第12話

「はい、480円です。……ありがとうございました」

 結仁はお金を確認し客から受け取る。レジ袋に入れた本を渡す。首から吹き出た汗を赤い見られないうちにエプロンで拭った。

「ふー。……ようやく第3ウェーブが終わりましたね」

 舞波が大きく息を吐きながら言う。

「そろそろラスボスかな?」

「いえ、このゲームにラスボスは存在しません。いやラスボスは貴方自身なのです!」

 ドヤ顔で舞波が言う。

「哲学的だね」

「実際そう思うことありませんか」

 舞波は寂しそうな目でポツポツと店内を歩く人間を見る。

「いつか他人は居なくなりますよ。……突然です。さっきまで笑っていたのに明日には骨になってたりします」

「そして周りから『可愛そうな子』って言われるんだよね」

「結仁さん何か過去に嫌なことでもあったんですか?」

「少しだけ……けどなんとかなったよ」

 結仁は暗い瞳で楽しそうに歩いている子供を見ていた。過去を思い出したくない思った。家族死ぬ光景など見たくはない。心の底から。


「うん、今から帰る。それじゃ」

 結仁は紫乃に移動の旨を伝えて電話を切る。本当に子供みたいだなと結仁は自嘲した。けどこの程度で紫乃が安心できるならやらない理由はなかった。

 個人個人ではなく都会は集団として人間を認識する。結仁は群衆の雑踏の一部として歩く。そうしていると少しだけ心が慰められた気がした。

 

 住宅街と都市の切れ間、結仁の視界から人が消え始めた頃。結仁はじんわりとした熱を感じた。またこの感覚だ。結仁は構わず小走りに歩く。視界は薄暗い。不安感を煽られる。揺れる街路樹の葉っぱが人間の手のひら。幹には顔が描かれているような錯覚。低木の中に誰かが隠れている。そんな気分になる。

「こんにちは」

 穏やかな若い男の声だ。結仁が振り向いた先。金髪の男が錆びれて割れ目がある青いベンチに座っていた。白い肌だ。黒のスーツを着ていて如何にも仕事帰りという雰囲気。闇の中で煌々と真紅の光を眼球が放っていた。結仁は背筋が凍るような寒気に襲われる。二三度瞬きしても彼の眼球は赤い。どこまでも赤いままだ。結仁は後退りした。

「挨拶するのが流儀なんだ。ああ、もちろん人殺しの狂人にはやらないよ。『豚に真珠を与えるな』、日本のことわざでも似たのがあるんだっけ、聖書の方が馴染み深いけれど……。それは物質に限定されない。愛も恋も復讐心も全部屑には過ぎたものなのさ」

 男は水を得た魚のように饒舌に日本語を喋る。

「……残念なお知らせがあるんだ」

 結仁は視線を合わせたままさらに後ろに下がる。その動きを男の眼球はぎょろりと追う。

「君は知っているね……。知ってはいけなかったんだ。契約書類でも書いて帰してやりたいところだけどぼくとっても、上にとっても書類は意味をなさない。重要なミッションなんだ。万に一つも痕跡が残ってはいけない。暴れたがりなあの男には困ったもんだ。早いとこボスが処理してくれないとぼくは毎晩夜も眠れないよ」

「誰ですか?」

 結仁は冷え切った声で言う。

「不安を抱えてはいけない。不安は効率を下げる。効率が下がると不安が生まれる。……すると無限連鎖さ。できることならやりたくない。けど、これは必須事項なんだ!」

 男は結仁の言葉を無視。一歩力強く踏み出す。

「動かないでくれよ! 外すと痛む!!」

 男はポケットから折りたたみ式のナイフを取り出し一瞬で開く。刹那。ナイフは男の異常な筋力で弾丸のように結仁の頭部に向かって飛んだ。

 

「襲われそうになった時は……目を反らすな。お前さんの目は俺みたいな軍人もどきよりも良い。自信を持て。そこら辺のアマチュアぐらいなら勝てるさ」

 

 頬を薄く削ぎ落とされる感覚を感じながら結仁は佐藤の言葉を思い出していた。血の気が引く。異常な状況に身体が適応。感覚が急激に研ぎ澄まされる。結仁の眼球が熱を持つ。

「赤い目。理性を失っていない躯……だが! 無駄! 新作たる半吸血鬼に勝てるどおりはない!」

 男はアスファルトを蹴り砕く。次の瞬間には結仁の目の前に出現。右拳が振るわれる。両腕で衝撃を受ける。骨が軋む嫌な音が結仁に伝わる。右腕を思いっきり振るった。男は豹のように軽々と後ろに飛ぶ。

「落ち着け落ち着け落ち着け」

 結仁は猛烈な痛みを両腕に感じながら自らに言い聞かせる。男はゆっくりと横に動きながら獣のように気配を伺う。

「武道の心得でもあるのか……」

 結仁の瞬きの後。対応できない拳が腹にめり込んでいた。結仁の意識が一瞬飛んだ。地面に這いつくばる。男は結仁を見下ろし彼の頭に靴の裏を乗せた。

「だが無駄だ。しょせん付け焼き刃。プロには及ばない。すまないな。君の死は必ず人類の全体の役に立つだろう。我々が保証しよう。さようならだ、少年!!」

 男は苦々しい表情で足をあげて結仁の頭に向かって一気に振り下ろす。

 ひび割れた草木の中に白い棒がぼとりと落ちた。先端の部分からはどくどくと真っ赤な液体が溢れている。動かないのにそれは靴という歩くための装飾品を身に着けていた。男は自分の足がないことに気づく。

 街路樹を伝って赤い二つの線が疾走。男はその存在を見て結仁を残し慌てて逃げようとする。片足だけでは全力疾走できるわけない。盛大に転倒。男の首元には真っ赤な細い氷柱のようなものが当てられていた。

 曇り空の上で凛として輝く月のように、黄金の髪が闇に浮かぶ。少女は敵対者に刃を当てていた。儚げなサイドテールは赤い色のシュシュで纏められている。黒かった眼球は痛いほど真紅に光っている。

「紫乃!?」

 結仁は声にならない声で叫ぶ。手を伸ばしながら少女に訴えかける。少女は結仁を穏やかな瞳で見つめる。視線を外すと這いつくばった男に目を再び向けた。

「拷問したら口を割りたくなる?」

「残念ながらぼくはプロだからね」

「そう……」

 鋭い音とともに真紅の槍が男の首を貫通した。紫乃は姿勢を低くして男の頭を鷲掴みにすると強引に引きちぎり始める。繊維が千切れる音が続いたあと、一際大きな音をたてて頭が取れた。

「ごめんなさい結仁」

 紫乃は人間の頭部を持ったまま泣きそうな顔を結仁に向けた。


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