第19話

「私も行きます!」

 結仁が朝から楓の家に行くことを伝えると紫乃は勢いよく手を上げて言った。

「……恥ずかしいんだけど。お母さんが友達の家に遊びに行くみたいで」

「お兄ちゃん……私はお母さんじゃありません。それに楓さんは私の友人でもあるの」

 紫乃は言いながらスマホを軽快に触る。ピロンと音が鳴った後、紫乃が結仁にスマホの画面を見せてくる。「ok」と書かれたテディベアのスタンプが送られていた。

「本当に仲いいんだね」

「たまにお兄ちゃんの習性について二人で考察してるよ」

「ぼくに習性なんてないよ」

「本当……楓さんがお兄ちゃんはドMだって言ってたけど」

「嘘に決まってるだろ。信じないでくれ」

 結仁は涼しい顔で言った。


「暑いねー」

 マンションを出ると、紫乃は麦わら帽子を抑えながら言う。

「紫乃が麦わら帽子被ってると海外から来たお嬢様みたいだ」

「けど実際は貧乏」

「その展開もいいよね」

 結仁はサムズアップ。紫乃は呆れて苦笑いをした。

 

 トラックが横を通り過ぎて結仁の服が突風ではためいた。わずかに残った夏の暑さを吹き飛ばす。過去にあった緑などとうに侵食した都会が我が物顔で人を飼っている。

「休日は本当に車が多いな」

「お兄ちゃん……私は田舎に帰りたいよ」

「実家も別に田舎というほど田舎じゃないけどね。けど少し分かる。ぼくは老後は自然豊かな街で暮らしたい」

 結仁は雑踏にかき消されないように声を張り上げて紫乃に伝える。楓の家は結仁たちの家から東側にある。二藤探偵事務所の更に先だ。

「あら……珍しわね結仁君。妹さんとデートかしら?」

 凛とした声。結仁が振り返ると藍が手を振っていた。紫乃が疑わしげに藍の顔を見る。藍は笑顔を向けた。

「初めましてお嬢さん。電話で喋っただけで実際に会ったことはなかったから会えて嬉しいわ。紫乃さんで合ってるわよね?」

 藍は探るように紫乃の目を見ている。紫乃は嫌そうに目をそらした。

「初めまして藍さん。兄がお世話になってます。お兄ちゃんの検査は終わるんですよね?」

 紫乃が鋭い目つきで藍を睨みつける。藍は口をゆっくりと開けた。

「日常生活を送るにはもう既に問題なくなっています」

「じゃあ、いい。お兄ちゃん行こ」

 紫乃は結仁の袖を引っ張って藍から逃げるように離れた。


「へぇー、あれが結仁の妹さんか……あんだけ美人だったら守りたくなるのも分かるな」

 人混みをかき分けて佐藤が現れる。

「さっきの会話だけで結仁君が尻に敷かれていることが分かったけどね」

「そりゃ……また羨ましい要素だな。お前さんは何だか不満げだな?」

 藍は物憂げな顔をして紫乃が去っていった方向を見る。

「ええ、ちょっと変な兄妹だなって思っただけよ」

 藍は肩をすくめる。

「兄妹なんて千差万別だろ。『お兄ちゃん大好きな』な妹なんて幻想なんだ」

「そんなこと一度も信じたことないわよ」

 藍は言い切った。


「ということで本日は齋藤家のお二人に裁縫を手伝ってもらいます。ぱちぱちー」

 結仁と紫乃は正座して楓を見上げる。

「ぼくは裁縫のために呼び出されたのか!?」

「いいでしょ。別に手伝ってくれても。数作るのは面倒なのよ。私のストレス発散につき合いなさい!」

「ぼくがやったら裁縫とか逆にストレス溜まるよ」

「それは素人の感想ね。慣れてきたら布に針を通す感覚が癖になってくるわ」

 綺麗な顔を歪めて楓が涎をたらしそうな表情をする。美人が台無しだと結仁は思った。楓は白衣を着ているため完全に恐ろしい実験をやろうとしてるマッド・サイエンティストだ。

「楓さん、出来上がったものは貰っていいんですか?」

 紫乃が行儀よく手を挙げる。

「同じコレクター仲間として許可します。結仁は駄目です!」

「ぼくはいらないけど。まあ楓のストレス発散の助けになるんだったら頑張るよ」

 楓は俯いて黙る。覚悟を決めて勢いよく顔をあげた。

「完成させたら秘蔵のチョコレートをプレゼントします」

「もっと頑張ります!」

 結仁は言った。


 結仁は茶色のテディベアに綿を詰めて背中を細かく繋ぎ止めていく。集中力が途切れてきている結仁と比べ紫乃と楓は真剣そのもの。数ミリのズレさえ許さないとばかりに強い視線をぬいぐるみの接合部に向けている。

「ふぃー、これで三体目よ」

「ぼくまだ一体目なんだけど」

 結仁は絶望しながら完成した茶色の不格好なティディベアを抱きしめる。縫い目がずれて均整が取れていない。綿の入ったぬいぐるみは思いの外良い感触がした。紫乃は赤と黒の二体の小さなティディベアで頬を挟みマシュマロのようにとろけた顔をしている。

「紫乃ちゃん完璧な縫い目ね。才能あるわよ」

「ありがとうございます、楓さん」

 紫乃が勢いよく楓の胸に飛び込んだ。二つのボールは柔らかそうにはずんだ。楓は大型犬をあやすみたいに紫乃の頭を撫でている。結仁がじーと見ていると、楓がこちらに気づいた。

「なに、結仁も抱きつきたいの?」

「違うから。仲いいなーと思って……」

「……紫乃ちゃん、お兄ちゃんが嫉妬してるわよ」

「知りません」

 結仁はじゃれ合う二人を微笑ましそうに見ていた。


 二人が帰った後、楓は結仁が作ってくれた茶色の熊のぬいぐるみを恐る恐る抱きかかえる。脳のすべてがじんわりと幸福の液体に浸った気がした。貪るように布に顔をうずめて息を吸う。……まるで薬物の中毒者だと楓は自嘲した。楓はひとしきり味わい終えると、紫乃が縫った小さな一匹の蝙蝠の人形を楓は掴んだ。縫い目の間隔はほとんどズレがない。だというのにヒントか目印のように細く小さいまち針が一本だけ布の接合部に刺さっていた。楓は詰めが甘いなと思いながらまち針を抜くとぱっくりと蝙蝠の背中に穴が開いた。綿の中には少し違う白が埋め込まれている。楓は気になって手を突っ込んだ。取り出した手のひらには小さく三角折りされた硬めの紙があった。

「楓さん、結仁にもし何かあれば助けてあげて下さい。私にはもう無理かもしれないです。理由は何も聞かないでくれることを願います」

 可愛らしい丸みのある文字で書かれていた。


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