第34話 ご承知
案の定、浅井神明教の眼鏡豚はあれからすぐに私の部屋を訪れて来た。私はなるべく違和感を顔に出さないようにしながら、部屋へ招き入れた。先日の眼鏡豚と、今回は顔が四角く脂ぎっていて眉毛の太い中年男も一緒だった。
「お友達が島崎正師だったと聞いて、すっ飛んで来ましたよ!流石は浅井先生の神力ですね」
「本当に!まさかお友達がねぇ?ビックリしましたわよ」
「浅井先生はですね、先日はあのダライ・ラマと会談したんですよ。最近では世界的にも信者は増えてますから」
二人はまるで私を置き去りにするかのように、宗教内部の話をし始めた。私は基本的な事を聞かなければと思い、話を遮って声を掛けてみた。
「あの、部屋に入れといて何ですけど、ご用件は?」
すると二人は顔を見合わせ、一瞬不思議そうな顔を浮かべると、わっ!と声を揃えて笑い出しだ。
「ご承知ご承知!」
「ご承知ご承知!」
その「ご承知」というのは彼ら特有の言葉らしかったが、私は何の事だかさえ、分からなかった。脂男が笑いを収めると、私の顔を指差してこう言った。
「用件も何も、ここに私達が座っているということが結果ですよ。おめでとうございます!」
「はい?」
「つまりは、招いたという事が結果なんです。入信する、しないとか言う次元の低い話ではない。これはもう感じていますよね?」
「何ですか?ニュータイプがどうとか、そういう宗教なんですか?」
「いえいえ、私達のベースにあるのは仏教ですが、他と違うのは浅井先生の神力によって解脱への道を促進された、いわばエリート集団な訳です」
「じゃあさながら、今日はヘッドハンティングですか」
「はっはっは!上手い!ご承知ご承知!」
何が承知なのかも全く分からなかった。彼らは私が入信に興味を持ち、受け入れたのだと思っているのだろうか。碌に話をした事さえない相手の家で、小さなコミュニティだけでしか通じない言葉を発しながら、よくもここまで馬鹿笑いが出来るものだと私は半ば呆れ返っていた。呆れ返るほどの馬鹿だからこそ、その怪しげな匂いしかしない宗教にのめり込めるのだろうが。
「浅井先生の事は言わずもがな。物凄い先生で、現代の道しるべとなっておられるので……それで、入信には印鑑と小神箱という御守りを預ける為の五千円が必要になるんですけど、今大丈夫ですかな?」
脂男はすっかり私が入信に迷いがないとばかり思っているらしかった。私はこれはハズレだな、と思い彼らに対して冷めた声で言った。
「馬鹿なんですか?入る訳ないじゃないですか。いきなり人の家来て五千円寄越せだなんて、まるで強盗じゃないですか。失礼にも程があるでしょ。出て行って下さい。呼べばすぐに警察が来ますよ」
「いやー!立派立派!それもご承知!ご承知!」
「邪が強い分、促進も早まりそうですわよ!ご承知ご承知!」
二人はまたもや馬鹿笑いしながら、出て行く所か立ち上がろうとすらしなかった。脂男はご承知、ご承知と言いながら電話を手に取った私に向かって突然拝み始めた。電話は勘弁してくれ、という事なのだろう。とてもではないが、承知出来る気分では無かった。
「御無礼はすみませんでした!私の話をまずは聞いて頂きたいのです」
「結構です。警察呼びますから」
「奥様のことで気が立っているのも分かる!余りに分かる!」
「おい、テメーどういう事だよ?」
事件の事を知っていたのか。それとも、調べたのか。私は途端に気分が悪くなり、二人を殴りつけたい気分になった。
「それは、あの……浅井先生の神力でここへの導きがあったものですから。それで、はて?と思い調べましたら、いやー、あの事件の被害者遺族様だったとの事で、いやー、これはやはり立派な導きだったのだなぁと、およそやはり、適応者だったのだなぁ、と」
「知らねーよ、帰れって言ってんだろ」
「あの!あのですね!実は、私は工場を営んでおりまして、一度は潰れかけていたんです。その頃に産まれて来た一人息子が、実は足に障害があったのです……」
「そんなもん産むのが悪いんだろ。だから何だよ?俺に関係あるかよ」
「その、工場がどうにもこうにもならず、潰れ掛けていた時に出会ったのが浅井先生だったのです。先生の力を信じていたある日、家で火事が起こりましてね……私達は必死に業火の中を彷徨いました。するとですね、それまで障害の為に歩けなかった息子が突然炎の中で突然立ち上がって走り出しましてね、私達を外へと先導してくれたんですよ!」
「元々足が変なだけで障害じゃなかっただけじゃないの?元に戻ったってだけの話でしょ」
「さっきからええ?何なんだ!?君はずいぶん分からず屋だなぁ!ええ!?何が不満なんだよ!」
脂男は突然激昂し、テーブルを両手で叩いた。面白半分で何も言い返さないでいると、エリート集団がどうのこうの言っていた割に、随分と汚い言い方で私を罵り始めた。
「大体何だ!君は奥さんを殺されたくらいで、クヨクヨなよなよして生きてるんじゃないか!?ええ!?し、仕事だって辞めたって言うじゃないか!う、うちの工場にはね、親の介護をしながら、それでも汗水垂らして必死に働いてる信者だっているんだよ!それが生きる!っていう事だろう!?」
激昂脂男の隣に居座る眼鏡豚は「美しい」と呟き、涙を拭っていた。若い女の経血より、その涙は汚れて見えた。
