第37話

「すっかり暗くなっちゃった」

 帰り道、エルヴィアは小さく口を開けてあくびをする。不意に細められた目がねっとりと結仁の四肢を舐めますように見る。結仁は捕らえられた得物のように縮こまった。

「えっと……どうしたんですか?」

 結仁は怯えながら返答する。エルヴィアは握っていた右手を黙って離す。一気に結仁は肌寒さと孤独感が湧き上がってくるのを感じた。すぐさま結仁の右腕が暖かさに包まれる。右腕にエルヴィアが胸を押し当てて抱きついていた。形の良い胸が弾力が腕に伝わる。それを引き剥がすことなど到底できそうになかった。エルヴィアは恥ずかしそうな結仁の表情を盗み見て、安堵のため息を零す。

「ねぇ、結仁君。眠いわね……」

 結仁の腕が言葉とともに引っ張られる。エルヴィアは頬を赤らめながらもいたずらっぽい笑みをこぼした。

 

 結仁は流されるままに白い純白のベッドの上に寝転がっていた。ホテルの部屋の怪しいぼんやりとした明かりが気分を不安定にさせる。結仁は指が沈み込む上質なベッドをいじって煩悩を排除していた。意思を貫通して、水が身体を沿う細やかな音が聞こえる。エルヴィアが薄い壁一枚隔てたシャワールームで身体を洗っていた。

 結仁は頭の中に無尽蔵に浮かんでくる純白の四肢の妄想から逃れるように枕に顔を埋めた。

「お待たせ結仁君」

 エルヴィアは濡れた金髪をかき分けながら言った。ノースリーブの薄い白のワンピースは情欲を誘うには十分だった。細く長い指。贅肉のまったくなくそれでいて屈強さのないしなやかな鹿のような筋肉のついた足。真っ赤でぷるりとした唇は嗜虐的に少し曲がっている。うつ伏せになるように寝転んでいた結仁に覆いかぶさるように両手をついてエルヴィアはベッドにのった。

「えーと……」

 結仁は滅茶苦茶に混乱する思考を纏めて喋ろうとするがうまく行かない。エルヴィアは結仁の頭を強引に自分の顔に向けた。ようやく捕らえた得物をつま先から頭まで見る。暗い瞳が怪しくぼんやりと結仁を洗脳する。

「結仁……」

 エルヴィアは恍惚とした表情を浮かべながら結仁の胸に顔を埋める。鼻で味わうように息を吸う。撫ぜるように結仁の胸板に指を這わす。結仁は自分の心臓が破裂しそうなほど脈動していることを認識する。認識すればするほど息が荒くなる。蜘蛛の巣にかかった獲物のような心境。それでいて甘美な気持ち。

 エルヴィアは鋭い八重歯がついた口を開ける。楽しそうに結仁のシャツのボタンを慣れた手つきでのけていく。結仁は縛りつけられたように何もできなかった。人形のように固まったままエルヴィアを見ていた。見れば見るほど紫乃に少し似ているなと感じた。妹に似ていると感じているのに妹ではないとう事実がストッパーを崩壊させる。エルヴィアは軽く結仁の唇に接吻。安心したのも束の間、結仁の唇は貪られる。閉じていた唇をエルヴィアは舌でこじ開けて、内部の舌をゆっくりと撫でる。

 淫らな水音が響く。エルヴィアは名残惜しそうに唇を離した。熱を持った視線をボーっとしている結仁の視線に合わせる。エルヴィは抵抗がないことを確認すると嬉しそうに頬を緩ませる。結仁の腕をゆっくりと暖かい唾液のついた舌で舐める。貪るように、味わうように身体を舐められる。結仁は自分の息が驚くほど荒いことに気づく、身体が熱い。逃れるように結仁は覆いかぶさっているエルヴィアの身体に手を伸ばす。届きそうだと思った瞬間。その手の関節をエルヴィアは右手で柔らかに押さえつける。結仁の絶望したような表情を見てエルヴィアは聖母のような笑みを浮かべ無言で問いかける。

「エルヴィアさん……」

 結仁が息も絶え絶えになりながらエルヴィアに手を伸ばそうとあがく。エルヴィアは頑張って伸ばされた手の指の一本、一本に愛おしそうに舌を這わせる。

「うん……分かってるわ。結仁、ずっと前から貴方を愛している」

 エルヴィアは結仁の唇を自分の唇でふさいだ。


 結仁は重たい瞼を持ち上げた。エルヴィアは腕の中で可愛らしく寝息をたていた。結仁は柔らかい肩を抱きしめる。無防備な寝顔を見て興奮よりも、守りたい、愛おしいという思いがふつふつと湧きあがってくる。これは本当にエルヴィアに向けられたものなのかと結仁はふと思った。重ねているだけなのではないか。その燃え上がるような感覚は時折、紫乃に抱くものと同じだった。




