第25話

「貴方は他の連中と違って仕事が早いのね、ニック」

 薄暗い地下室で、シワが刻んでもなお美しい容姿の梓が凄惨な笑みを浮かべた。

「内の部下を責めないで下さいよ。全力は尽くしている。今回は例外的な場合です。我々の目的はマッド・サイエンティストの好奇心を満たすことではありませんので」

 皮肉を言ったニックを梓は睨みつける。ニックは飄々として笑顔だ。梓は諦めてため息をつく。そらした視線の先にはずらりと人間がベッドに並べられている。

「13体……実験の規模の割には少ないわね」

「ご期待に添えなくて申し訳ない。あまりやりすぎると本格的に目をつけられるのでこれくらいが限界ですよ」

 ニックはこめかみを押さえながら言う。ニックとしてはこの状況は不快だ。人を選別することもなく一般の人間を無差別に攻撃している。完全にテロリストの所業だ。

「楓」

「……」

 楓は後ろの壁に背を付けたまま動かず目をつぶっている。

「何ですか梓教授」

「2体だけ貴方に渡すわ。有益に活用しなさい」

「……はい」

 楓は奥歯を砕かんばかりに噛み締めながら不満げに言う。

「で、梓教授。実験はどのぐらい進むのかな?」

 ニックが鋭い目で梓を見る。

「無駄にはしないわ。最近使った試作品の完成は保証できそうだけど……本物はまだまだよ」

「頭が痛くなりそうだ」

 ニックは不快そうに顔を歪めて出口に向かい始める。

「君も大変だね。楓ちゃん」

「……貴方に言われたくはありません」

「想い人にでも言われたほうが良いかな?」

 ニックは自分の襟を楓が握っていることに気づく。焦げ茶色の目は暗闇で淡く光っている。こめかみには青筋が浮かぶ。

「殺すわよ。貴方」

 藍は冷めきったナイフのような声で言う。

「…………すまない。少し気が立っていた」

 ニックは出口の重い扉を開けた。

「君の身の回りの安全は保証するよ。君の親には頼れないから……」

 ニックは罪悪感を押し殺して言った。

「三体実験室に放り込んで!」

 楓はベルゼの会員に鋭く命令する梓をじっと睨んでいた。燃え盛るような憎悪を込めて。何もできない自分が憎かった。




「死亡者5名。行方不明者13人。重傷は100人超え。全員病院送り。どんな世界だよここは」

 登校中、学はスマホでいつものようにニュースを見て毒づく。先日、大手ショッピングモールのQUARKで毒ガスが散布される事件があったらしい。警察が突撃して鎮圧。負傷者は昨晩には病院に運ばれた。QUARKは当分の間は営業できないそうだ。

「団長!!」

 学が歩きながらスマホを見ていると忌々しい名称で呼ばれる。

「興味ない。松本の野郎から聞いていないのかよ」

「死んだんですよ! 松本の野郎は!!」

「はっ!?」

 学は素っ頓狂な声をあげて往来で立ち止まった。「死んだ」という言葉のせいで周りが何事かと視線を向けてくる。

「すいません、ゲームの話ですよ」

 学は爽やかにお辞儀をして謝罪する。人の波は再び正常に動き始めた。昨日の事件など気にした様子はない。

「おいっ! お前ちょっと来い!!」

 学は話しかけてきた男の胸ぐらを掴んで言った。


「昨日の事件はご存知ですか?」

「QUARKのやつか!?」

「そうです。あそこに松本が居たんですよ! 家族へのプレゼントを送るとか言って自慢してて、それでそれでずっと俺たちのところに来ないんです。不安になってアイツの親に電話してみたらただすすり泣くだけで、何があったのかすら喋れないほどショック受けてんですよ。俺も泣きましたよ!!」

 学は声を枯らしながら叫ぶ橋本の形相に押される。

「人が……仲間が死んだんですよ。松本が死んだんです」

「……それは残念だな」

 橋本の目つきが一気に鋭くなった。学の顔面の前には巨大な拳が迫っていた。学は反射的に動きそうになった。だが拳を握りしめるだけで止まった。涙が出そうな痛みが学を襲った。あまりの威力に仰向けに倒れる。相変わらず空は変わらないなと曇り空を見て思った。ずっと濁ったままだ。あの時からずっと。