「島崎正師も、君の奥さんだってねぇ、今はもう怒りカンカンですよ!君が導きに触れようともしないんだから!呆れ返って天罰を下す準備してますよ!このままだと君、死にますよ!」
「何言ってんすか。その天罰下す役目の二人がもう死んでるじゃないですか」
そう言って今度は私が馬鹿笑いをした。脂男は顔を真っ赤にしながら、皿に落としたてのプリンのようにプルプルと震え始めた。
「天命が分かってないからそんな答え方しか出来ないんです!君は愚かだ!いいか!?真理は一つしかないんだよ!入信するとか、しないとか、そんな話しじゃないの!浅井先生の神力を知るか知らないかなの!私はねぇ、潰れかけた町工場やってたけど浅井先生のお陰で今じゃ従業員を十人「も」抱える企業にまで成長出来たんだよ!神力に触れたおかげでね!」
「従業員に感謝ですね」
「違うね!全然分かってないな!浅井先生とその神力のお陰だと言っているだろ!じゃあ君の理想、夢を言ってご覧なさいよ!私がね、それら全てを論破してあげるから!」
「別にそんなものないですよ。なきゃあ生きてる意味がない?」
「浅井先生の神力に触れさえすれば、そういったものが持てるようになるんですよ!」
「でも論破するんでしょ?意味ないじゃないですか」
「違う!全く違う!浅井先生から与えられたものはね、どんなものでも必ず確実な形になるんです!」
「何なんですか?その神力って」
「凄まじいパワーですよ!そのおかげでね、こっちは何でもお見通しなんだよ!」
眼鏡豚は「本当に凄いのよ」と相槌を打ってみせた。尚も興奮冷めやらぬ、と言った様子の脂男は再び私の顔を指差し、冬だというのにも関わらずドロリとした汗を垂らしながら続けた。
「村瀬さんねぇ!君が今思っている事だってね、神力の天命を受けているお陰ですっかりお見通しなんですからね!あなたの心中、当ててあげますよ!覚悟はいいですね!?」
とある考え事をしていた私は、「良いですよ」と軽く返事をした。すると、脂男は意味ありげにニヤついてみせた。かつて色の黒いアナウンサーが司会だったあのクイズ番組のように、脂男は答えを言うのを溜めに溜めている様子だった。私は先ほどまで想像していた事を反芻し、思わず噴出した。
「ちょっと待って下さい、そんなにニヤついてしまって良いんですか?」
「何を言うか!ご自分の浅はかさを良く考えてからですね、モノを言った方がいいですよ?今後の君の為にもねぇ!」
「そうですか。じゃあ、それでニヤけられるんだからあなたはかなりイッてますね」
「当たり前ですよ!何も知ろうとしない君の心の内を読んだら信者は誰だって笑いますよ!」
「結構ヤバイ人の集まりなのかな?どうぞ、言って下さい。当たりだったら素直に認めますから」
「外れるはずがないでしょう!あなたは今ずっと、こう思っていたはずだ!「あー、変な人達が突然やって来て迷惑だなぁ。早く帰ってくれたらいいのになぁ。生きる事はもう沢山で、疲れて、もう希望も見えない。でも、こんな怪しい宗教に入ったら皆の笑い者になるに決まっている」ってね!もう声が漏れているんですよ!」
「あら!やっぱり!私も読めていましたわよ!」
「でしょう!?ほら見た事か!これで認めるしか無くなったでしょう?」
脂男は誇らしげにそう言い切って見せた。全くのハズレだった。
「全然違いますね」
「強がる必要はないんですよ、村瀬さん。君はもう既に神力を知ってしまった」
「何ですかそれ、北斗の拳ですか?おまえは既に死んでいる、みたいですね」
「お認めになりなさい。それと、印鑑を早く」
「正解教えましょう」
「何をおっしゃいますか」
私は先ほどまで考えていた妄想を、ありのまま脂男に話して聞かせた。言い方を真似すれば、聞かせてあげた。
「正解はね、あなたの家が燃えた時、実は足が治らないままの障害の息子を置いていったらって考えてたんですよ。息子は「お父さん、お母さん」って泣きながら燃えていって、あなた達は障害を負っていた息子との生活が煩わしかった事が一瞬頭に過ぎって、罪悪感を抱きながらも子供の名前だけは叫びながら家を飛び出したんです。燃え盛る家の周りにはもう沢山の野次馬の人だかりが出来ていて、息子に聞かせる為じゃなくて、野次馬にアピールする為に息子の名前を叫び続けるんです。助けようとした、と後で言い訳でも出来るようにね。それで、燃えカスの中から炭になった息子を見つけて、ちゃんと死んでたなぁなんて少しホッとしながら、煩わしかった事なんかすっかり忘れ切って、良い思い出だけを寄せ集めて喚いて泣き出すんですよ。まるで感動映画でも観てるみたいにね。それで、炭になった息子の腕を夫婦揃って泣きながら食べてるんです。私の中で一生生き続けるんだぁ、なんて言いながら。警察や消防士の人達に聞こえるようにね、制止が入るまでそうやって、頭の中ではちゃっかり葬儀の際に述べる言葉なんか用意し始めたりして」
そこまで話すと脂男は目に涙を浮かべながら突然立ち上がり、眼鏡豚と共に玄関に向かって歩き出した。
「あのー、息子さん名前は何君っていうんですか?」
「黙れ!この家は邪が多過ぎる!失礼する!」
「家、燃えてないといいですね」
私の声が届かない内に玄関がバタン、と閉じられた。私はもう、私が何者だったのか分からなくなり始めていた。
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