第21話
夜の女王。そう形容するにふさわしい燦々たる黄金の髪が風に靡いている。眼球は熱を持って鋭く赤く光る。白のシャツと赤いロングスカートが夜に侵食され黒く染まっている。右手には無骨な鋭い先端の槍。明日に響かないようにしないと、後風邪を引かないように速度は抑えよう。紫乃は思った。紫乃にとって結仁の血を飲むというのはどうにも落ち着かない感覚だった。守るべき対象だと心に刻んでいるにも関わらず興奮がにじみ出る。押し倒して細く白い肩に歯を突き立てなくなる。元々は敵を攻撃するためだったゼブルウイルスの本能は現代では邪魔でしかない。
ふわりと飛びあがって住宅街の屋根に飛び移る。大量の建物が並んでいること、市民が他人にどこか無関心なことそれが紫乃が都市の唯一好きなところだった。そのおかげで少しぐらい大胆に行動しても情報は根付くまもなくロストする。
紫乃は眼球を動かして同胞を探る。西だ。判断した瞬間、一気に飛び立った。
「こんにちは……哀れな人間」
路地裏の上空から紫乃が飛び降りた。衝撃でわずかに地面が揺れる。三階建てマンションを超えた高さから降りたにも関わらず紫乃は骨が折れた様子も衝撃で怯んだ様子も一切ない。鋭く開いた瞳孔は目の前の眼鏡をかけた外国人を見ている。
「……何だお前」
男は英語で鋭く言い放つ。すぐさまナイフを構えて腰を低くし戦闘態勢に入る。紫乃は槍で風を切った。
「貴方達は自分が探してるものの存在すら知らないほど愚かなの? それとも知らなくていいと思うほど飼い主に忠実なのかしら?」
子音が軽く伸びた訛りの入った英語で紫乃は言う。凄惨な笑みを浮かべる。普段の兄に甘えている姿からは想像できないほど大人びた表情。刃物のように冷たい声色。男の頬を冷や汗が伝う。背筋が凍りつくような悪寒。男は紫乃の様子を伺い。一気にハンドガンを引き抜いた。サイトを確認せず感覚的に狙い定めトリガーを引く。銃声は鳴らなかった。代わりにドサリと乾いた音が鳴る。銃を構えていた腕は無様に大地に横たわっていた。男は苦痛で歯を食いしばりながらも自らのするべきことを思い出す。生存本能に促されて全速力で走ろうとした。男はなにもないところで哀れに躓いて転んだ。紫乃は冷え切った目で男を見る。槍は男の首に当たっている。
「良ければ情報提供願いたいのだけど」
男は息を潜めて黙り込む。捕らえられた獲物はただ黙り続けた。紫乃はため息をつく。
「ごめんなさい」
槍は脳を貫通。地面ごと突き刺した。
「これで終わりかー」
結仁は射撃場で紙を見ながら言った。ウイルスは安定化し上がりも下がりもしなくなった。
「浮かない顔すんなよ結仁」
弾丸が尽きたハンドガンを置いて佐藤は言う。
「俺達が言ったらお終いだが、ゼブルウイルスに感染してまともに生活が送れるなんて事例、お前が初めてたぜ。もし俺たちが助けなかったらマジモンの人造吸血鬼が誕生してたかもな」
「嫌ですよ。大変そうなので」
吸血鬼は妹だけで十分だと結仁は思った。
「そうかー。俺は安全だったらなってみたいぜ。強化兵士になりゃやれることが増える。何でもドイツ軍が持ってた四体の成功作は軍の部隊ぐらいは軽く殲滅できたらしいからな。まっ、しょせん噂は噂だが」
結仁はその言葉を聞いてあの夜の紫乃を思い出す。月明かりに照らされた赤い瞳と神が創り上げたと言っても過言ではない造形は畏怖の感情がさえ覚えた。あの身体能力を考えるに確かに兵士の集団には圧勝できそうだ。結仁はわずかな危機感を覚えた。紫乃に置いていかれるのではないかという不安。子供の頃からあった優秀な紫乃への劣等感が膨れ上がる感覚がした。
「佐藤さん」
結仁は立ち上がる。
「なんだ?」
「射撃練習とか訓練は治療期間が終わってもやっていいですか?」
「どうした……特殊警察隊でも目指すのか? それとも自衛官?」
