第24話
人の雪崩がツヴァイに向かって襲いかかる。ネズミの大進行のように赤い眼球をした人間が一斉に通路を通る様は戦慄するものがある。行進から外れた長身の男がツヴァイに掴みかかる。ツヴァイは男の腹を鋭く蹴りつけた。男は口の中の唾液を吐き出し気絶。
「上手くいくもんだね」
ニックは耳に当てていたスマホをポケットにしまいながら言う。QUARKの店中のシャッターが下りていた。
「何人死ぬ?」
「100は超える。運が良ければ特殊警察隊がなんとかするんじゃないかな。ぼくは人の命に価値なんてないと考えている。そうでなければ目的が果たせないからね。君もそうだろツヴァイ?」
黙り込んでいるツヴァイにニックは苦笑いをした。
「これで実験が進むことは間違いない。既に部下は動かしてる。ウイルスの実験結果のデータ収集には大いに役立つだろう。せいぜいマックス君の愚かさを利用させてもらうよ」
「やはり処分する気だったのか?」
ニックは肩をすくめた。
「俺がやろう」
「元々お願いする気だった。万が一は許されない。これでもベルゼのリーダーだからね。すべての人間の幸福のために」
「……幸福のために」
ツヴァイは忌々しげに復唱すると人の流れに突っ込んでいた。
転がり込むようにしながらマックスはガラスのオブジェクトの後ろに隠れる。ガラスに一気に散弾に撃たれたようなヒビが入り破裂。マックスの左腕に真紅の結晶が突き刺さり腕が切断される。逃げ惑い、花壇の裏に滑り込む。拳銃を持った腕だけ突き出して9mm弾を3発発砲。アサルトライフルの一つでも、いや短機関銃でも構わない持ってきておくべきだったと後悔した。激痛を訴える腕は急速に再生。肉が作られているがこの状況では意味をなさない。右腕に握った試作品のウイルスが入った注射器を見つめる。打つべきだろうか……どちらせよ打たなければ死ぬだけだ。震える手で自分に注射器を打ち込む。
「おっ、あああああああああ」
ガンガンと鳴り響くような頭痛の波がマックスを襲う。千切れていた腕から肉の塊が生える。元々あった筋肉が膨れ上がる。
「俺は……俺達は絶対に成し遂げるんだー」
マックスは叫び。花壇の裏から身体を出す。膨張しすぎた筋肉はマックスの顔面を押しつぶす。紫乃は醜悪な怪物に変貌したマックスの太い首を横一線で切り落とす。噴水のように血が吹き出る。倒れようとしていた肉塊の身体が突然立ち止まった。紫乃のことを放置。首を失ってなお無秩序に通路を疾。
「くそっ!」
紫乃は相手の速度を見て追いつけないと判断。自分の右腕に血の槍を突き刺し一気に引き抜く。撒き散らされた血液は空中で収束、硬化し鋭い槍の形を形成する。紫乃は生成した三本の槍を怪物の足に向かって連続して投げ飛ばす。鈍い音。肉だるまは大きな音を立て転倒。すぐに起き上がろうと足が再生し始める。怪物の身体の上には紫乃が飛び乗っていた。苦しまぎれに怪物は腕で頭を潰そうとする。紫乃は横に飛び回避。お気に入りの赤いシュシュだけが飛び散った。紫乃はわずかに目を細める。
「さようなら、愚かな人」
怪物の身体の内側に槍を突き刺した。肉が沈み込み鮮血をあげる。返り血は新たな槍を形成。すぐに突き刺す。獣のごとくギャンギャンと泣き叫びながら怪物は逃げようともがく。既に20本以上の槍で肉体は固定されている。紫乃は返り血を被った顔を拭う。三日月型に歪んだ口からは愉快さを押し殺したようなくぐもった笑い声が漏れた。
「ちゃんと固定したからこれで綺麗に等分できるわね。貴方の再生力はどれぐらい? 百等分ぐらいできるのかしら?」
紫乃は嘲笑を込めた目つきをしながら言った。怪物サイズの肉切り包丁が血液から生成。紫乃は握る。透き通るほど綺麗な赤い刃が怪物の腕の先を切り飛ばした。紫乃の頬に血の混じった涙が流れた。
トリガーを引く。自動小銃が暴雨の如く弾丸を発射。佐藤に飛びかかっていた躯は脳を破壊され絶命。ガスマスクの中で佐藤は荒いため息をつく。
「どっちがテロリストだが分かんねぇな」
佐藤は隣にいるガスマスクと黒い防弾服を装着した人物に愚痴を零す。息で少しだけ目元のレンズが曇った。
「気を抜かないで。必要であれば射殺。可能であれば無力化。ベルゼがここまで大規模に動くと政府も無視できないでしょう。研究者の10人ぐらい派遣させればいいわ」
藍は声を内側で反響させながら言う。
「藍……第二波が来るぞ」
藍は耳をすませる。ドタドタと歩く足音がデパートに響く。
「すぐ遮蔽物に隠れて。感染者は放置。後で回収するわ。躯は躊躇いなく射殺」
「……おーけぇ」
佐藤は気乗りしない様子で言う。同時に藍には敵わないと感じた。冷静な判断だ。少なくとも全員救えるのではないかと期待しているよりは。
全力疾走する人の波が乱雑な飛沫をあげながら流れてきた。藍は壁から頭だけ出す。瞬時に躯の数を把握。20F自動小銃のドットサイトを自分の目元に合わせた。全長30インチの死神の武器。肩が吹き飛びそうな強烈な衝撃。三発セミオートで正確に発射。我を失っていた躯の踵を潰れる。倒れる瞬間に頭蓋を残り二発の弾丸が砕いた。
「明らかに異常なのが五体。一体処理」
「同様」
