第23話
人間の生存本能を刺激する音が店中に鳴り響いた。スタートピストルを撃つように真上に掲げられた全長9インチの無骨な黒いピストルはわずかに煙をあげている。狼のような短い金髪の白人の男。何も特別でない黒のタートルネックがこの空間に浮いて見える。買い物をしていた客たちは呆然としながら発砲した男を見ていた。軽薄そうな口を歪めた。
「ご報告です皆さん。本日は忙しい中デパートを訪れてくれてありがとう。君たちはラッキだー!!」
男は高らかに宣言する。
「最高のショー。人類の発展においてこの地点がターニングポイントとなるだろう!」
言うと男は右手に持っていたアタッシュケースをタイルの上に放り投げる。
「君たちは偉大なる犠牲として――ん?」
イライラとしていた大柄な男性が男に背後から掴みかかる。銃を持った白人の男は不思議そうに首を曲げる。一切の躊躇いなく銃口を突きつけた。男性の顔が恐怖に認識するより早く空気が破裂したような乾いた音が響く。市民は血の海に倒れた男に気づいて、各々が叫び声を上げ始める。
「何いってんだこいつら。そんな早く喋ったら聞こえない!」
ぶつぶつと英語を喋る男を結仁は呆然と見ていた。足が震えて動かない。あれだけ格闘術の訓練を積んでいようと逃げる勇気も戦う勇気もかけていた。それでも妹だけは絶対に守ろうと紫乃の方を見る。紫乃は眉間にシワを寄せて血走った目で男を見ていた。せっかく購入したぬいぐるみと服を地面に落とす。
「結仁……少しだけ待てって」
紫乃は怯える結仁をゾッとするほど穏やかな眼差しで見た。紫乃は歩きながら考える。事前に止められるだろうか? あのベルゼの男が何かしら用意しているのは間違いない。そこら中からウイルスの気配がする。そして男の中にそれがあることを紫乃は確信。歩むたびに「結仁を連れてさっさと逃げるべきだと」を考えずにはいられない。今度ウイルスに感染したら結仁は助からないかも知れない。だからと言って紫乃にはたとえ失敗したとしてもこの場にいるすべての人間を見捨てる選択肢などなかった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい結仁」
紫乃は心のなかで懺悔する。
「では日本の皆さん。ご協力お願いします!」
男は左手に持っていたガスマスクを被ろうと動く。瞬間。紫乃が弾丸のように接近する。男はそれに反応。発砲。閃光の後、紫乃の足に風穴が開いた。出血した血液は一瞬で凍りつき傷口をふさぐ。撃たれた足などお構いなしに男に向かって疾走。男は銃を持ったまま呆然とその姿を見ていた。
「血液結晶化能力……不可能だ! お前はもう既にここにはいないはずではないのか!!」
男は躊躇なくアタッシュケースに向かって弾丸を打ち込む。一気にケースは膨れ上がって閃光。濁った赤い空気が紫乃と男を包み込んだ。連鎖的にショッピングモールの各地で爆発音が鳴る。結仁は呆然と聞いていた。後ろから悪魔の如き霧が手を伸ばしていた。結仁は咄嗟に走る。風に乗って流れる空気は結仁を無残にも飲み込んだ。
「ぎゃあああああああ! 痛え、痛い。クソどうなってるんだベルゼの無能がなぜ誰も来ない!!」
マックスは自ら散布した毒ガスの痛みに悶え苦しむ。体中を痛みという痛みが走り、血管そのものが針のむしろ。動けば動くほどウイルスが回って気絶しそうなほどの激痛が奔る。震える腕でポケットから自己注射器を取り出す。自分の右腕に一気に打ち込んだ。血のように赤い液体がどくどくと体内に入る。奇妙な幸福感。痛みが引いていく。それでもマックスの顔は悔しげに歪んでいた。
「これでおれの死が確定か。半吸血鬼はもって3日間」
強化された動体視力が霧の中の動きに気づく。超人の如き反射速度でマックスは首を曲げた。槍が空を切る音とともに削られた皮膚から鮮血が舞う。
「……せっかく会えたってのに随分な歓迎だな。オリジナルの人造吸血鬼め!」
マックスは槍の手元があると思わしき霧の中に発砲。紫乃にはマズルフラッシュが見えた。紫乃はふさがり始めている傷口の血を手で拭い取る。赤の結晶が鋭い石のナイフのような形を構成。そのまま投げ飛ばす。
マックスは音に反応し振り向く。激痛とともに右腕の中央を赤い結晶が貫通していた。歯を食いしばって叫び声を堪える。今度喋ったら頭を貫かれるとマックスは確信。人造吸血鬼の感覚は人間を遥かに凌駕している。
ゆっくりと息を潜めてガスの中を動いているとマックスの右腕に突き刺さっていた結晶が少量の血液に戻った。
結仁は朦朧とした意識の中で床を這っていた。佐藤が話していた戦場雑学を聞いておいてよかったと思った。最初ウイルスに感染したときほどの激痛は結仁に訪れなかった。ただじんわりとした熱を持ったような痛みが頭から爪先まで襲っている。ガス状になってウイルスの濃度が低いせいなのか、特殊警察隊の診断結果から判断すると本当に抗体でも獲得していたのか結仁には分からない。ただ結仁は飛び出していく紫乃を止められなかったことを歯軋りしながら後悔していた。
「どうして……ぼくは何もできないんだ。父さん、母さん……」
結仁は右手の薬指についた銀の指輪を見て呟いた。
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