第34話

「天雨梓、医学部教授。専門はウイルス学……お誂え向きね」

 藍は歩きながら資料を見ている。慣れているのか足取りに迷いがない。前から人が来るたびに当たらないように緩やかに曲がっている。

「やはり大学とベルゼが繋がってるんでしょうか?」

「うーん、それは薄いと思うわよ。もし私がそうな美味しい立場なら、間違いなく一人暮らしの学生を襲うから」

「うわぁ~」

 結仁は言う。

「そっちのほうが尻尾がつきにくいのよ。実際はそんな傾向はなくて襲われた人の大半が夜に歩いていた人ね。たまに昼間の人が居ないところで襲われてる人いたわ」

 結仁は人の波に飲まれそうになりながら藍についていった。


 高度先端大学、識恵学園から一時間ほど行った北にある大学で県外からの進学者も多い有名私立大学だ。結仁の記憶では識恵学園の生徒の何人かの志望校だった気がする。敷地内に真っ白なガラス張りの棟が並んでおりこの空間だけ一世紀先に進んでいるかのようだ。日頃から学外の人間にも解放されているらしく結仁と藍は簡単に入ることができた。

「えーと医学部棟でしたよね」

「ええ」

 藍がキャンパスマップを見ながら進んでいく。

 

 目的地には近未来的な全身ガラス張りの建物があった。結仁の目の前の自動ドアの右上には「医学部棟」とある。

「入るわ。まずくなったら黙って。私がフォローするわ」

「お願いします」

「探知だけは、お願い」

 結仁は黙って頷いた。仕事モードの藍は信用できる。


「それで……警察の方が一体何の御用でしょうか?」

 梓はオフィスチェアに座ってチョコレートを飲みながら言う。皺を刻んでもなお端正な顔立ちは不満に歪む。名字を見て薄々勘づいていたが、その表情を見て「本当に楓の母親なんだ」と結仁は思った。黒い髪とけだるげな茶色の瞳もそっくりだ。

「そちらの方は?」

 梓は結仁を一瞥して言う。

「私の部長の息子さんですよ。勉強として連れてきています。さて、メールでお送りしたとおり、政府が貴方の研究に興味があるんですよ。……なんでもウイルスの抗体について研究してるとか?」

「ええ、とはいえ警察が興味を持つものとは思えませんが。ごくありふれた研究です。ウイルスに感染した時、人間の身体にどんな変容が起こるのか。それを知って多くの人の助けとなるのが私の目標です」

 爽やかな笑顔で梓は言う。

「それは……素晴らしいお考えですね」

 結仁は梓が出してくれたカップに入ったチョコレートを見る。

「最近はどんな研究をしているんですか?」

「インフルエンザについて少々」

 梓はさらりと言う。

「『ウイルスと人間の調和について』という二年前の論文は随分と議論を呼んでいましたね。倫理委員会の私の友人が憤慨していましたよ」

「それは勘違いですよ。あれはただ人類の発展について論じただけで非人道的な方針を支持するものでありません」

「……ならばよいですが――」

 結局その後も梓はボロを出すことはなかった。

 

「疲れたわー、結仁君。成果は?」

「何も感じません」

「そっ。仕方ないわ」

「ぼくは不思議な気分でした。あれはたぶん友達の母親なので」

「……本当?」

 藍がぎょっとした目で見てくる。

「ええ、顔立ちも雰囲気もどこか似てますし多分そうでしょうね?」

「子供の名前は」

「天雨楓です」

「……知らなかったわ」

 藍がため息をつく。

「その子を探ることは可能?」

「普通に聞くぐらいはしますけど、それ以上はしません。ぼくの大切な友人なので」

「……そっじゃあ聞くだけ聞いてみて」

 結仁は頷く。

「梓さんの話から何か分かったんですか?」

「あー……結仁君の予想通り分かってないわよ。ただ怪しいのは怪しいわね。目をずっと合わせていなかった。ただの人見知りかも知れないけど。呼吸も安定していない。教授なんて人に会う職種だから普通慣れるものなんだけど極度に緊張していたわ」

「……全然分かりませんでした」

「そりゃそうよ。これでも私は心理学とかもこの仕事につくために学んだから」

「藍さんは何のために特殊警察隊に入ったんですか?」

 藍は立ち止まって振り返る。

「さあーてね。きっと何もかも救えるヒーローに憧れてたのよ」

 薄く笑いながら藍は言った。




「ねぇ、結仁。あんた明日暇」

 登校した途端、楓が結仁に突然話しかけてきた。昨日母親の話を聞いたとき不機嫌そうだったのに今日はとても機嫌が良さそうだ。教室には誰もいない。結仁は楓の言葉に考え込む。何をやらさられるのだろうかと。

