第8話

 小野寺と名乗る特殊警察隊の男に結仁は家の前まで護衛してもらった。別れる間際に藍に渡されていた拳銃を結仁は小野寺に渡す。終始無表情だった小野寺は苦笑いを浮かべた。

 結仁は真っ黒な空に輝く星を見上げた。階段に足をかけてマンションのニ階に上がった瞬間、家の扉が壊れそうな勢いで開かれた。鮮やかなブロンドが暗い廊下に光る。飛び出した紫乃は結仁を見て大きく安堵する。

「結仁!!」

 結仁は全速力で抱きついてきた紫乃を受け止める。がすぐに冷たい廊下に押し倒される。夢とは逆に紫乃が結仁に馬乗りなっていた。

「よかったーーー! こんなに心配かけないでよ結仁!!」

 涙をにじませながら紫乃は結仁に抱きついた。なぜだか紫乃から目を離せなかった。感動や安心からではなく本能的に見ていたいと思った。胸に押しつけられる柔らかな感触に戸惑いながら結仁は紫乃を抱き返した。腕の中の紫乃の眼球はじっと結仁の首筋を見ている。乾きを誤魔化すように紫乃の喉がごくりと鳴った。


「で、お兄ちゃん。言い訳があったら言って下さい」

「ないです!」

 結仁はカレーをすくったスプーンを止めて言う。紫乃は極度に機嫌が悪そうだ。

「バイト終わりの暗い時間に家の真逆方向に進行。さらに不審者に襲われ気絶。どういうことなの?」

「ごめんなさい」

 結仁は平謝りするしかなかった。何もかもが異常だ。今日は厄日かも知れないと結仁は思う。世界の真実に気づくというのは結仁の好きなライトノベルではそれなりに定番の展開だが、いざ自分が体験して見ると妹に醜態を晒しただけだった。

「あともう一つごめんなさいすることがあって」

 紫乃がギロリと結仁を睨みつける。

「これからたまに検診に行かなきゃいない。ちょっと後遺症を心配されて」

「お兄ちゃんには呆れました」

 紫乃はカレーをやけ食いする。食事が終わると紫乃は立ち上がる。

「お兄ちゃん一緒にお風呂入ろう。『何でもする』って言ったよね」

 天使のような笑顔で紫乃は言う。結仁は持ち上げていたスプーンを落とした。


 妹と入るなんて何年ぶりだろうか。少なくとも両親が死んでからは入っていない。結仁は物思いに耽ることで現実から目を逸らそうとする。薄くタオルが巻かれた胸は女を強調し、形の良いくびれが色香を漂わせる。紫乃の細い指から形の良い爪がついたつま先まで純白だ。背中を預けてもたれかかられると結仁は相手が妹だと頭では分かっていても何も感じずにはいられなかった。

「そろそろ出ていい?」

 結仁は早口で言う。

「だーめ、まだ5分たってないから。日本人は裸の付き合いでしょ」

 紫乃は湯煎の中で手を動かしてチャプチャプと音を立てる。

「結仁はこんなことがあってもバイトするの?」

 紫乃は真剣な目で結仁に問いかける。たびたび言われていた言葉だ。「バイトなんてしなくていい」それが高校入学当初の紫乃の口癖だった。結仁は反対を押し切ってできる限り家賃の半分を出していた。

「うん、辞めないよ」

 結仁は自分に言い聞かせるように言う。

「ぼくは少しでも紫乃の兄としての面目を保ちたい」

「そう……私は辞めてほしい」

 それっきりパタリと会話が止んだ。


 風呂上がり結仁は寝室に入ろうとする。

「お兄ちゃん、これから一ヶ月ぐらいは移動する時は連絡してね。心配で心臓が飛び出るから」

「お母さんみたいだ」

「お兄ちゃんが危なっかしいだけ。おやすみ」

 紫乃は自分の寝室の扉を締めた。

 

 「二藤探偵事務所」と書かれた硬派なパネルが結仁の頭上にあった。二階建ての建物で結仁が昨夜入ったのは地下室だ。自動ドアをくぐってエントランスに入る。座り心地の良さそうな茶色のソファーがホテルのラウンジのような空間を醸し出している。ご丁寧に窓ガラスの側には観葉植物が置かれている。結仁は受付にいる女性に話しかけた。

