第9話
「起きろ、起きろー。お兄ちゃん!」
紫乃は布団の上から結仁はバンバンと叩き起こす。結仁は寝ぼけた眼を擦る。学生服に着替えた紫乃がいた。
「今日は学校。最新の注意を払って登校してくださいね」
布団を剥ぎ取りながら、紫乃は心底不満そうに言った。
「よぉ、結仁。紫乃ママに迷子センターから無事回収されたようだな」
結仁は珍しく朝早くからいる学に肩を叩かれ、引っ張られる。顔をしかめた楓が結仁を見ていた。
「おはよう楓」
「…………おはよう」
楓はそれっきり無言になって穴が空くほど結仁を見つめる。楓は基本的に饒舌だ。結仁は昨日自分が休んだことに怒っているのかと考えたが、楓も時たま学校をサボるのでそれはないだろう。
「楓お嬢様。この狼藉者はいかが致しましょう?」
「死刑よ」
楓は無表情に無情な言葉を吐く。
「楓も学も、一日学校休んだだけで死刑にするなよ」
楓がダンッと勢いよく椅子から立ち上がり結仁の目を見る。結仁は自分と楓の認識の違いに気づく。
「真ですか偽ですか?」
学は言う。楓はじっと結仁の顔を見る。暗い茶の瞳が真実を見抜こうとする。結仁は柑橘系の匂いに気づく。結仁は名案を思いつく。
「ああー、髪でも切ったのか」
楓が結仁の頬を一気に引っ張った。
「痛い痛い痛い、いた! 本当に痛いからやめて」
「あんたは私の彼氏か!!」
楓は結仁に向かって叫ぶ。学は腹を抱えて笑っていた。
「紫乃ママのことは冗談じゃなくて、お前が迷子になったて紫乃ちゃんから聞いて一昨日俺達も探したんだよ。まあ、見事空振りだったが。楓はそれはもう狼狽えて熱心に探してたぜ。数分で紙の地図に結仁が訪れそうな場所を書き込んだ時はゾッとしたぞ」
楓は結仁の頬から手を離すと悪鬼のような笑みで学を見る。
「学。あんたのその情報、私の個人情報だから。プライバシーの侵害で訴えるわよ!」
「怖っ。普通に怖い制裁だ。頬を引っ張られるより重い」
学は言う。
「ごめん、知らなかった。本当にありがとう楓、学」
結仁は勢いよく二人に頭を下げる。
「べっつにー、そんなに畏まらなくていいわよ。怒ってないから」
「頬を引っ張ったのに?」
「あれは愛情表現よ」
楓はため息をつきながら椅子に座るとぐで~と身体を机の上に伸ばした。
「で結局、不審者に襲われてたんだっけ」
結仁は一瞬言い淀む。楓はその合間に目ざとく顔をしかめた。
「うんそうだよ。男性に頭殴られて気絶した。運良く警官の人に助けてもらったけど」
「ふーん。まあ私もそうだけど紫乃ちゃんに心配にかけないようにしなさいよ。あの子、人が変わるぐらい心配してたから」
「それは同感。結仁のママですって紹介したくなるほどの慌てぶりだった。羨ましい兄妹だぜ」
結仁は少し見てみたかった気がした。
放課後、結仁は学の家に連行されていた。逃すまいと学は結仁と肩を組んでいる。結仁の隣で楓も歩いていた。
「ちょっと待って本気で今日遊ぶの?」
「何を仰る。心配させられ働いた俺たちを労うぐらいはしてほしいね」
「それは良いんだけどー」
「そんなに遊びたくないなら来なくていいわよ」
楓は冷たく言う。
「いや、学の家で遊ぶのは良いけど……分かったちょっと待って」
結仁は学の腕を振りほどいてスマホを耳に当てる。
「えーと、紫乃。ちょっと学の家に行くから」
「…………絶対迷子にならないでね」
冷え冷えとした声が聞こえた。
「はい、すみません」
結仁は携帯を持ったまま頭を下げる。頭を持ち上げると楓が腹を抱えて笑っていた。
「妹イコールお母さんの等号が成り立つ時が来るとは、お前二次元のキャラかよ?」
学は言った。
「負けた……だと」
学の家――学園からすぐ北側にある一軒家――の個人部屋で結仁はコントローラーを持ったまま口を半開きにして静止していた。結仁たちの前の画面には口ひげを生やした赤い配管工のおじさんがどんより雲にさらされている。結仁は密かに彼を尊敬していた。控えめで気弱な弟を持ち、兄をちゃんとやれているからだ。妹に養われる結仁とは正反対である。
「私……人生で始めて金も星も持たずにこのゲーム終了した人見た」
「結仁、お前才能あるぜ」
学がぽんと結仁の肩に手を置いた。結仁はコントローラーをカーペットの上に置く。
「よし気分転換で学の家を久しぶりに漁ろう」
「あっ、私もエロ本探す」
「おい! なぜあると確定してる」
楓は素早くベッドの下を見る。
「ちっ、流石にここにはないか」
「学、このバット凄い軽いね?」
結仁はデスクに立てかけられていた金属バットを取って言う。
「軽くはないだろ。野球バットよりは重い」
学は立ち上がって近づく。結仁から渡されたバットを持つ。
「……普通だと思うぞ。楓ー」
「なに、エロ本の場所教えてくれんの?」
「空き巣かお前は! 教えねぇよ! このバット持ってみてくれ」
楓が漁るのをやめて面倒くさそうに立ち上がる。楓がバットを持つと一瞬がっくりと腰が曲がった。
「おもっ!」
「それは大げさだな」
学は不思議そうな顔で楓を見る。
「あんたの馬鹿力と比べんな。私は一人暮らしなのにスーパーから米持って帰るのが無理でネット注文してるんだから」
楓は苛立たしげに言う。
「現実的に筋力なさそうな意見だな」
「ぼくが手伝おうか」
「じゃ、じゃあ。お願……い」
楓が少し狼狽えながら言う。結仁が疑問に思ってると、学がニヤニヤと笑っていた。
「何気持ち悪いな、学」
「人が笑っただけで酷い言い草だな」
結仁は楓と二人並んで歩いていた。家の方向が学園までは同じなのだ。空は茜色に染まり光がビルの窓ガラスに反射する。行き交う人々は楓を一瞬立ち止まって見ていた。
「モデルみたいな反応されるね」
「面倒、迷惑、見るな! Mの三点セットよ。男ができたら収まるのかしら」
「さぁ……ぼくは彼女いたことないからなんとも言えない」
「居るじゃない。紫乃ちゃん」
「妹だよ!」
結仁たちの横をトラックが通り過ぎ、楓のスカートが舞い上がりそうになる。結仁は咄嗟にスカートを抑えていた。楓は驚愕の目で結仁を見た。
「ごめん!」
「私……スカート舞い上がる時に自分から抑える奴、初めて見た」
「流石に友達のパンツ公衆に見られたくなかったから」
「……そ、まあ良いけどありがと」
楓はそっぽを向きながら言う。高層ビル群に取り込まれそうな状況になっている識恵学園が見えてきた。
「そうえいば……さっ」
「ん?」
楓は真紅の空を見上げている。
「紫乃ちゃんって不思議だよね。大人びてるなんて次元じゃなくて本当に大人みたい。たぶん、中学生の頃の私が同じ状況になったら、狼狽えて何もできないか、一人で探しに行くと思う」
「気のせいでしょ。紫乃は昔からあんな感じだよ」
「そう……ね」
楓は疑問が未だ残る表情で雲が流れるのを見ていた。
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