第5話
放課後、柏田書店の倉庫で結仁は到着した本を出していた。学園の近くということもあり受験参考書類が多い。高校の二年の夏休みが終わったというのに結仁は大学に行く確固たる思いはなかった。もちろん、結仁とて識恵の生徒。成績も悪くないのだから適切な努力をすれば最低限の大学には入学できるだろう。だが目的は妹一緒に過ごすことであってそれ以上ではなかった。
参考書の中に埋もれていた本に結仁は視線を向けた。「フランケンシュタイン」誰もが知るSF小説の名作である。怪物は愛を求める。愛を求めて誰かの愛を奪う。もし彼の望む愛が手に入ったとして、それは真実の愛足り得たのだろうか。
結仁は本を台に乗せカート運びながら店舗に戻る。
「えーと、えーと、ハウキャナイヘルプユー」
カウンターで鈴木舞波はオロオロとした声をあげていた。黒く長い髪と眼鏡。柔らかな顔立ち。如何にも仕事ができそうな容姿だが現実は違った。向かい側に立つのは長身の男性。高い鼻。白い肌と金髪。すべてを見透かしたようなエメラルドの瞳。
「だから……ただ、教育に関するコーナーを知りたいの」
男は訛りはあるが日常での意思疎通には困りそうにない日本語を喋っている。結仁は舞波がいつもの如くテンパっているだけだと判断。
「私が案内しましょうか?」
「じゃあ、少年。お願いするよ!」
結仁はカウンターの仕切りを外して男を案内する。
「いやー、どれだけ日本語が喋れても英語で話しかけられるんだから困ってしまうよ。ぼくってそこまで酷いかな?」
ニック・オースティンは肩をすくめながら言う。十字架のネックレスが軽く揺れた。
「いえ、ただ内の店員の女性が単純に人見知りなだけです」
「シャイガール……か、そういう子も好みだね」
ニックはぼそりと言う。
「ここが教育の棚です」
「ありがとう少年。名前は?」
ニックは結仁の名前のカードをちらりと見て言う。
「齋藤結仁です」
「それでも『さい』なんだね。似たような漢字ばかりで嫌になってくるなー」
結仁がカウンターに戻ると、ブンブンと舞波が頭を下げてくる。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「大丈夫、そんなに怒ってなかったから」
「うーごめんなさい~」
「次、頑張ってくれたら良いよ。ぼくだって初めてバイトした時は客を黙殺した。お客様は諦めて隣の人に注文してたよ」
「なんか、結仁さんが一気に可愛そうな人に見えてきました」
舞波は結仁の顔を見て言う。
「そうならないように頑張ろう」
「はい!」
結仁と舞波がレジをしているとニックが戻ってきた。
「これを購入するよレディ」
「お、おけー」
Sニックは素早くカードで支払う。
「ぼくはニック・オースティン。覚えてくれるとありがたいよ。最近引っ越してきたから今後はこの書店を使うことになりそうだ」
ニックは言いながら早足で店から出ていった。
「やっぱり東富市って外国人の方、多いんですね」
「都心の近くだからね。流れてるんだと思うよ。ここで生まれ育ったぼくとしては当たり前過ぎて何も感じないけどね」
「ずっと紫乃ちゃんと暮らしてるんですか?」
「そうだね。生まれた時から。紫乃って学校だとどういう感じなのかな。兄として少し気になる。年の差が差だからあんまり学校で関わったことはないんだ」
「良い子ですよ。家庭料理部では真面目で熱心そのもの。というかただひたすらに可愛くて料理するだけで我が部の天使ですから~。結仁さんも入ってくれてもいいですよ」
「やめとく。アルバイトと勉強で手一杯だ」
「確かにそろそろ受験勉強もありますしね。……はあーもう既に憂鬱です」
舞波は大きくため息をつく。
暗くなってくると客足が落ち着いてくる。無言で差し出された本を結仁は何も考えることなくレジに通して値段を言う。
学校に行く。帰り道にたまに本屋でアルバイトする。結仁の日々はその繰り返しだった。帰れば紫乃が料理を作ってくれていて、たまに勉強。友人もいる。小学、中学生の頃の結仁が唯一望んだ光景はもう既に実現されていた。
「ありがとうございましたー」
それっきり客足は途絶えた。結仁が窓の外を見ると夜の帳が下りていた。分厚い雲の裏側から月明かりが世界を照らす。客は出ていくばかりで、入っては来ない。結仁が気づいたときには店内に泥のような重々しい孤独が蔓延していた。
結仁がデジタル式の腕時計を確認すると20時を過ぎていた。夜の街を歩くのが結仁の密かな楽しみだった。眠らない街には目に悪いネオンライトがチカチカと点滅している。行き交う人々は隣に目もくれない。信号が青になった途端足早に歩む。
無意識から目を覚ますと結仁は右も左も分からぬ場所に出ていた。
「迷った……」
迷うはずのない慣れた帰宅ルートを取ったはずだ。少なくとも書店から出た時はそう思っていた。ぼーとしていたせいだ。結仁は自分自身に呆れながら、スマートフォンの位置情報を有効にする。ピンは書店の東側を指していた。家とは真逆の方向だ。
何かに引き寄せられるように結仁の視線が動いた。外灯とは明らかに異なる真紅の双眸。青色の病院服を着た痩せ細った成人男性はヘラヘラと笑っていた。結仁は男から目が離せなかった。男と見えない鎖で繋がりあっているような奇妙な感覚を味わう。
心臓が早鐘を打つ。逃げなきゃ。理性的な意思とは裏腹に本能は歩け! 近づけ! と命令する。内側から生まれた衝動に突き動かされて結仁は一歩踏み出した。
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