第4話

「じゃ、お兄ちゃん私は行ってくるね」

 紫乃はそう言うと中等部の棟に向かっていた。結仁の目の前には十年以上前に建てられたとは思えない白く美しい五階建ての校舎があった。大学にも負けていない広大な敷地には他に何棟も施設がある。

 結仁は靴を履いたまま廊下を歩き、階段を登る。

 教室の奥の方で一人の少女が机に突っ伏していた。窓から入り込んだ薄明光線のようにな朝の日差しが少女の黒髪をわずかに白く見せる。机の上に乗せられたボールのように弾みそうな胸部を学園の黒のセーラ服が抑えている。胸元には地球儀のネックレス。中等部とは異なる黒のスカートが大人の色気を演出。おとなしい雰囲気を与える。暗い焦げ茶色の眼球は不機嫌そうにスマートフォンを見る。ヘアバンドで止めたサイドヘアを鬱陶しそうに手で払った。結仁が扉を開けた音に気づき、天雨楓は扉の方を一瞥。

「おはよー。ゆーいと」

「なんか嫌なことでもあった?」

 結仁が言うと、楓は睨みつける。

「あんた、一週間前におすすめのギャルゲー教えてもらったじゃん。あれやってみたんだけど」

「本当にやってくれるんだ」

「暇だっただけ。『終末予言のお姉さま』とかいうタイトルから予想できてたけど、やっぱ姉とヤルのは無しでしょ」

「キャッチコピーが完全に否定された。ぼくは姉派だ」

 結仁はリュックを机にかけながら言う。

「妹いるあんたが言うか! まあ、私も百歩譲って姉がヒロインでも良いんだけど。良いんだけどー。ずっと好きで居てくれた友達を見捨てんな! 何でよ! 瞳ちゃん凄い頑張ってたじゃない! 何でそんなあっさり流しちゃうの!!」

 楓はキャラクターの名前を悲痛を込めて叫ぶ。

「幼馴染キャラはいつもそう。自分の心を抑えて他のヒロインを応援する。けど、けどね。そのヒロインが姉なのよ、義理でもないのよ。法律的にどう考えてもアウトじゃない!!」

 楓はダンっと机を拳で叩いた。

「楓……時間こそが愛なんだよ。幼馴染より姉妹の方が時を重ねている以上勝ち目なんてないのさ」

「この姉派が!!」

「姉派だ。もっと詳しく言えば支配的で傲慢だけど時たま優しいツンデレ系女王様派だ。この集合の部分集合には当然姉も含まれている。妹は好きで可愛いけど恋愛対象じゃない。ぼくは遥か遠い過去お姉さんに救われたんだと思う」

 結仁は時たま夢に出てくる金髪の少女を思い浮かべながら言った。

「この人でなし。妹がいながら何言ってんのよ! 私の相談に乗ってくれる可愛い妹を譲りなさいよ!!」

「本当に仲良かったんだ?」

「何言ってるの? 女の子の絆は男が不在の時に深まっていくのよ」

 楓は大きくため息をつく。

「あと他にコメントがあるとすれば、ムフフなシーンが現実的じゃなさすぎる。あんなに状況を説明して、叫びながらヤル女の子見たことないわよ。お前の股に着いたものはレーザビームか何か? 必殺技なの?」

 楓は早口で言う。

「アクションムービでも、少年漫画でも戦闘をよく説明するのは分かるよね? あれと同じだよ」

「……戦闘だったの?」

「生存競争という意味では文字通り戦闘なんじゃないかな」

「じゃあ何よ瞳ちゃんは生存競争に負けたの! エンディングの後も失恋を引きずって彼氏もできずに仕事に打ち込むの、バッドエンドは許されないわ!」

「一応ルートあるじゃん。結ばれた世界線も合ったんだよ」

「サブルートだけどね。まあけど、ストーリーが面白かったから時間の無駄ではなかったわ。男子共の性癖と願望も知れたし」

「とうとう、楓も彼氏でも作るの?」

「作らないから。何が楽しくて、よく分からないチャラ男とよろしくやらなきゃいけないのよ。私とつき合うならまず去勢ね。一緒に病院に行ってあげるわ」

 楓は不満そうにそっぽを向く。結仁が周りを見ると徐々にクラスに人が集まってきた。

「おいーす。よっ、童貞処女の変態コンビ」

「中古が何言ってんのよ」

「人生で初めてそんなこと言われた。……楓に初めて奪われちゃった……」

「うわっ! キモ! 学キモ!!」

 ウルフヘアがバッチリと決まった女受けしそうな黒髪の少年は楓の前の机の上に灰色の鞄を置いた。椅子に座る。

「お前ら本当に朝っぱらから変態談話しすぎだろ。いい加減三人集まれば文殊の知恵、ただし、その知恵はある方面に限定される。なんて噂はもうごめんだぜ」

「その話だとやっぱり学も三人に含まれてるよね」

 結仁が言う。

「おれはツッコミ役だ」

「はい、学。あんたの好きな女性のタイプは」

「妹一択。毎朝『お兄ちゃんおはよう』『もーう好き嫌いしちゃ、めっだよ』『お兄ちゃん他の女の子と遊ばないで』と言ってほしい」

「最初の一つ目ぐらいなら内の妹も言うかも」

「いいよなー紫乃ちゃん。妹さんをおれに下さい」

「駄目です。というか学より楓の方が仲いいよ」

 学は目を細めて楓の身体を舐め回すように見る。

「百合か、……それもありだな。楓も見た目だけは綺麗だし」

 学のつま先を楓が鋭く踏みつける。「ぐおおぉ……」と苦悶の声を学があげる。

「心も綺麗ですけど。はい、結仁復唱」

「楓様は身も心も美しゅうございます」

「あんたの心がこもってない。やり直し」


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