第7話

「もしもし、結仁! 結仁だよね! 結仁!!」

「大丈夫、紫乃の兄の結仁だよ。ごめん、家に帰れなくて」

「そんなこと大丈夫だから。今どこにいるの。すぐ行くから教えて」

 どうすべき判断に迷った結仁が藍の方を見る。「言いたかったら言っていいわ。面倒な処理が発生することは間違いないけど、家族の安全は保証する」黒のペンで走り書きされた紙を藍が掲げていた。

「そんな心配しなくても大丈夫」

「大丈夫じゃない。もしかして誰かに口止めされてるの!?」

「えーと、実は事故にあったところを警察の人に助けてもらったんだ。そのおかしな話かもしれないけど通りすがりの不審者に襲われて」

「……なら今すぐ電話変わって」

 結仁は念の為、自動拳銃を握り直す。想像よりも軽かった。

「電話を代わってほしいそうです」

 藍は結仁の手元を見て苦笑いを浮かべた。

「分かったわ。渡して」

 結仁は黙ってスマホを渡す。

「代わりました。二藤探偵事務所の藤原藍です――」

 藍は名乗りをあげ何度か言葉を発した後、再び結仁に携帯を差し出す。

「どう?」

 紫乃の声が電話越しに聞こえる。

「どうって結仁は呑気すぎるよ。……確実なことは言えないけど、公的な機関に属している人だとは思う。私起きとくから一時間ごとに電話して生きてるって伝えて。……あと早く帰ってきて」

「うん、いつもありがとう紫乃」

「心配させないでよ」

「ごめん、あとでお詫びは何でもするよ」

「何でもだからね、冗談。けどちょっとお仕置きする」

 結仁は通話を切った。




 結仁は身体のだるさを感じてそのまま布団に倒れ込む。足が棒になるの比ではない。体全体が鉄のように重い。

「ありがとう信頼してくれて」

 藍は言う。

「実は最初から信じてました。ぼくただのどこにでもいる男ですから。もし妹が電話でぼくと同じ状況になってたら通話してきた奴、絶対に信用しませんけど」

「ふふ、妹思いなのね」

「兄ですから」

 普段から紫乃に世話をされてばかりなのだからもしもの時は妹のために死ぬと決めていた。……だから結仁にとって紫乃を殺す夢はショックだった。冷静になってくるとぼやけた夢の中の自分に殺意が湧いた。そもそも火事なのに紫乃が人間だと認識できないほどの姿になっているなんて発言がおかしい。結仁は夢の矛盾をあらかた見つけると内容を無視することにした。たぶん疲れているせいだ。

「落ち着いた?」

 藍は固まっていた結仁に心配そうに尋ねる。

「はい、少しは」

「事故の前のことどこまで覚えてるかしら?」

 結仁は未だする頭痛を振り切って思いだす。

「たしか……男に襲われた気がします。目が赤かったような、けどそんな人間いない」

 結仁は記憶の中の違和感は夢と混ざっているせいだと思った。

「首を噛まれた気がします。ファンタジー小説に出てくる吸血鬼みたいに……なんか自分で言ってて」

「それは本当よ。現実にあなたは吸血されてるから」

 結仁は信じられない目で藍を見る。そんなことあり得るはずがないと目で訴える。

「首筋」

 藍に言われて結仁は右の首筋を見ると包帯が巻き付けられていた。

「ただ別に吸血鬼と言っても霧になるとか、人を魅了したりとかそういう幻想的な力は持ってないわ。最初の奴らは……少し厄介な能力は持ってるらしいけどね。血を吸って生きる生物なんて珍しくもないでしょう。蚊や蝙蝠も居るのだし。あれはそういうタイプのものよ」

 結仁は無数に生まれた疑問を押し殺して、ゆっくりと話す。

「聞いたことありません」

「それはそうよ。政府が隠してるんだから、バレていたら職務怠慢ね」

「けど……あれは絶対に」

「そう人間。人間にはもちろん生来吸血する能力なんて備わっていないわ。死んだ加害者の名誉のために言っておくと彼は血に興奮するサイコパスでもない。ただ病気だったの」

 結仁は虚ろな赤い眼球を想起する。

「第二次世界大戦。ドイツが人体実験をしていたって話は世界史とかで習ったかしら?」

「知ってますけど、それがどうかしたんですか?」

 結仁は疑問符を浮かべ問う。

「その研究の一つが『ゼブルウイルス』。それがあなたを襲った男性が感染していたウイルスよ。感染経路は血液。空気に弱いから偶然感染したなんてことは天文学的に低い確率ね」

 藍はぶらりと歩く。

「ウイルスに感染した人間は数秒で全身に猛烈な痛み、群発頭痛の比じゃないらしいわ。過去には治った人はいた。トラウマと幻痛で自殺。いわく体中に毛穴の数と同じぐらいの針が刺さっている感覚らしいわ」

「生物兵器か何かですか?」

 結仁は第一次世界大戦が毒ガスを作成したように第二次で使おうとしたのだと考察する。

「違うわ。確かにその用途でも活用できそうだけど。さっき言ったように空気に弱すぎる。散布できるものでもないし。少なくともドイツ軍は使っていない。せいぜい注射器で刺して即死させるぐらいね。他の毒でもなんとかなりそうなレベルよ。……話さず納得して日常に戻ってくれるならそれが一番なのだけど」

 藍は肩をすくめながら結仁の目を見る。結仁は静かに見つめ返す。

「でしょうね。ブラム・ストーカーのドラキュラは読んだことあるかしら? 彼って凄いわよね。空を飛ぶ。怪力無双。優秀な兵士だと思わない? おまけに人間の血を飲むのよ」

「人体改造で強い兵士を作ろうってSFの定番と同じ思惑ですか?」

 結仁は藍の発言の意図を汲み取って言う。

「そういうこと。計画は成功したわ。強い兵士を作るという一点ではだけど。成功確率は万に一つ。それでできるのがただの怪力無双なら戦車のほうがよっぽどコストが安いわ。失敗作なのよ。けど……10年ぐらい前からベルゼ、どこぞの秘密結社がご熱心なの。最近はまた活動が活発になってその余波があなたのような関係ない人に及んでる。それが今回の事件の概要」

 結仁はどこまで信じたものかと考えていた。

「あなたたちはどういう存在なんですか?」

「私達は日本特殊警察隊。防衛省のちょっとした秘密組織ね。こういうタブーの技術を使ってる輩を捕獲するのが仕事なのよ。だから拳銃も所持している。と言っても、持ったままぶらぶら歩いてたら銃刀法違反になって交番で上司に電話してもらう必要があるけど。……納得してくれた」

「納得はしませんけど、とりあえずぼくは何をすれば帰れるんですか?」

「もう手術は終わったわ。たださっき言ったように後遺症があったら大変だから定期的に検診を受けてほしいの」

 藍は言うとデスクの上に置いていた二枚のA4用紙とペンを渡してくる。

「無理そうな日は前日でも連絡してくれたらいいわ。事務員の情報も載せてるから、そこにお願い。あとは守秘義務の契約ね。何もしないと上がうるさいのよ」

「……分かりました」

 結仁は契約書の内容を丁寧に確認する。内容としては「人造吸血鬼」に関する情報の秘匿、及び特殊警察隊の存在の隠蔽だ。結仁は渡されたペンで日付と名前を記入した。

「それじゃ、次は明日の検診で会いましょう。とはいえ私が居るとは限らないけど、また何かあったら相談してくれても構わないわ。一応、警察紛いのこともできるから」

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