第2話
結仁が選択すると小さな画面の中で、大きな悪魔の羽を生やしたラスボスが崩れ去る。達成感を感じゲーム機を横におき、画面から目を離す。天井は常に変わらない茶色の木目だった。
「お兄ちゃーん、入るよ」
返事の前に扉が開かれる。無地の黒のTシャツとズボン。紫乃はそろそろ中学生になるというのに全く性格が変わることもない。結仁が知るわずかな情報の中でも反抗期に入っている気はしない。それどころか健気にほぼ毎日、こうして紫乃がトレイに乗せて食事を持ってきてくれる。元々備わっていた美しさは年を重ねるごとに拍車がかかり純白の肌とブロンドに似た茶髪は老若男女を魅了しているのだろう。
その姿を見ると結仁はたびたび惨めな気分になった。中学生になってから結仁は不登校になっていた。
「今日はカレーです」
「いつもありがとう」
結仁にとって紫乃だけが安らぎだった。祖母はいつまでも結仁を批評。祖父は必要以上に物を言わない。味方でも敵でもない存在だ。紫乃だけが結仁にとっての本当の家族だった。
口に含んだカレーライスはほんのりと甘い。辛いのがあまり得意ではない結仁好みの味だった。
「ねぇ、紫乃」
「どうしたの?」
「紫乃は母さんや父さんが死ななかったら……って考えたことない?」
「……」
酷い質問だ。小学生に言うべき言葉ではないと結仁はすぐさま気づく。あまりにも紫乃が大人びているから失念していたのだ。
「なんでもない」
「結仁はよく考えるの?」
真面目な話になると紫乃は「お兄ちゃん」ではなく「結仁」と兄を呼んでいた。
「考えるよ。ずっと、ずーと考えてる。もし生きてたら」
結仁は近くに置いてあったゲーム機を軽く投げ飛ばす。布団の中にそれは沈んだ。
「きっと今も少しは紫乃の兄としての威厳でも保てかなって。紫乃は凄いよ。勉強はそうだけど、コミュニケーションもすごく上手くやってる。ぼくが思っている以上に紫乃にとってもこの環境は辛いはずなのに。対抗意識ばかり燃やして、紫乃の気持ちなんて考えてなかった。あの人たちに見捨てられないことばかり考えてた」
ポツポツと言葉にしていると感傷的な気分が増す。結仁はみっともなく零れそうになった涙を自分で拭った。
「何やってんだろ……て思うときもあった。紫乃への感謝も忘れて嫉妬したことだってぼくはあった。紫乃に暴言も暴力も一度も振るってないがないのが今の人生で唯一誇れることだよ。迷惑かけてばかりだけどね。……ごめん」
結仁は続けようとしていた言葉を切って無言でカレーを食べる。紫乃は真偽を確かめるように結仁の顔を見ていた。
「結仁は生きてて楽しい?」
「……どうだろう?」
両親が生きていた頃なら当たり前のように答えていた言葉を結仁は言えなかった。楽しいのだろうか。帰ってゲームをして適当に勉強してそれなりの点数を取る。嫌いな祖母の顔は極力見ない。紫乃が毎日料理を運んでくれる。ただただ無為に時が過ぎていく。結仁は過去に執着する奴隷だった。
「紫乃が生きてほしいならぼくはどれだけ惨めでも生き続けるよ」
「望まなかったら」
「その時、考える」
結仁は笑って誤魔化す。そんなことを考えたくなかった。紫乃はむずかしそうな顔をした後、ゆっくりと立ち上がる。
「結仁は私と一緒なら楽しいの?」
「楽しいよ。紫乃を嫌いになったことはない」
それだけが結仁の誇りだ。
「じゃあ、変えよう。だから結仁も協力して、協力するって約束して」
「何すればいいの、そう簡単には変わらないよ」
「勉強、来年の受験で識恵学園に入学して二人暮らしを始める。お金は私がなんとかするから。合格してほしい」
「難しいこと言うね。あそこは確かに中等部と高等部があって都合がいいかも知れないけど……学費もかかるし偏差値も高い。確か60以上はあったと思う」
「結仁も調べてたんだ」
「そりゃ……まあ自分の進路だからね。ぼくだって考えたさ」
「結仁は私のお願い叶えてくれるの?」
叱られることを恐れような表情で紫乃は結仁の顔を覗き込んでくる。選択肢はなかった。
「唯一の妹のお願いだったらぼくは何だってしてみせるよ」
「ごめんなさい……」
苦しそうに泣きそうな顔で紫乃は言う。結仁はその顔を見たくはないと思った。
「これで文句ありませんよね。お祖母さん」
紫乃は預金通帳と二つの合格証書を机に叩きつけて言う。祖母は訝しげにそれを取る。
「何でこんなお金を作ったのかしら?」
「コンピュータ買ってくれたでしょ」
「本当貴方って私の想像を超えてくるわね」
呆れたような感心したようなそんな顔を祖母はする。
「ただ生活費は私達が払います。娘の子供なんだもの。あと一年に一回はどちらかが顔を見せること、いいわね結仁」
「分かりましたお祖母さん」
結仁は祖母の目を正面から見つめた。
「紫乃、ぼくは変わるよ」
「私は……お兄ちゃんが幸せだったらそれでいいけど」
「ぼくは嫌だ。お兄ちゃんなんだから、紫乃を守れるように成りたい」
結仁は決心した。
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