第20話

 「Bev3-ZeV|0.28」と書かれた用紙を結仁は寝転んだまま見上げた。この一週間ほど結仁の数値は0.01の変動もない。基準値を超えているにも関わらず安定している。医者の話によると見事、結仁はウイルスを克服してしまったらしい。高い筋力と探知能力は相変わらず消えない。担当医師からは「来週で特に変動しなければ治療は終了だ」と告げられた。

 

 閃光と同時に肩に衝撃がはしる。放たれた弾丸は寸分たがわず目標の頭を撃ち抜いていた。

「腕がいいな……。将来は有望な兵士になりそうだ」

「なりたくありませんけどね」

 結仁は苦笑いしながら小野寺の言葉に返答する。小野寺は重い腰を持ち上げると自然な動作でブースに入る。マガジンを素早く確認してハンドガンに装填。一瞬でスライドしてしロックを解除。発砲。的の頭部ど真ん中に穴が開いた。

「だろうな。最近は表向きは平和だ」

「表向きなんですか?」

「ああ、表向きだ。俺達みたいな部隊が設立されているということは……そういうことだ。各国はこういう技術が好きらしい」

 小野寺は話を区切るように射撃。今度は心臓に命中。

「ベルゼ以外にもたちの悪い組織が増えてる。自国の真の開放、優生思想、各国の防衛省、具体的にどの国とは言わないがな。権力者で金持ちだとこういった物に惹かれる」

 小野寺は息を吸う。

「ただ力の有効性は変わらない。人の歴史は戦争の歴史だ。いつだって力は役に立つ。結仁も守りたものがあるならば、鍛錬を欠かすな」

「小野寺さんはどうして特殊警察隊に入ったんですか?」

 小野寺は苦笑い。

「政府が守ってくれるという幻想が信じられなかった。母が交通事故で死んだ。その後に始まったのは子供の精神を削り取る不毛な裁判。正義の言い合い。結局失ったものは失ったままだ」

 小野寺は黙り込んだ。

 

 検査からの帰り道、結仁は紫乃に連絡を入れてから一つの店に寄ることにした。マゼンタカラーのラインと黒を基調とした店舗のデザイン。如何にも高級店だという様相。「Lady's gift」は米国発祥の洋菓子屋である。

 結仁が重たい扉を開けて店舗に入る。扉がしまり厳かなベルの音が鳴った。店内は若い女性でひしめき合っている。


「ありがとうございました」

 頭巾を被った女性店員がひまわりのような笑顔を客に向けた。お客の女性は恥ずかしがりながらも購入した品物を受け取る。結仁は一人の店員として負けている気がした。どうしてもバイトする時にぎこちない笑顔になってしまう。結仁はカウンターに近寄る。

「いらっしゃいませー! 何をお求めですか!!」

「ラズベリータルト4号をお願いします」

「かしこまりましたー! 少々お待ち下さい」

 女性店員が笑顔でガラスケースの中に飾られていたケーキを取り出して箱に詰める。

「誰かへの贈り物ですか?」

「妹と一緒に食べます」

「いいですねー。はいこちら1560円となります」

 店員が一瞬でラッピングを終えて結仁にケーキを渡した。


「あんた……こういうところ寄るんだ。意外」

 白のTシャツと青いズボンというシンプルな服装が楓のボディラインを強調している。シャツははちきれそうなほどだ。周りの女性から嫉妬の目線が飛んでいる。

「楓の方こそ、ここ家から遠いと思うけど?」

「これでも常連なのよ。チョコレート!」

 楓がそれだけ言うと店員は「かしこましたー」と笑顔で準備を始める。「Lady's gift」と書かれた真っ黒な四角いボックスが出てくる。楓はそれを貰いポケットからクレジットカードを取り出し支払う。


 結仁は楓と二人並んで店舗を出た。

「それ紫乃ちゃんと食べるの?」

「そうだよ。最近は迷惑かけてばっかりだから」

「ふーーん、相変わらず仲が良いのね」

「普通だよ」

「……妹にお世話されてるのが普通なわけないでしょうが」

 楓は信じられないものを見る目で結仁を見る。

「見てるだけで甘ったるくなるぐらい仲いいわよ貴方たち」

 楓はビニール袋からボックスの箱を軽く開けて丸っこいモンブランのようなデザインをしたチョコレートを口に放り込む。

「貴方達っていつからあんな関係なの?」

「あんなって紫乃に世話されてること? 両親が亡くなってからかな」

「ごめん……聞かないほうが良かった?」

 楓は罪悪感でしょんぼりと項垂れる。

「大丈夫。そんなに覚えてないから。実は事故の前の記憶が曖昧でよく覚えていないんだ」

「紫乃ちゃんのことも?」

「いや本当に子供の頃の記憶は流石にあるよ。事故の前後だけ。だから日常生活に影響があったりはしない。確かその時医師は事故にあった子供にはよくあることって言ってた。精神的負担を与えないためだろうね」

「だろうね……ってあんた随分達観してるのね」

「当時はそりゃ落ち込んだ、死にたいと思ったことがあった。けど紫乃に助けてもらったんだ。妹に助けられるなんて兄失格だけどね」

「……そう、穴を見つけた気がする」

「何が」

「何でもないわよ。紫乃ちゃんのことちゃんと守ってあげるのよ」

 楓は呆れながら言った。


「お兄ちゃん私、涙が出そうだよ」

 三時のおやつ。リビングで紫乃はフォークでタルトを食べる。

「泣かないでね」

 大袈裟だなと思いながら結仁は言う。

「Lady's giftのタルトは最高級品です! 全国どこでも美味しくいただける」

 ちまちまと端っこから細断するように紫乃はタルトを切っては口に運んでいる。

「……懐かしいなぁ」

 紫乃は涙をにじませながら小さくぼそりと言った。



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