第36話
「どこだここは! 今すぐここから出せ! 出せ!!」
モニターに映った痩せた青年はガンガンと鉄の扉を叩く。周囲を見渡す。監視カメラの存在に気づき、睨みつけた。
「こんなこと……羅刹大明神様が許されるはずがない! 天罰が下るぞ。貴様のような背教者には罰が下るのだ!」
楓の使っているヘッドセットごしに叫び声が聞こえる。不愉快だ。音声を遮断する。
「最後の願いぐらい聞こうかと思ったけど……意味ないわね。残念だけどこれが私の仕事なのよ」
楓はポケットから小さなリモコンを取り出して操作を始める。
「今回の薬はさらなる筋力上昇の実現。感覚の強化。死亡確率は七割」
楓がボタンを押す。モニターに映った部屋の角から赤黒いガスが部屋に充満し始める。
「――――」
狂乱した顔を見るに何か叫んでいるようだが楓はミュートしているため聞こえない。男は壁の端によって必死にガスに触れないよう足掻く。ついにガスは部屋を完全に侵食。男を飲み込んだ。男は突然、身体を曲げて震え始める。右腕と左腕が急激に膨張。筋肉が露出する。崩壊に耐えきれずに体中から血を流し始める。
「初期症状として筋力の異常膨張。最初の人造吸血鬼にそんな傾向はなし。新しい現象ね」
楓はじーと苦しむ男を見つめる。膨張しすぎて服は消し飛んでいる。筋肉の怪物が身体を丸めていた。楓は十分程モニターを見ていたが男は一切動くことなく硬直していた。
「……失敗ね。死んだ」
楓は素早く隣にあった端末を使って内線に繋ぐ。
「こちら処理班」
無感情な男性の声。
「05室で実験が失敗。被験者が死亡したわ。念の為回収しておいて新しい現象だから」
「了解」
内線が切れる。
「やっぱり肉体が耐えきれないのよ。ウイルスは人間の身体のことなんて考慮しない。そもそも感染して蔓延したことがないから一切適応してない。それを直接突っ込んでるんだら死ぬわよ。……めんどくさい」
楓は古びた灰色の天井を見ながらため息をついた。
「日曜日は暇?」
結仁のスマホにエルヴィアからのメッセージが表示される。
「特に用事はありません」
返信しながら今までのログを見る。毎日定期的にメッセージが飛んできている。大抵が料理、洗濯などの話ばかりだ。結仁は実質的に一人暮らしを始めたこともあり共感できることが多い。ピコンと言う音と共にスマホはボイスメッセージを受信した。結仁は反射的にそれを開く。
「水族館に行きましょう。結仁」
妙に艶かしい耳元に語りかけられたような音声にびっくりする。心臓は高鳴っていた。
「どうしたの? 結仁君」
白い息が出る中、結仁はポールを背もたれにして立っていた。エルヴィアをそれを見て驚愕する。エルヴィアの服装はいつもどおりのボディラインが強調される薄い黒のTシャツ。スラリと伸びた足の細さと形の良さが露骨に見える赤いズボンだ。エルヴィアが何度スマホを確認しても今は約束の時間の三十分前だった。
「結仁君、いつだって時間通り、予定通りに来るのは日本人の美徳だと思うけど……早く来すぎじゃないかしら?」
「ちょっと早く来ただけですよ」
結仁が誤魔化すように笑う。エルヴィアはすぐさま気づいてジト目で見る。結仁は耐えきれなくなって視線を外す。
「一体何分前から来てたの?」
「さっきです……」
「嘘ね。結仁君は嘘を付く時に少しだけ声が高くなるのよ」
エルヴィアがハリセンボンのように頬を膨らませて穴があかんばかりに結仁を非難がましく見る。
「女の子と遊ぶからって三十分以上も前に来なくていいわよ。というか女の子もそんなに早くこないわ」
「ぼくの友人は……一時間前についたら遅いって言われてそれで……そういうものなのかな……って思ってしまって」
「そんなわけ無いでしょ」
エルヴィアはしょんぼりとしている結仁を見ながらため息をつく。
「反省してるんなら大丈夫よ」
少しだけ背伸びして結仁の頭に手をおいて撫でる。
「くすぐったいです」
「ふふふ、身長ばっかり伸びちゃって可愛いわね」
「うるさいです」
結仁は子供扱いされたことに少し腹を立てた。
巨大な水槽の中をジンベイザメはゆっくりと泳いでいる。周りのいる無数の小魚たちは潮の流れにつられて泳ぐ。エルヴィアは目を輝かせながら水槽のガラスに張りついて子供のように無邪気にはしゃいでいる。
「ねぇ、ねぇ見て結仁! 私ジンベイザメなんて初めて見たわ。これだけ大きいのね……」
感嘆の声を漏らしながら言う。周囲の男性たちは好気の視線をエルヴィアに向ける。結仁は無意識に取られまいとエルヴィアの左手を握った。サラサラとした絹のような手触りの柔肌に羞恥心を。エルヴィアは驚いた顔で結仁を見ていた。
「えーと」
結仁は何か適当な言い訳でもないかと頭の中を探ってみるたが、考えれば考えるほど混乱するだけだ。ワタワタする結仁を見てエルヴィアはくすりと蠱惑的に笑う。
「結仁君、可愛い」
結仁は何も言わずに赤くなって下を見る。エルヴィアは結仁の思いに応えるように左手を強く握り返した。
「ジンベイザメに嫉妬しちゃった?」
「そんなわけありません!」
結仁は毅然として反論する。
「そんなに怒らないで、ふふふ」
楽しそうに笑みをこぼすエルヴィアを見ていると結仁はどうにでもなれと言う気持ちになった。
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