「何のつもりですか!!」

 太った医者は腕を振り乱して抗議する。白い清潔な病院の中に警官たちがたむろしていた。

「ああー、もう! 説教は後で聞いてやるからちょっと黙ってろ!!」

 佐藤は銃口を向けたまま医者に近寄る。医者は悲鳴あげて倒れる。

「で、どうなんだ結仁……本当に当たりか?」

 結仁は地面に這いつくばって床を見る。

「熱を感じます」

「んで、この周囲ではあまり感じないと。確定だな」

 佐藤は呆れながら言うと、周りの警官たちに伝えに行く。

「外れだったらこっぴどく叱られそうね」

「その時はその時だ」

 藍と小野寺は床を注意深く叩きながら言う。小野寺が止まった。

「反響している。この病院の霊安室の場所は?」

 藍は用意していた地図を見て苦笑い。

「全然違うわ。そこには通ってない」

「確定だな。少なくとも違法建築だ。反省文を書く必要はあるまい」

 小野寺は背負っていた黒い大型ハンマーを手に取る。

「佐藤、準備しろ!」

「はいよー、警官の皆さんは市民の警護をお願いします。俺たちが方をつけてくるので」

「あ、ああ」

 位の高そうな大柄な男性警官が震えながら返事をする。

「本当に大丈夫かねー」

「彼らだって基礎訓練は受けてるんだから信じてあげなさい」

 藍は佐藤を戒める。

「結仁君。どうしても来たいんだったら私の後ろから支援。分かったわね?」

 藍は結仁を睨む。結仁は黙って頷いた。ピストルを握る右手に力を込める。緊張で汗が伝う。

「やって!」

「了解!!」

 小野寺は一気に地面に向かってハンマーを振り下ろした。


 結仁は直進する藍に懸命についていく。灰色の石の廊下だ。そこら中に亀裂が入っていて水がたれている。角を曲がるとあみだくじのように長い廊下が広がっている。廊下の左右には交互に牢屋があった。藍は一つ一つ誰も居ないことを確認しながら進んでいく。結仁は牢屋の中にどす黒い乾燥した血液が付着しているのを見て吐き気を催す。

「あまり見ないほうがいいわ。対応できなくなる」

「分かってます」

 藍の言葉に結仁は小声で返答する。ごくりと息を呑む。眼球は痛いほど熱くなっている。

「うおおおおおおおおお!!!」

 突然、前方から雄叫びが聞こえた。次の瞬間。破壊音が地下室に反響。壁が崩れる音。藍はすぐさま自動小銃を構える。細い通路をくぐり抜けた先には一体の人型が立っていた。

 頭から赤黒く変色した皮膚が悪魔の角のように盛り上がっている。顎は砕け、ヨダレを獲物を前にした獣のように垂らしている。膨れ上がった眼球は狂ったようにギョロギョロと周りを見渡す。四肢の筋肉は赤く膨張し服は吹き飛んでいる。

「ニッ…………ニッフゥーーーーーーーー」

 誰かの名前を叫ぶように空気が崩壊するほどの叫び声を上げる。膨張した足を思いっきり足元に叩きつけた。ぐちゃりと音がなってコロコロと床に眼球が転がった。その目は真紅に染まっていた。

「結仁!」

 藍の叫び声で結仁は急停止その場で拳銃を構える。結仁は眼球を狙ってトリガー引く。閃光が暗闇を照らした。藍は腕に伝わる衝撃を抑えながら掃射。20発のAZ弾が入ったマガジンが空になるまで弾丸を発射する。眼球を潰されふらついていた怪物の肉体を貫通。怪物は怒り狂って藍に巨体で迫る。藍は小銃を真後ろに投げ捨てる。背中から銀色の刃を抜いた。大きく息を吸う。眼前には赤い肉だるま。藍は怪物の足首を滑り込みながら切りさいた。怪物はバランスを失って派手に転倒。

「どれだけ巨大でも所詮人型よ」

 藍は油断なく剣を構え直す。結仁はゆっくりと再生し始めていた足首に向かって弾丸を発射。怪物の足から血飛沫が上がる。藍は部屋中にむせ返る血の匂いに気づく。周りには幾つもの人間の四肢が散らばっていた。その断面は無残に食いちぎられている。

「生存者がいない。もう捨てられた後?」

 その言葉に答えるわけではないが倒れ込んでいた怪物は両腕の筋肉だけを使って壁に吹っ飛ぶ。壁を蹴って四つん這いで着地。そのまま結仁に猛然と迫る。結仁は湧き上がってくる恐怖を歯を食いしばって抑えつける。冷静に拳銃のサイトを合わせる。素早く。相手の片足。両手の関節を射撃。赤い眼球は生存本能に答えるように相手の動きを精確に捉える。腰につけていた刀を練習したとおりゆっくりと抜いた。

「これは獣だ。……人ではない獣」

 結仁は自分自身にそう言い聞かせる。剣の柄を万力のような力で握った。一閃。銀色の斬撃は怪物の頭部を眼球に沿って両断。怪物は勢いのまま転がって地面に倒れ伏す。怪物はぎこちく腕を動かして頭から吹き出る血液をふさごうとする。結仁は苦しむ獣を冷静に観察していた。20発の鋭い閃光と銃声が響いた。藍は打ち切ったマガジンを捨てて入れ替える。獣は完全に沈黙していた。

「死んだわ! 行くわよ、結仁君! 反応はまだある?」

「もう……ないです」

 結仁は湧き上がった興奮を抑えながら返事をした。


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