第33話 雪葬

 幾ら遺影を眺めても、遺体を確認しても、それが死んでいる者の姿とは思えなかった。それは女の時も変わらなかったが、私は不思議と冷静な気持ちで葬儀に参列していた。


 久しぶりに見た出っ歯の元上司は、いつの間にか部長になっていた。葬儀が行われる直前、彼から「自殺だって」と耳打ちされたが、死因については金田から聞かされていた。そうやって一々耳打ちしてくる辺り、やはりコイツは好きになれないな、と改めて思わされた。


 現場でフォークリフトの事故を起こした福山は、始末書を書かされた。事故を起こしたのだからそれは当然で、良くある事故といえばそれまでなのだが、会社側の対応が良くなかった。福山は倉庫内で荷物を運ぶのに使う為の昇降機にフォークリフトを当ててしまい、稼働出来なくさせてしまった。修理に相当な時間と金を要するらしかったのだが、会社はその責任を取れと福山に迫った。人一倍責任感の強かった福山は気を病んだのか、事故の翌日会社を休んだ。しかし、会社は彼を責め続けた。


 福山の家に上層部の連中が押し掛け、事故の翌日に休んだ事や始末書の内容に関して、彼らは一晩中飽きることもなく福山を責め続けたのだそうだ。 

 その翌日も福山は会社へ姿を現さなかった。そして、更にその翌日も。交代の人員配置が行われ、会社は福山がこのまま会社を辞めるものだとばかり思っていたそうだ。そして会社を休んだ四日目の朝、福山は街外れの山中で首を吊った状態で発見された。遺体から遺書などは見つからなかったが、彼の部屋から会社への告発めいた手紙が発見されたのだという。

 葬儀を終え、煙草を吸っていた金田に私は声を掛けた。


「金田、煙草……ゆっこちゃんに怒られるぞ」

「今日くらいは勘弁して下さいよ……」

「福山さん、俺みたいに辞めちゃえば良かったのにな」

「マジ、それ思いました。正直、あの会社に残る事……どうしようかなって今、考えてます」

「あの部署も今じゃ金田だけか、残ってるの」

「はい……村瀬さん、あの、マジで戻って来る気ないですか?」

「俺はやる事あるから、無理だよ」


 無気力に目を覚まし、女の言葉を幾度も幾度も反芻し、無気力のまま睡魔が訪れるのをひたすら待つ。そしてまた、無気力に目を覚ます。そこには何の喜びも災いも訪れる事はなく、いつかそんな生活に見切りを付ける自分自身を待ち侘びているだけの生活。それが私のやる事、やっている事だった。

 金田は煙草を揉み消しながら、子供のように拗ねた口調で言った。


「村瀬さん戻らないなら、このまんま……マジで辞めるかもしれないです」

「今のおまえなら他所でもやっていけると思うよ。……ブラックだブラックだ言ってたけど、これじゃ人殺しと一緒だよ」

「……大戸と同じっすね。俺はそんな会社に、居たくないです」


 福山の葬儀を終えた後、数人の若者が声を荒げて上層部連中に怒声を浴びせているのが見えた。上層部の彼らは若者達に頭を下げる訳でもなく、かと言って聞き入れるはずもなく、そのまま静かに待機していた黒塗りの車へと乗り込んで行った。固まり切った雪の轍を砕く音と共に、車はすぐに駐車場から消えて行った。 

 今となっては遠目で見送る事しか出来ないそんな光景に、私はどうにも出来ない事への不甲斐なさを感じた。


 街中に乾き切って固まった雪が日陰に残っている。いつまでも、いつまでも、残っている。

 雪の降ったある日を思い出す。女は雪が積り始めると、無邪気にはしゃいで雪だるまを作り始めた。小さい雪だるまを重ね、私の車のボンネットにそれを乗せ、「ベンツみたいじゃない?」と笑っていた。エンブレムのつもりのようだった。首元のマフラーを外し、息を吸い込むと


「雪の匂い、冬の匂いがする」


 と、白い息を吐きながら言った。私は釣られて同じ事をしてみた。確かに、冬の匂いがした。冷たく静かで、穏やかな匂いだった。

 今の私には何の匂いも、色も、伝わっては来ない。近頃は生きている事を感じる度に、強い焦燥感を抱くようになった。早くしなければならない。もう、何も用事はないはずだ。終わったのだ。そう、思うようになった。


 ある日、見覚えの無い眼鏡豚のような中年女性がインターフォンも鳴らさずに部屋を突然訪れて来た。NHKの集金でなければ、どうせ宗教の勧誘だろうと思ったら、やはりそうだった。女性は、機械のような笑みを浮かべて言った。


「浅井神明教はご存知ですか?」

「あぁ、はい。友達が真理を見つけて死んだトンデモ宗教ですね」

「旅立たれ、昇華なさったのですね!お友達は非常に恵まれてますね。お友達のお名前は?」

「島崎ですけど……」

「島崎って、あの島崎正師!?」

「あのも何も、何ですかセーシって……知らないですよ」

「これも導きですから、ね?少しだけでもお話なさりませんか?ね?」

「しません。警察呼びますね」

「ちょっと、待って下さいな!これは導きですから!」


 私は急いで玄関を閉めたが、中年女性は帰る様子もなく、玄関の前で携帯電話で話をし始めたようだった。私は「変な人が来て困ってる」と警察に電話した。

 しばらくすると話し声は複数人の者となり、玄関の前で「導き」がどうたらこうたら言い合っていた。それからすぐに警察の者らしい足音が聞こえ、彼らは怒鳴り声を上げ始めた。数分が過ぎてから諦めたのか、辺りはたちまち静かになった。

 駆けつけて来た警官は物腰の柔らかい、爽やかな青年だった。


「浅井神明教ですか?あー、またですか……」

「多いんですか?」

「最近活動がかなり活発みたいで、不法侵入してまで勧誘したりするそうです。何かあったらまた呼んで下さいね」

「ありがとうございます」


 島崎が自らの考えと近いものが宗教だと言い、そして入信した宗教が浅井神明教だった。葬儀では遺体にペットボトルの水を注ぐらしいが、その水が「南アルプスの天然水」だった事で私の友人の嶋田と原田は笑ってしまい、信者達に怒られたそうだ。

 宗教で人の生が救えるのならば、どうか救ってみせて欲しい。

 その為に、私は私をサクリファイスとして捧げてみる事にした。

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