「検診を受けに来たんですが」

「……少々お待ち下さい」

 女性はすぐさま固定電話を取り出して電話する。一言二言を言葉をかわす。

「お名前をどうぞ」

「齋藤結仁です」

「……はい。分かりました。ではすぐ右手の扉を開けて階段を降りて下さい。担当の医師が対応します」

 結仁は感謝を述べて扉を開けた。


 検査が終わった後、結仁が渡された紙には「A型」「血色素量」「白血球数」「血小板数」など保健体育で習う単語リストが中央に縦長にかかれている。その中に異質に「Bev3-ZeV|0.37」と書かれ、隣の方には「基準値0.05」の文字。結仁は昨晩も横たわっていたベッドの上でため息をついた。

「浮かない表情すんなよ。結仁君!」

 佐藤拓也は金色に染めた髪をかき乱しながら言う。軽薄そうに笑った顔のくせに、立ち振舞は洗礼され無駄がない。もし突然結仁が殴りかかっても難なく対処されるだろう。

「ほい!」

 結仁は佐藤が差し出したスマホを見て首をかしげる。

「お前さんの新しいスマホだよ。最近の若者には必須だろ」

「前とモデルが違うんですが」

 結仁が今持っているスマホは最新のカメラがついた重いスマホだ。

「すまん適当に一番高いやつを選んだ。変えたかったら変えてくれ。……そうだなお詫びにお兄さんと遊ぶかい」

「ナンパですか?」

「男の娘は俺の趣味じゃないんだわ。小野寺の奴に聞いてくれ、もしかしたら好みかもしれん」

「いや男の娘じゃないですから、どう見ても男です」


 結仁が佐藤に連れられて来たところは射撃訓練場だった。薄暗い灰色の天井。個室のように区切られたスペースには拳銃が乗った机がある。

「銃刀法違反ですよ」

「だいじょーぶだ。許可は貰ってる。ここら辺に射撃練習場なんてないからなー。アメリカさんが羨ましいぜ」

 佐藤は言いながらガチャガチャと拳銃のスライドを動かし構える。

「やってみるか、藍の奴はお前さんが望むならって言ってたぜ。今回の事件は俺達の職務怠慢要素だから。おまえさんの運が悪かったら……」

 一瞬で結仁の額に拳銃の照準。トリガーを引く。カチリと音が鳴った。

「ドカーンだった」

「ベルゼとかいう組織を逮捕できないですか?」

「そもそも本拠地がどこにあるのやら。全く分からん。これでも俺のぞいて頭脳派なんだが、事件が起きてから後手で対処してばかりだよ。警察さんと同じ不満をぶつけられそうだ。『動かざること日本警察の如し』ってな。で、やるか?」

「やります」

 FPSに一時期はまっていた結仁は頷く。

「おーけぇ!!」

 佐藤は楽しそうに笑った。


「基本は簡単だ」

 結仁の横で、佐藤は銃弾の入っていない拳銃を人型の標的に向けた。

「スライダーを引いて、対して役に立たないフロントサイトを相手の頭に合わせる」

 結仁はゲームの記憶と言われた言葉に従ってスライダーを引く。思ったより軽く一気にスライダーが動く。構える手が震えてサイトがブレれる。大きく息を吸って恐怖心を抑えた。

「そうリラックス、リラックスだ。バン!!」

 閃光と銃声。同時に結仁の腕に鋭い衝撃。結仁は跳ね上がった拳銃を呆然と見ていた。放たれた弾丸は人型の的の胴体を貫いていた。

「という感じだ。定期検査をする日ぐらいは触ってもいいぜ。ただしちゃんと俺か小野寺、藍の奴を呼ぶこと、……部長はたぶん断るな。あとなんかサービスしてやれるとすれば格闘術ぐらいか、実践型だが護身術の代わりにはなるだろう。俺的にはこっちがお勧めだね。なんたって、日本じゃ、銃は、使えない」

 佐藤は軽く肩をすくめた。

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