小野寺が声を張り上げて藍の報告に賛同する。
「こっちは一人足を砕いた」
「……いいわ。可能だったらそうしなさい。死んでも恨んで出てこないでよ」
「わーてるよ。左を無力化する」
「了解」
佐藤は文句を言いながらも次の標的に狙いを定める。狙うは両足のいずれか。それ以上絞ることは腐るほど銃を撃ってきた佐藤にも厳しい。息を整える。自動小銃のスコープに高速で動き他の感染者に飛び掴みかかる躯の足が映る。トリガーを引く。弾丸は見事左膝を砕いて貫通。躯は盛大に空中で錐揉み状態になって地面をバウンド。佐藤達はすぐさま遮蔽物に隠れ身をかがめる。パニックになった市民たちが叫び声をあげながら新鮮な空気を求めて外へと排出される。藍達が息を潜めていると人の流れは通り過ぎた。巨大な廊下にはうめき声をあげる二体の死体ともはや動かぬ三体があった。
「俺も殺したほうが良かったか藍?」
小野寺が問う。佐藤は何も言わない。
「別にいいわ。ゼブルウイルスの感染初期の痛みに比べたら足を撃たれるなんて大したことじゃない」
藍はため息。
「後で被害者と遺族から罵詈荘厳がどちらにせよ飛んでくるなら命を持って渡した方が絶対いいわ。私達の命あってのものだけど」
「自信があったんだよ」
佐藤が息苦しさに絶えきれなくなり首を振る。
「命令には従いなさい。実力があるのは知ってるけど被害を増やす可能性を潰して」
「了解した隊長」
佐藤は素直に頷く。
「ガスの中に進むわ。マスクを念入りに確認して」
藍は言った。
血のような霧の中、三人は一丸となって慎重に歩く。
「これだけの殺人ガスを開発し散布しておきながら死者数が少なすぎる。ベルゼの奴らに何か得があるとは思えないな」
小野寺が言う。
「そりゃ同感。明らかに今までのベルゼの動きとは違う。リーダーは解雇でもされたか? それとも内部分裂?」
「どちらでもいいわ。とりあえず鎮圧」
藍は戦闘に立って銃を構えたまま角を曲がる。巨大な赤と肌の残骸が視界の上部に見えた。
「何か居る!」
藍はすぐさま角を曲がるのやめる。小野寺と佐藤は銃をいつでも撃てるように構える。藍はそれを確認すると素早く飛び出した。サイトをすぐさま先程見たものに合わせる。トリガーにかかっていた指を止めた。肉片の山が上階に形成されている。てらてらと光る赤い液体が遠距離からでも少し見える。藍は目を細めた。
「これを使え」
小野寺が自分の銃のスコープを取り外し藍に渡す。藍は奪い取る。すぐさま取りつけもう一度対象物を見た。灰色になってしまった眼球と目が合う。よく見れば肉塊には小さな五本の爪と口らしき穴が付いていた。藍はせりあげてきた吐き気を堪える。あれは人間だ。
「躯より酷いタイプの吸血鬼ね。試作品かしら。筋肉が膨張しすぎてる」
「あれが……元人間かよ!」
佐藤が忌々しげに毒づく。
「何で切り刻まれている? 俺のスコープがないと断面は見えない」
小野寺は言う。
「……たぶん剣みたいな刃物ね。断面が荒い。悪趣味ね。サイコロ状。完全に等分を意識して切ってる」
「悪趣味な躯に悪趣味な狂人。救いようがねぇ」
「狂人ではなく仲間割れである説を押すわ。今どき巨体を切れる剣を持ってる人間なんていないのよ」
「……だとすると」
「考察は後。先に周囲を散会して安全確保。あの肉片で合流」
佐藤が思いついたことを口にする前に、藍が遮る。
「了解」
佐藤、小野寺二人揃って言う。佐藤の頭からあれは人造吸血鬼が持つとされる「血液結晶化能力」の産物なのではないかという恐ろしい想像が離れなかった。
最初に肉の山に辿り着いたのは藍だった。赤い霧も徐々に晴れ視界がクリアになっている。それでも安全のために藍はマスクを外す気にはならなかった。ピクピクと肉片だけになったソレは動いてた。藍は感情を押し殺し、銃を構えて近づく。
「あ……あ、うぁ」
言葉になっていないうめき声、藍の耳に不快な音が聞こえた。
「……生きてる?」
「うぁ……ああ」
断続的なうめき声だけで返事はない。もし生きていたしてもこれは治療できないと藍は判断。小銃を左脇に抱えて、右手で腰からハンドガンを取り出す。銃口は怪物の口だったであろう器官に向けられた。ちらりと床の上に砕かれた十字架のネックレスの破片が散らばっていることに気づく。
「神様がいればどれだけ楽なのかしらね」
三発の銃声が鳴り響いた。
「藍!」
佐藤が階段を駆け登って銃を構えたまま出てくる。佐藤は藍が無事な事に気づいてすぐさま銃口を下ろす。小野寺は気にした様子もなく反対側から上がってくる。
「大丈夫よ。助かる見込みのない奴を処理しただけ」
「あの状態で意識があるのか? とんだ怪物だ」
小野寺が感嘆する。藍はゆっくりと肉片の間をぬって歩く。赤い布切れが視界の端に見える。藍は強烈な既視感を覚えた。
藍たちが去った後、ツヴァイは張り付いていた天井から飛び降りた。頭上から少量の血液が垂れてくる。じっと肉塊を見る。
「オレは誰を殺さなくてはいけないんだろうな……」
乾いた笑いを浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます