第4話 三年前期
あれから一ヶ月くらい経って、新学期が始まった。新しい授業が始まる。ということは、新しく同じ授業を受ける人ができるのだ。とりあえず、何かの授業で誰かに声をかけてみようと決心し、授業に出席した。
初回授業は正直出なくてもなんとかなる。授業自体は始まらないからだ。シラバスに載っている事を少し詳しく話されるだけの九〇分。いや、九〇分も使わないで、早く終わることが多い。一限の授業では、誰にも声をかけることが出来なかった。二限の授業では、佐伯という社会学科の三年生に声をかけた。偶然にも同学年だ。佐伯とは好きな音楽の話で意気投合し、そのまま連絡先を交換した。
それから毎週佐伯と授業に出席し、毎日のように連絡を取り合った。たまには電話をして、趣味の話だけでなく、自分の考え方や気持ちを伝え合った。夏休み前のテスト後には一緒にご飯に行く約束をした。その頃には、佐伯に対して「自分」というものを少しずつ意識的に開示していた。
佐伯とご飯に行く日になって、待ち合わせの駅に着いた。すると佐伯から電話がかかってきた。
「ごめん今日行けなくなった」
「え?なんで?」
「いろいろあってさ、とにかく、ごめん。また連絡する」
「えっ」
このまま何も言えず切られた。
せっかく普段来ない駅に来たし、少し探検してから帰ろうと気持ちを切り替え、商店街に繰り出した。商店街には、焼き芋のお店や八百屋、猫の雑貨屋などがあり、どの店に入っても初めて入ったのに懐かしい感じがした。
夕方になり、商店街のシャッターが閉まり始めた。そろそろ家に帰ろうと駅に向かった時、佐伯が知らない人と居酒屋へ入っていった。声をかけようか迷ったが、自分は約束を断られている側なので、声をかけない方が良いだろうと思い直し、やめた。
もやもやした気持ちで帰宅し、もやもやした気持ちでご飯を食べた。そして、もやもやした気持ちでシャワーを浴びたら、急にイライラしてきた。
佐伯は何を考えているのだろうか。他の人との約束があったのならそう言えば良いのに。ご飯に行く約束をしたのは一ヶ月以上前で、変更しようと思えばいつでもできた。もし先に予定が先に入っていたなら、今日を避けて約束しただろうし、どう考えても後から他の人との予定を入れたとしか考えられない。
それに、わざわざ待ち合わせ場所の近くで他の人と遊ぶなんて。自分に見られることは考えていなかったのだろうか。そのことすら配慮しなかった佐伯にがっかりする。
佐伯とはそれなりに信頼関係を築いてきたつもりだった。だけど、佐伯にとって自分というのは、ドタキャンしても良いくらいの軽い存在だったのだろうか。
相手との認識の差を思い知らされ、立ちくらみしそうになった。イライラしていた気持ちがだんだん萎んできて、気付いた時には涙が流れていた。そうか、自分は、寂しいのだ。
やっぱり本当の自分なんて出そうとしなくて良い。当たり障りのない人間でいれば良かった。ああ、消えてなくなりたい。これが、死にたいという気持ちなのか?
これまで死にたいと思うことは無かったけれど、きっとこういう感じに近いのだろう。自分の感情だとは思えないほど、冷静に、この感情を理解し始めた。
もしかしたら、自殺は理性の上に成り立つ行為なのかもしれない。生きるのが本能であるなら、自殺はその反対にある行為だからだ。そう考えると工藤は、理性で「死ぬこと」を決断し実行したことになる。ある意味、自分の感情をコントロールするのがうまかったのかもしれない。そのコントロール力を別の方向に使えていたら、死ぬことはなかったのかもしれないけれど。
本能は死にたくないと言い、理性は死んだ方が楽だと言う。
人を自殺に追い込むのは、人間の世界そのものなのだ。周りの人間からはいつも値踏みをされていて、その人が生きているだけで充分だと考えている人はほとんどいない。
自分は佐伯に価値がないものとして扱われた。それがきっかけで死にたいという気持ちが初めて芽生えた。このことで本当に死ぬわけではないが、それくらいの衝撃はあった。
結局この日は、考えて、考えて、寝られなくなって、カーテンの外が明るくなってきたくらいの時間、やっと、眠ることが出来た。
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