「いや……家でやることはあるよ」

「どーせ寝るだけでしょ?」

 楓はため息をつきながら言う。

「なぜバレた!」

「そんな露骨な顔してたら分かるわよ。本当に用のあるやつは変に考えたりせず断るわよ。で……その真意は私と遊びたくないと受け取って良いのかしらー」

 眉間を引くつかせながら楓は言う。

「……ああー、なんだ遊びか。いつでも誘ってよ」

「あんた……さっき断ろうとしたじゃない」

「ごめんなさい。でっ、どこ行くの?」

「えーと」

 楓はさっきまでの勢いを失う。目をウロウロと動かす。結仁は藍の言っていたことを思い出した。

「もしかしてエイプリルフール!」

「なんでよ! 今12月だから冬の真っ只中だから。……ちょっと落ち着かせて」

 楓はスーと深呼吸する。楓は顔を真赤にしながら言う。

「私と遊園地に行きましょう」

「……いいけど」

「いいの?」

「いいよ。友達同士で行くのなんてそう珍しくもないでしょ」

 結仁はキョトンとした表情で言う。

「友達同士……まあいいわ。じゃあ約束だから。時間通り来なかった処刑するから!」

 楓は結仁を指差して抗議する。

「それは勘弁して。遅れないように頑張るよ」

 結仁は言った。


 結仁は服は紫乃に選んでもらった紅白チェックのYシャツを着て念の為一時間前に遊園地についていた。「NEWジパング」QUARKから更に三十分ほど西に行ったところにある遊園地だ。西洋風の巨大な城が中央に立ち、その周りをジェットコースターからお化け屋敷まで様々なアトラクションが囲んでいる。そういえば楓と二人だけで遊ぶのはこれが初めてかもと結仁は思った。楓はだから緊張していたのかも知れない。自分のYシャツと襟元のボタンがちゃんと閉まっていることを確認する。遊園地の入口前には開園前にも関わらず人混みができていた。その視線の先には結仁の見知った黒髪サイドヘアがあった。無地の白シャツは楓の豊満な身体のラインが強調し胸の双丘でシャツは張り裂けそうだ。ベージュのスラリとしたズボンとの調和が成り立っている。出るとこが出ている理想的な少女が立っていた。

 結仁が突っ立って見ていると、楓がこちらに気づいた。牙をむき出しにした犬のように威嚇してくる。たぶん早く来いと言っているのだと結仁は判断。急いで近寄る。

「楓いつから来てたの。早すぎでしょ?」

「遅れたから死刑」

 結仁は慌てて自分の時計とスマホを確認して言う。

「やっぱり一時間前じゃん。楓が早すぎるだけだよ」

「知ってる。二時間前に来てたから。退屈だったわー」

「そりゃね。というか二人で一時間も待ちぼうけすることが確定したけどどうする?」

「駄弁りましょ。議題はそうね……遊園地デートの良し悪しについて」

「もう来たのに議論するんだ」

 結仁は苦笑い。


 「結論、やっぱりお化け屋敷が王道。というわけで最初はこれね」と言って入園した途端お化け屋敷に楓達は特攻した。


 お化け屋敷から出た後、楓は仏頂面で右腕に抱きついている結仁を見た。結仁は唇を青くしてブルブルと震えている。

「……」

「なんか言いなさいよ?」

「原始的な恐怖に人間は勝てないんだなと納得したよ」

「それだとあんた。私が人間じゃないみたいじゃない。はあー、お化け屋敷でのイベントってこれだったかしら?」

「ありがちだね。女の子が叫び声を上げて抱きつくの」

「逆転してるんだけど。次ジェットコースターよ。せっかくお金払ってるんだからガンガン行くわ」

「おーー」

 結仁は力なく右拳をあげた。


 結仁はげっそりとした顔で観覧車のソファに座っていた。

「ねぇ……楓」

「なによ」

 楓は面倒くさそうに返事をする。

「次はもういいかな。疲れたよ。楓はすごいね。ジョットコースターとか大丈夫で」

「そこまで大丈夫じゃないわよ。吐きそうになったけど……あんたがあまりに疲弊してるから私が頑張らなきゃって思っただけ」

 楓は呆れながらも優しく言う。

「その……ありがとう、楓。ちょっとは気持ちが楽になったよ」

「どういう意味よ」

「9月からずっとぼくのこと心配してくれたから。酷いことばかり言ってたし」

「ああー『楓にぼくの何が分かるんだよ』は迫真のコメントだったわね。そんなに知らないわよ。あんたのことなんて。私あなたの家族じゃないんだから」

「ごめんなさい」

「けど、最高の友達だと思ってる」

 楓は外の景色を見ながら言った。結仁は寂しげな楓の顔から目が離せなかった。

「なに……告白でもするの」

 楓は結仁の熱を持った視線に気づいて言う。

「しっ、しないよ!!」

「そっ、したら喜んで受けるわ」

「……えっ!」

 楓は火照る顔を見せないように懸命に外を見た。視線はちらちらと結仁の方を見てる。

「冗談よ……」

 ため息を付きながら楓は言う。

「あははーだよね……」

「…………」

「ごめん。紫乃のことがなんとかなったら考える」

「うん」

 楓は力強く頷いた。


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