「違いますよ。理由は言えませんけどやりたいんです」
「はー、まあいいけどよ。藍の奴に確認してみたらどうだ。俺は下っ端だからな。なんとも言えない。射撃練習の方はあんま期待すんな。例外中の例外だ。格闘訓練の方は、慰謝料として要求すりゃ通るかもしれんな。……おっと噂をしていたらなんとやらだ」
小野寺と藍が部屋に入ってくる。小野寺は肩に人間一人くるめそうな黒いビニール袋を担いでいた。
「そりゃなんだ?」
「死体だ」
小野寺が興味なさげに言う。結仁はゾクリと背筋が凍る感覚がした。
「ゼブルウイルスの被害者か?」
「いや、ベルゼの男だと推測している。昨日、路地裏に片手、片足を刃物で切断された状態で見つかった。首元は――」
言い切る前に藍が小野寺の口を塞ぐ。
「貴方……子供に対する配慮は一切ないのね」
「すまん。失念していた」
小野寺はさっさと部屋から出ていった。藍がため息をつく。
「内の班の人間が不謹慎でごめんなさい。私達往々にして感覚がおかしいのよ。……退院おめでとう結仁君」
藍が結仁の頭を撫でた。結仁は妹にたまにやっていたが、されると非常にこっ恥ずかしい。くすぐったい感覚だ。
「ちょっと、藍さん」
「諦めろ結仁。藍の奴はショタコンなんだ」
「誰がショタコンよ! ちょっと愛着湧いて寂しいだけよ。もうこんなに素直な子が私のチームにいたら良かったのに」
藍は撫でるのに満足すると結仁の頭から手を離す。
「あの……藍さんにお願いがあるんですが」
「何かしら?」
「訓練が続けたいです」
藍が目を細める。
「……それは何のためかしら?」
「妹の助けになるためです」
「紫乃……妹さんのため……ね。私はあまり推奨しないわ。妹さんが綺麗で可愛いのは分かるけれどあの子は少し……」
「紫乃のこと嫌いなんですか!?」
結仁は驚いて声を上げる。結仁の知る限りでは紫乃と藍は一度しか会ってないはずだ。
「嫌いでないけれど……不安ね。まあそれはいいのよ。ただの勘だから」
「安心しろ結仁。藍の奴の勘は信用ならん。ちょっと前に『これは絶対美味しいわね。このデザイン神だわ。企業がこれを押しているのよ』とか言って買ったアイス。渋い顔して食べたからな」
「殴られたいのかしら?」
藍が拳を握って佐藤に向ける。佐藤はヒューヒューと口笛を吹きながら藍から離れた。
「で本当に続ける覚悟があるの結仁君?」
「あります」
結仁は確固たる意思を込めて言う。藍は頭を掻く。
「そう、お願いされると断るのは難しいわね。今回の件は裁判沙汰にされても可笑しくなかったのだし。いいわ、乗り気はしないけど許可します。ただし銃はもう駄目よ。そもそも警察でもないのに扱っちゃいけないものだから」
「分かりました」
どこかに行っていた佐藤が堂々たる足取りで結仁の方によってくる。腕には少し擦り切れた青色の箱を持っていた。
「結仁に退院祝いのプレゼントだ」
佐藤は楽しそうに箱の蓋を開ける。そこには黒く細い特殊警棒が入っていた。
「日本特殊警察隊が採用している特殊警棒だ。お古だけどな。ちなみに性能は大して高くない。ぶっちゃけブランドだけだな。ネットで1万ぐらいで似たようなものが売ってる」
「ありがとうございます」
結仁は恐る恐る箱を受け取る。
「貴方……退院祝いに警棒プレゼントするなんてどういう神経よ」
「何言ってんだ。花よりよっぽど実用的だろう。花なんざ次の事故を防ぐのに何の役にもたちゃしねえよ。『花より団子、団子より特殊警棒』次の事件を回避する物品こそ退院祝いにふさわしい」
佐藤はケラケラと笑う。
「結仁君。それ所持自体は合法だから止めないけれど……無闇矢鱈に持ち回らないでね。職務質問されるわ」
「実体験ですかい?」
佐藤が軽口を叩く。
「うっさい」
藍が言った。
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