第15話
夜、結仁は何もやる気が起きず白い天井を眺める。自分の呼吸が少し荒いことに気づく。枕元に置いたぼんやりと光るLED電球が眠気を覚ます。目を閉じた。
目を閉じて、結仁は意識を集中させる。瞼をあげると紫乃の部屋の方向を向いていた。
「気づかなかった」
結仁はひとり言う。ベルゼの人間ほど反応は強くないがウイルスは確かにコンパスとしての機能を果たしていた。何かがいると脳は認識し、それと出会うことを渇望している。けれど感覚は意識しなければ消えてしまうほどに微弱で静かだ。穏やかな水面に少しだけ揺らすもの。きっとウイルスに慣れれば消えてしまうのだろう。
「何も言わないで。絶対後で話すから」
黒い瞳に涙を浮かべ紫乃はあの日、懇願した。結仁にそれを拒む理由などなかった。結仁はあの後、何事もなかったのように立ち上がって紫乃と一緒に帰った。
結仁は暗闇をずっと見ていると不安に押しつぶされそうになる。紫乃はどういう存在なのだろか。赤い槍、ベルゼの人間を超越した身体能力。人間ではない。それでもなお結仁にとって紫乃は愛おしい存在だった。
小さいノックの音が聞こえる。
「お兄ちゃん入っても良い?」
「…………うん」
ガチャリと扉が開いた。扉の前に紫乃が立っている。ただそれだけのことなのに結仁は時が止まったような感覚を覚えた。
金糸で編まれたような髪は後ろに赤いシュシュで一つにまとめている。前髪が少し後ろに引っ張られて真っ白なおでこが見える。紫乃の隠れた幼さを強調。桃色の薄いネグリジュが紫乃の細い両腕で抱かれた白熊のぬいぐるみの間からチラチラと見えた。紫乃はぬいぐるみの横から漆色の目で結仁が寝転んでいる布団を確認すると歩いてきた。寝台の前で悩んだ後、そのまま白い布団の中に入った。
結仁はびっくりして反射的に奥の方に寄る。すそを紫乃の震える腕が引いていた。結仁は紫乃の細い腕に手のひらを乗せた。
「ねぇ……結仁、本当に知りたい?」
「ぼくだって自分の妹がどういう状況かぐらい知りたいさ……」
「……分かった」
覚悟を決めて紫乃は言い。
「私達の身体に中に居るゼブルウイルスのことどこまで知ってるの?」
「第二次世界大戦時の強化兵士を作成計画の産物だってこと、あとそれを……ベルゼとかいう組織が実験してること」
紫乃は大きく息を吸って脳が焼けるほど考え込んでいる。結仁は静寂に不安になって紫乃を両腕で抱いた。怖かったのだ。紫乃が変わってしまうことがどうしようもなく怖い。結仁は今の関係が壊れることを恐れる。やさしく撫でるように紫乃の白肌に触れた。指は震えていた。紫乃は少し驚いた後、再び口を開いた。
「結仁。私はベルゼの実験で産まれた人造吸血鬼の成功作。彼らの求めてるものがどの程度のものなのかは知らないけど。私の筋力は力を込めれば人の頭ぐらいだったら千切れる。脚力なんて……オリンピックに出たら金メダルだよ」
紫乃は冗談めかして言う。結仁は少しだけ安心して紫乃の金色の髪を撫でた。
「私は人造吸血鬼。愚かな人間の作品の成れの果て」
「いつからなの……紫乃は、いつからそんな状態なの?」
紫乃は痛そうなほど服の胸元を握った。
「火事の日。……お母さんとお父さんが死んだ日。あの前ね。突然変な人達が来たの。スーツを着た人達でお父さんと話ししてた。勝手に入ってきて私の腕を乱暴に捕まえたの。注射器を持ってた。それがゼブルウイルス。結仁は打たれた時どうだったの? 結仁もきっと感染してるんだよね。たぶん……不審者に襲われた時かな?」
「打たれたんじゃんなくてぼくの場合は、牙で吸血されたけどね。あれは……もう二度と経験したくないほど痛かった。眼球が飛び出るかと思ったよ。ひどい頭痛もしたし」
紫乃はぬいぐるみを握る腕に力を込めた。
「私も同じだった。痛くて痛くて泣いたけど痛みが収まらなくて……そしたら感覚が拡張されたの。人の息遣いとか、声とかそんなものが大音量で聞こえてきて情報の洪水に流されそうだった。その結仁が居ない日にね。ベルゼの人たちがウイルスについて喋ってるのを見たの。それ以来、何度か外に出て聞きに行ってた。ほらウイルス同士はある程度惹かれるから見つけやすいの。運の良いことに私のウイルスはあまり探知できないみたいだし。結仁は知ってるウイルスの出自のこと?」
「ドイツ軍じゃないの?」
「そうだけど……本当はもっと前。ゼブルウイルスはね。アフリカから来たの、北アフリカ。国名は知らない。元々は現地の民間信仰のシャーマンがこのウイルスに感染して適応してた。それに列強が興味を示して第二次世界大戦で利用しようとドイツが計画した。アフリカでは本当のところ無数の人間が激痛で死んでて私だったらとても利用できるとは思わないけど。ベルゼブブそれがゼブルウイルスを媒介する蝿の名前。旧約聖書の悪魔の名。結仁は私を悪魔だと思う? 人殺しの私を……」
紫乃は乾いた笑い声を漏らした。結仁は覚悟を決めて紫乃の身体を強く抱きしめた。震えていた。
「思わない! 紫乃はぼくの妹だから。けど、もし紫乃が自分の命を守るため以外に人を殺したら、怒るよ」
「どれぐらい」
「拳骨じゃすまないぐらい。きっとぼくは怒る。ぼくの妹に……そんあことしてほしくないから」
結仁は目を閉じる。
「ぼくは紫乃のことは……言わない。誓うよ。あの人達はきっと良い人で、信頼できるけど紫乃を守れるのかは分からない。組織のことは紫乃に話さない。紫乃のことも組織には話さない。それがぼくの判断だ」
「ありがとう結仁」
「当然だよ。紫乃は……ぼくの妹なんだから」
結仁の言葉に絶えきれなくなったように紫乃は顔を俯かせた。
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