第157話 第三章 旧暦

 旧暦二〇‪✕‬‪✕‬年。(約四百年前)


 その日、セントラルボーデン国家の軍事施設では研究員達が慌ただしく施設内を走り回っていた。


「まずいぞ! 試作品が入ったケースが破損した! 直ちに施設を封鎖してくれ!」


 一人の研究員が通信機で伝えると、施設内にけたたましいサイレンが鳴り響き、施設は外界と完全に遮断された。施設内は直ちに消毒がなされ、その後一週間施設は完全に隔離される事となった。


 一週間後

 セントラルボーデン国家にある軍本部では首相であるライカバードがある報告を受けていた。


「――先日の事故とのタイミングを考えますと、恐らく封じ込めには失敗したかと思われます」


「なるほどな。周辺の村のどの辺まで広がっていそうだ?」


 ライカバードは手を組みながら、緊張した面持ちで報告する秘書官を見据えて表情を変える事なく質問する。秘書官は神妙な面持ちで手にした報告書に視線を落としながら静かに報告していた。


「はい、事故を起こした施設から半径数キロ圏で高熱を出し倒れる者が報告されてきてますので、半径十キロ圏内かと思われます。現在はこの半径十キロ圏内は人々の往来を禁止させています」


「よし、なんとしてもここで食い止めろ。もしこれ以上広がれば世界中から我々に疑惑の目が向けられる事になるぞ」


 ライカバードの言葉でその場は重苦しい空気に包まれた。

 今現在、セントラルボーデン国家はライカバード首相主導の元、急速に軍事力強化をはかっていた。そのやや強引な手法や傲慢な態度は、周辺国から冷ややかな視線を向けられている側面もあり、もし今謎の疫病が流行っているなどと知れ渡れば『国絡みで何かやらかした』と疑惑の目で見られる事も十分に考えられる。そんな事態だけはなんとしても避けたかったのだ。


 だが一週間後、そんなライカバードの願いも虚しく謎の病はセントラルボーデン国内全体に広がっていた。


「首相駄目です。国内の感染拡大が止まりません」

「首相、周辺のラフィン共和国やギアノ王国等でも謎の病と思われる症例が報告されてきています」


 次々と寄せられる好ましくない報告を、ライカバードは無駄に豪華な椅子に鎮座したまま聞いていた。眉根を寄せて静かに部下からの報告を聞いていたライカバードがようやく口を開く。


「クルードはまだか?」


「はい、もう間もなくやって来るかと思われます」


 部下からの不確かな報告を聞き、ライカバードは再び目を閉じ押し黙った。重い空気がその場を支配する。そのまま数十分沈黙の時間が過ぎた頃、くたびれた皺だらけのスーツに身を包んだ細身の体躯の男が姿を現した。


「いやいや、お待たせ致しました。何せ普段は研究着しか着ませんのでスーツを探すのに手間取ってまして――」


「くだらん話はいい。貴様が開発したウイルスについて説明してもらおうか」


 軽く会釈しながらニヤつくクルードをライカバードが一喝すると、クルードは僅かに口角を上げた。


「ああ、私が開発したCウイルスですね。Cウイルスは本来キマイラウイルスと言いまして他のウイルスや細胞の特徴等を色々取り込んだウイルスでして、はっきり申し上げて取り扱いの難しいウイルスです」


「その難しいウイルスを作るにあたって、何故貴様は解毒剤やワクチンを作らなかったのだ? 危険な物を作る時はそれを抑制、もしくは無効化出来る様な物も対として作るのが常ではないのか?」


「おっしゃる通りです。しかし今回のCウイルスは偶然が重なり出来上がった物でして、正に偶然の産物なのです。これに対するワクチンや特効薬等を研究中に今回の様な事故が起きてしまい私もほとほと困り果てているのですよ」


 困っていると言いながら微笑を浮かべるクルードを見て、ライカバードは思わず歯噛みをする。今この場にいる全員がこの事態をなんとか収めようと四苦八苦しているのに、この男クルードだけは今の事態を楽しんでいる様な節さえ感じられるのだ。


「クルード、貴様は責任者だ。今回の事故の責任はともかく、なんとしてでも事態を収拾せよ」


「ええ、わかりました。なんとしてでも収めますよ。なんとしてでもね」


 含みを持たせた笑みを残してクルードは部屋を後にした。残されたライカバードとその側近達は、頭を抱えながらも世界を欺く算段を始める。




「くくく、狼狽えおって馬鹿共が。まぁいいだろう。なんとしてでも収めろと言うなら収めてやるさ。目処はついている。後はどれ程犠牲が出るかだが、まぁそれは仕方なかろう。何せ『なんとしてでも』との事だしな。わはははは」


 一人研究室に篭ったクルードの、狂気を孕んだ高笑いが研究室内に響き渡る。

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