「あんた……それでも団長ですか。昔の団長はどこに行ったんですか! 正王団団長の小泉学は!!」

 学は何も言わずに倒れたままになっていた。

「……それでも協力してくれないんすね。許せるわけがねぇ。俺たちは復讐しますよアイツらに。敵がなにかも分からんけど絶対に報いを受けさせてやる」

 橋本は路地裏に唾を吐いて学から離れていった。

「いてぇーー! 鼻曲がったか?」

 学は自分の顔を撫でながら立ち上がる。離した手のひらには当然のように真っ赤な血液がついていた。

「……俺も動かなくちゃ。正義のヒーローなんてカッコいいものじゃなくて死んだダチと今生きてるダチのためにも」

 学は座り込んだまま空に言った。




「結仁さん、結仁さん、ゆーいーとさん!!」

「えっと何かな?」

 隣から大声が聞こえて結仁は振り返る。舞波が珍しく不機嫌に結仁を睨んでいた。

「お客さん」

 結仁が目の前に視線を戻すと女性が無言で見つめていた。

「ご、ごめんなさい!」


「もう、先に休憩に入って下さい。店長が来たら言っときますから!」

 舞波に戦力外通告を出された結仁はぶらぶらと店の周りを歩いていた。完全に不審者だ。頭からは昨日のことがずっと離れない。ニュースではテロリストによる毒ガスだと報道。警官によって鎮圧されたと報告されている。実際は特殊警察隊が動いたのだろうと結仁は思っていた。死者五人というのはあの時の阿鼻叫喚の地獄絵図からしたら素晴らしい結果だと言えた。

「それでも理不尽そのものだ」

 結仁は地面に座って一人呟く。カンカン照りの空が鬱陶しい。結仁は自分が怒りに染まっていくのを感じた。

「どうした結仁?」

 ツヴァイが見下ろすように立っていた。

「……いえ、何でもありません。今日はニックさんと一緒じゃないんですか?」

「アイツは今は虫の居所が悪い」

 ツヴァイは黙って結仁の横に立った。学生と長身の大男の組み合わせのため周りからチラチラと視線が向けられている。ツヴァイは何も言わずに本をコートのポケットから取り出して読み始める。結仁は無視し黙り込む。耐えきれなくなって口を開いた。

「……ツヴァイさんは何しに来たんですか?」

「本を買いに来た。緊急ではない。暇を持て余している」

「そうですか……」

「話なら聞くぞ。気の利いた言葉を言えるとは思えないが」

 目を閉じてツヴァイは言う。やっぱりその微笑は紫乃に少し似ているなと結仁は思った。だからだろう少しだけ話す気になった。

「昨日、事件があったことは知ってますか?」

 ツヴァイは本をゆっくりと閉じる。

「知っている。どこぞのショッピングモールでテロリストが出たという話だろう」

「どうしてあんなことをするんでしょうね。何か得があるとは思えないんです」

「……それはオレも同感だな。被害の規模を考えると快楽殺人集団ではないことが予想できる。何かしらの目的があるのだろう。宗教か……革命か」

「理解できません」

「それが結仁の悩みか」

 結仁は頷く。ツヴァイは顎に右手を当てて考える。

「人間の価値はどの程度あると思う」

 突然、ツヴァイは言う。

「測れないでしょう」

「測る必要がないだけだ。戦争……何でもいいんだが。極限的な世界では常に命の選択を求められる。人が死ぬのは当然だ。だから誰を生かすかが重要になる。お前は自分の恋人と殺人鬼、どちらを殺す」

 ツヴァイはじっと金色の瞳で見てくる。

「どっちも殺したくないです」

「じゃあ、お前はどちらも失う。それか殺人鬼がすべてを手に入れるかだ。……大切なものがあるならそれ以外を捨てなくてはならない。それが例え最大の友であっても」

 ツヴァイは重々しい言葉を区切ると何も言わずに書店に入っていった。結仁は去っていくツヴァイをぼーと見ていた。もし結仁がそんな状況に追い込まれてたら間違いなく妹を選ぶだろう。例え自分が死んだとしてもだ。それが事故から生き延びた結仁が覚悟したことだった。

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