツヴァイの傷口から巨大な結晶の茨が出現。結仁の刀を上空に飛ばす。結仁は右手でそのままツヴァイの顔面を殴りつけた。ツヴァイは踏ん張ろうとする。予想以上の威力がツヴァイの顔面を襲った。朦朧とした視界で天井を見上げる。意識を覚醒。ツヴァイは回転しながら右足を結仁の頭に叩き込む。結仁は右にステップして回避。全速力で疾走して距離を取る。佐藤から貰った最後の二十発を小銃に素早くリロード。床に足を突き刺し急停止。精確にツヴァイに照準を合わせ発砲。ツヴァイは右腕を振るい血を拡散。一気に結晶化。赤色の氷山が出現。弾丸を防ぐ。

 五発の弾丸が結晶を貫通してツヴァイの胴体に風穴を開けた。

「グッ!」

 ツヴィアは自分の体にめり込んだ弾丸を忌々しげに見る。結晶のカーテンが崩壊した瞬間。ツヴァイ飛び出した。結仁はツヴァイの拳を両腕を盾にして防ぐ。骨が折れる音が響く。それでも構わず結仁はツヴァイの顔面を殴りつけようとする。

「が!」

 直後結仁の足元の血溜まりから鋭く尖った結晶が右半身を貫いた。ナイフが突き刺さっていた場所だ。

「常套手段だ。飛び散った血液は短時間ならば問題なく結晶化できる!」

 ツヴァイは大きく右腕を振りかぶる。血液が拳に巻きつき装甲を形成。結仁の頭が吹き飛ぶほどの一撃を叩き込んだ。結仁は自分の体から飛び散った血液をゆっくりと見ながら地面に倒れ込んだ。掠れた息が聞こえる。

「終わりだな……。実力差など歴然だ。紛い物となればこの結果は変えようがない」

 ツヴァイはゆっくりと結仁に近づき血液の剣を握る。結仁は感情のない瞳でツヴァイを見ていた。

「関わったことを後悔するんだな!」

 倒れた紫乃が視界に映った。それだけで結仁には十分だった。目はぎょろりと剣先を見つめる。叩きつけられた刀は結仁の直前に止まっていた。頭から出血して流れた血が変質。結晶が結仁の体を乱暴に貫いていた。体中にできた傷という傷が武器に変わる。全身を守るように生えた鋭い結晶がツヴァイの刃を止めていた。

「後悔したことなんて……ありませんよ。新しい妹に会えたんですから」

 結仁は激痛を訴える体を無視してゆっくりと立ち上がる。ツヴァイはその人間ならざる様相に後ずさりする。ツヴァイの心臓には未だ修復しきらない空洞が空いている。

「自分で全身を破壊しているのか!?」

「きっと今紫乃を失ったら。何もできずに失ったら! ぼくの! ぼくの痛みはこんなものより、重いに決まってる!!」

 結仁は血だらけの体から刀を生成。投擲し、接近。ツヴァイは反応しきれない。再生し始めていた心臓に深々と刃が刺さった。ツヴァイの足が崩れる。結仁の刃がツヴァイの首に切込みを入れた。

「ツヴァイさん。何かを捨てなければならないと貴方は言ってましたね。ぼくは自分を削ります。妹のために、皆を守るために」

 ツヴァイは結仁を驚いた目で見る。ふっと穏やかな笑みを浮かべた。

「ごめんな……ユリアン。兄ちゃんどうしようもないやつだった」

 ツヴァイは諦めたような表情を最後に浮かべた。刃はそのままツヴァイの首を刈り取った。

 

「紫乃」

 結仁は血だらけになりながらも紫乃に近づいて体を抱きしめる。紫乃は再生した眼球で結仁を見ていた。

「結仁……ボロボロだよ」

「お兄ちゃんでしょ」

 結仁は苦笑いしながらも強く強く紫乃の体を抱いた。紫乃は兄の頭を柔らかく撫でる。

「ダーメ。だって私……お兄ちゃんのことが好きだから。お兄ちゃんじゃ駄目なの」

 結仁は泣き笑いする。

「うん、じゃあ仕方ないね」

「仕方ない。……結仁。私貴方のことが好きよ。こんな殺人鬼の私でも許してくれる?」

「許さない。さんざん叱る。駄目なことしたんだから怒る。けど……」

 結仁は紫乃の血だらけの唇に接吻をした。

「これがぼくの答えだ」




 心の底が震える汽笛が三度鳴った。長く長く鳴る。結仁の目の前には乱立するビルの街が海の向こうに広がっていた。ゆっくりと遠ざかっていく。

「結仁」

 静謐とした声が聞こえた。結仁は振り返る。甲板の上に天使が立っていた。麦わら帽子を少女は深く被る。腰まで伸びた長い金髪。純白の肌。赤い唇と、燃えるような真紅の瞳。青空の下、紫乃は微笑んだ。

「行こ」

「うん!」

 結仁は炎のように燃え盛る赤い瞳で紫乃を見て言った。


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世界は彼女を破壊し、ぼくは妹を創造した 古海 心 @pasoko

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