第27話

「紫乃」

 結仁は暗闇の奥にいる金髪の少女に呼びかける。紫乃はずっと先へと行ってしまう。走っても走っても差は縮まらない。紫乃が結仁の方を振り向いた。

「ごめんなさい結仁」

 紫乃はいつもそう言うのだ。胸が締めつけられるような悲痛な声で、震えた唇で言う。だから結仁はできる限り笑って返す。

「大丈夫だよ!」

 紫乃はその顔に安心すると一歩ずつどこかに行ってしまう。それがたまらなく寂しかった。


「紫乃!!」

 結仁は夢から飛び起きた。スマホの目覚まし時計はけたたましく鳴りながら八時を表示している。結仁は汗ばんだシャツのまま急いで立ち上がる。「お兄ちゃんのこともう起こさないから遅刻したかったら遅刻して」という突然の宣言により結仁の目覚めは時計とともにあった。ボタンを押すと静寂が訪れる。何の物音もしない。結仁は少しだけ不安になった。

 扉を開けるが台所には誰も立っていない。

「紫乃……紫乃!!」

 結仁は恐怖感に突き動かされ紫乃の部屋の扉を勝手に開けた。窓から生暖かい空気が流れていた。空室だ。スマホを落としそうになりながら素早く履歴から紫乃に電話をかける。コールはできているが一切繋がる気配はない。結仁が諦めて切った時、留守番電話があることに気づく。藍の電話番号だ。結仁は無感情なアナウンスに従って録音された音声を再生した。

「聞こえてるかしら結仁君。確認次第すぐに折り返し電話をかけなさい!」

 それだけ言うと音声は途切れた。藍にすぐさま電話をかけようとして止まった。紫乃が藍たちに捕まっているという可能性が頭をかすめた。紫乃は人造吸血鬼だ。それは妹自身が認めていた。藍たちは紛れもない紫乃の敵である。だから藍達に紫乃の正体をずっと話さなかった。

 耳障りな音を鳴らしスマホが振動。相手は藍だ。結仁は出ることにした。どちらにせよ出てみなければ分からない。すべて杞憂であればと願った。

「……おはよう、結仁君」

「おはようございます」

「放課後、事務所に寄りなさい。話すことがあるから」

「……」

「拒否権はないわ。来なければ連行するだけよ」

「紫乃は……紫乃のことは知らないんですか?」

 結仁は掠れた声で行った。

「どうでしょう。来てみれば分かるんじゃないかしら」

 電話は一方的に切られた。結仁は魂が抜けたようにスマホの画面を見ていた。

 

「結仁、あんた酷い顔してるわよ」

 昼休み机に突っ伏していた結仁に楓が言う。学は今日は休みだった。

「何でもない」

「何でもないわけ、ないでしょうが!」

 楓が苛立ち混じりに言う。結仁は楓を睨んだ。

「いいわよ。別に」

 楓は睨み返して席に戻った。結仁は先程の自分の行動を思い返して自責の念に苛まれる。結仁は空腹を感じた。今日は当然、弁当などない。目をウロウロとさせていると結仁は机の上に銀紙で包まれた食べかけの板チョコが在ることに気づく。はっとして楓を見た。

「ごめん」

「知らない」

 楓はぼそりと言った。


 放課後、結仁はさらに憂鬱な気分になりながら指示通り探偵事務所に向かっていた。時間が経てば経つほど首を締められているように感じた。顔を俯かせて横断歩道を渡る。

 いかにも平凡な外観が恐怖感を感じさせ結仁の足が止まる。紫乃は生きてるだろうか、そんな疑問ばかりが沸騰した水の泡のように思考に現れては消える。恐る恐る自動ドアをくぐる。カウンターには誰も居ない。

 足音。結仁は咄嗟に振り向く。伸ばされていた手を勢いよく握った。

「馬鹿力かよ!?」

 佐藤は腕の痛みを堪えながら結仁の足を払う。結仁は無理やりバランスを取ろうと浮き上がった足を地面につけようとする。その前に佐藤の左拳が結仁の腹に決まっていた。

「げはぁ!!」

 結仁はうめき声をあげて倒れる。視界が歪む。佐藤にそのまま地面に頭を押さえつけられた。

「すまんな結仁。命令なんだ」

「私のね。結仁君は私達の目的を知ってるわよね。ベルゼを秘密裏に排除すること。その裏にあるのは現代で認められていない存在に対処すること」

 藍が近づいてくる。結仁を見下ろすように立つと懐に手を伸ばした。結仁の頭に銃口が向けられた。真っ黒な冷たい鉄の穴に結仁の背筋が凍る。

「紫乃さん……いえ齋藤紫乃は人造吸血鬼」

 結仁に絶句する。

「けどね結仁君、齋藤紫乃は居ないのよ」

「は!?」

 結仁の口から疑問符が溢れる。

「何度でも言うわね。齋藤紫乃はもう居ないのよ。彼女は貴方の妹でも何でもないんだから。結仁君の人間の血液型は基本的に生涯変わらないのよ。違うなら違うし、一緒なら一緒。齋藤智之、齋藤結花、貴方の両親共にA型。生まれないのよB型なんてとても。人造吸血鬼の新しい能力? けど実用性のない能力だと思わない?」

 結仁は今すぐ夢が覚めてほしいと願い続けた。


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